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ファイバーアートとは何か? パイオニア・小林正和の初回顧展で見るその歴史と多様な展開

日本におけるファイバーアートのパイオニアである小林正和(1944〜2004)。その生誕80年・没後20年となる2024年に、初となる回顧展「開館60周年記念 小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」が京都国立近代美術館で始まった。会期は3月10日まで。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

展示風景より、小林正和《NODATE-ANDGALLERY-95》(1995)と《White Nebula #005》(2001)  

 「ファイバーアート」という言葉をご存知だろうか。このジャンルの日本におけるパイオニアである小林正和(1944〜2004)の初回顧展「開館60周年記念 小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」が、京都国立近代美術館で始まった。担当学芸員は池田祐子(同館副館長兼学芸課長)、宮川智美(同館研究員)。

 1960年代以降、とくにアメリカやヨーロッパにおいて従来のテキスタイルの概念を超えるような作品群が数多く登場し、平面から立体、空間へと展開した。織物や染物である「テキスタイルアート」が、より日常的な用途性や平面性を保つのに対し、ファイバーアートは用途性から解放され、作家個人による繊維素材や技法に基づいた表現として位置づけられている。

 このファイバーアートは、1962年から95年までスイスのローザンヌで開催された国際タペストリー・ビエンナーレがその流れを牽引し、プラットフォームの役割を果たしながら、世界へと広がっていった。京都国立近代美術館では70年代よりこのジャンルに着目し、1971年に「染織の新世代展」を開催。ファイバーアートの分野の作品を、日本の公立美術館で初めて紹介した歴史がある(76年には「今日の造形〈織〉─ヨーロッパと日本─」を、77年には「今日の造形〈織〉─アメリカと日本─」を開催している)。こうした歴史的背景を踏まえると、同館の開館60周年記念展として、ファイバーアートの日本におけるパイオニアとされる小林正和(1944〜2004)の回顧展が開催されるのはごく自然な流れだと言える。

 池田は本展の開催背景について、「小林はファイバーアートや染織の新しい造形を考えるときに必ず出てくる存在」と評しつつ、「小林の作品をまとめて検証したいとずっと考えていた。関係者の高齢化も含め、いまやっておかなければいけないという危機感があった」と語っている。

展示風景より

 小林正和は京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)で漆工を学んだのち、京都の老舗・川島織物(研究所考案部)に就職し、ファブリック・デザインに従事。川島織物在職時の「1本の糸との出会い」を起点に、糸を「垂らし」「緩め」「張り」集積させた立体造形作品を発表する。その後、第6回国際タペストリー・ビエンナーレヘの入選を皮切りに、国際テキスタイル・トリエンナーレ(ウッヂ、ポーランド)や国際テキスタイルコンペティション(京都)などでの活躍を通して高く評価されるようになった。

 作家活動のみならず、小林は成安女子短期大学(後の成安造形短期大学)や岡山県立大学で教鞭をとり、81年には国内で初めてのファイバーアート専門ギャラリー「ギャラリーギャラリー」を草間喆雄・浅井伸一とともに開設するなど、マルチなタレントを発揮した点も興味深い。

 本展会場はおおよその時系列で構成。序章「糸との出会いー川島繊維時代」から始まり、1章「糸の発見、ファイバーアートの誕生ーローザンヌとウッヂでの試み」、2章「糸と空間、ファイバーアートの拡張ー京都とテキスタイル・マジシャン」、3章「糸の繋がり、ファイバーアートの展開ー『ギャラリーギャラリー』とデザイン・ワーク」、そして4章「糸、そしてファイバーアートの向こうへ」となっている。

 展示冒頭では、小林の名前が世界に広く知られるきっかけとなった《吹けよ風》が展示。タペストリーの綴織の間に山の稜線のように垂れ下がる緯糸が、美しい陰影を生み出す作品だ。

展示風景より、小林正和《吹けよ風》(1972)

 第1章では、《吹けよ風》と素材違いの同形作品である《WIND-4》のほか、壁面展示でありながら立体的な《W3》や、床置きへと移行した記念碑的な立体作品《Clear the Land》など、小林の作風の展開を紹介。また、小林と同時期にタペストリー・ビエンナーレやウッヂの展覧会に出品した作家たちの作品が並び、往時のファイバーアートの盛り上がりを伝えている。

展示風景より、小林正和《WIND-4》(1975頃)
展示風景より、手前が小林正和《Clear the Land》(1978)

 作品の立体化は、小林にとって空間への興味をよりかき立てるものだっただろう2章で展示される《KAZAOTO-87》や《MIZUOTO-99》などは大型のインスタレーションと言えるものだ。

展示風景より、小林正和《KAZAOTO-87》(1987)
展示風景より、小林正和《MIZUOTO-99》(1999)

 3章では「ギャラリーギャラリー」のアーカイヴに注目だ。上述の通り、81年に小林が四条河原町にオープンしたギャラリーギャラリーは、画廊主がおらず、ガラス越しに作品を見るという当時としては画期的なものだった(87年に川嶋啓子によって画廊主常駐型のギャラリーとして引き継がれ、2022年12月で閉廊)。本展に並ぶ当時の展覧会案内カードの数々からも、このギャラリーが実験的な場所だったことがうかがえる。

3章の展示風景より
展示風景より、ギャラリーギャラリーの展覧会案内ポストカード

 作品がつねに空間と関係を切り結ぶことを志向していた小林。最終的に作品は戸外でのインスタレーションヘと展開していった。それが95年に自身の私設ギャラリー前に設置した「NODATE」シリーズだ。本展では同シリーズ最初の作品を第4章に展示。糸ではなく布によって構成されたこの作品と、本作にオマージュを捧げる4人の作家の新作によって展覧会は終わる。

 80〜90年代に活発に展覧会が行われながら、2000年代以降は現代美術の潮流のなかで急激に減少したファイバーアートの展覧会。本展は、小林の作品を中心にその動向を再確認するとともに、今後のファイバーアートの展開について、改めて考える機会になりそうだ。

展示風景より、小林正和《NODATE-ANDGALLERY-95》(1995)と《White Nebula #005》(2001)  
展示風景より、左から野田涼美《商品価値を持つ言葉:健康》、戸谷崎満雄《栽培(1985 ギャラリーギャラリー)》、《アレルギー性イエロー(1986 ギャラリーギャラリー)》(すべて2023)
展示風景より、左が小林正和の《HAGOROMO-G04》(2004)、右が島田清徳《遠との共鳴 記憶の波音-k-2024》(2023)

編集部

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