石原海とたかくらかずきが語る、「地方」だからこその自由さ

リクルートが東京・銀座の「クリエイションギャラリーG8」と「ガーディアン・ガーデン」の活動を終了させ、八重洲に新たなスペース「BUG」をオープンさせる。これとともに、数多くのアーティストを輩出してきた「1_WALL」も「BUG Art Award」へと発展を遂げる。ともに「1_WALL」に応募経験があり、東京ではない地域で精力的に活動を見せる石原海とたかくらかずきに、アワードや東京のアーツスペースに求める、アーティストへのサポートについて語ってもらった。

文=山内宏泰

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 山梨県出身で現在は京都を拠点に置くアーティスト・たかくらかずきは、日本仏教を大きなテーマに据えてデジタル表現の可能性を追求している。いっぽう東京生まれでのちにリクルートの助成を経てロンドンへ留学し、北九州の生活を経て再びロンドンで活動する映画監督・アーティスト石原海は、個と社会、愛、ジェンダーなどのテーマを、映像表現として提示し続けている。

 歩みも作風も大きく異なる両者には、共通点もある。とかく東京中心に回りがちな日本のアート界において、その他の地域を拠点に活動していること。また、このたび「BUG Art Award」として生まれ変わったアワードの前身「1_WALL」に応募経験がある点だ。地方で活動するふたりのアーティストに、その心構えや、欲しているサポートについて語ってもらった。

作品について言葉を浴びる体験の大切さ

たかくらかずき(以下たかくら) 僕は2012年の第7回グラフィック「1_WALL」に応募してファイナリストに選んでいただきました。応募したのは東京造形大学の大学院を出て、仕事も何もないけど作品をこれからもなんとかつくっていこうと思っていたときです。

 僕は学部が映画だったこともあり、当時すでにデジタルの作品がメインだったので、「デジタルはイラスト。芸術やるなら油絵かインスタレーションやれ」的な「美大油絵」全体が放つムードにうんざりしていた時期でした。かといって「イラスト」だけをやっていこうみたいな気持ちもあまりなくて。それで「ザ・イラスト」でも「ザ・現代美術」でもない文脈のコンペを探して「1_WALL」に行き当たった。当時の「1_WALL」はグラフィックとアートのちょうど中間といった感じの空気を持っていて、独特の文脈を持った貴重なコンペでした。

The Second Stage at GG #45 たかくらかずき展「有無ヴェルト」会場風景

石原海(以下、石原) 私は高校時代に一度だけ応募しました。ただそのときは、ポートフォリオ審査で落ちてしまって。そのころから映像をやりたいとは思っていたものの、つくり方もまだよくわからず、まずは写真をやってみようと思って写真「1_WALL」に出しました。グランプリをとりたい云々というより、落選してもコメントが返ってくる(*)というのを見て、講評を受けてみたいというのが応募の動機でした。応募したときの審査員が鈴木理策さんで、理策さんから返されたコメントがかなり厳しい指摘で。それまで批評されるっていう経験がなかったから、びっくりしました。その後に理策さんが東京藝大の先端芸術表現科で教えていることを知りました。高校卒業後に自分がその学科に進学することとなったので、結果的には「1_WALL」への応募がいまの自分を築くきっかけのひとつになったのかなと思います。

石原海 狂気の管理人 2019

たかくら そういえば僕もファイナリストを選ぶときの公開審査で、菊地敦己さんとかにプレッシャーかけられた気がします(笑)。プレゼンなんて慣れていないから、ものすごい緊張して足がガクガク震えちゃったりしながら、なんとかやり通したのを覚えています。早いうちにそういったプレッシャーのかかる場を経験できたのは、思い返してみればありがたかった。

石原 自分の作品に対して批評を受け取る、ということは大事ですよね。先日『重力の光』という映画を上映したときに、研究者の平倉圭さんとアフタートークとして対談させてもらいました。平倉さんは人当たりがすごい柔らかいのに、緊張感ある言葉を投げかけてくる。久しぶりに、真面目に作品と向かい合わないと心の底を見抜かれてしまう、みたいな気持ちになりました。作品を作ることと同じくらい、またはそれ以上に、本当の意味で作品を見るということ、批評するということは覚悟がいることなんだろう、というのを平倉さんの話を聞いているといつも思います。

 たかくらさんは、新しく生まれた「BUG Art Award」で審査員を務められますね。お受けになったのはなぜだったんですか。 

たかくら いろんな作家の作品を見るのは好きなので、審査員やりたいですという話は以前からしていました。僕自身、当時「1_WALL」の審査員だった都築潤さんや事務局の菅沼さんには、たくさん勉強になる話を聞かせてもらったり、いまだにお世話になっていて、とても大切な出会いをしたと思っていたので、恩返し的な意味合いでも何かしたいなと思っていました。もちろんその審査の結果や言葉がひとの人生を左右することもあるわけなのでヘビーな仕事でもありますが。でもあまり気負わずにやるつもりです。

 審査の場で僕がどんな作品を見たいかといえば、「バランスが悪い作品」でしょうか。作品からその人がこの先やりたいことがはっきり見えてくるものや、または逆に何を考えているのかさっぱりわからない作品とか、とにかく極端に振れているものを見たいです。バランスをとるのがうまくて、どんなテストでも合格点をとってきたタイプの人は、他にちゃんと掬ってくれる人や場所があるでしょうから。いまここで僕が声をかけなければ、この人どこ行っちゃうのか……という作品を見つけたいです。

石原 それは応募する人にとって心強いですね。私にも思い当たることがあって。高校生のときかなりぐちゃぐちゃで混乱した生活を送っていて。その反映なのか、いま思うと支離滅裂な作品ばかりつくっていました。当時ポンピドゥー・センター公式の映像アートフェスティバル「オールピスト東京」が開催されていて、映像の公募枠があり応募してみたんです。そしたら審査員のひとりだった碓井千鶴さんが反応してくれて、作品を選んでくれた。作品が評価されたということはもちろん、めちゃくちゃになっている私の気持ちを投影した作品を受け止めてくれる人がいたという事実が、自分の支えになりました。彼女はそれ以降ずっと私の恩人です。「BUG Art Award」も、大事な出会いがたくさんある場になるといいですよね。

地方よりも東京にいるアーティストこそサポートを

──「1_WALL」を開催してきたギャラリースペース「ガーディアン・ガーデン」や「BUG Art Award」を開催する新アートセンター「BUG」は東京にあって、審査もそのスペース内で行われます。でも、応募するのは東京以外の人のほうがきっと多いですよね。このアワードにかぎらず、展示の場もメディアも、東京に偏りがちなのはたしかです。たかくらさんも石原さんも地方を拠点にしていますが、それで困ることや損得はありますか?

たかくら いま住んでいる京都は芸術面では非常に充実しているので、支障を感じることはないんですよね。あとは出身地の山梨についてですが、住んでいた町では、僕が子供の頃は文化的な情報がなかなか入ってきづらかった。近くに美術館や映画館も少なくて、文化的な刺激を受けられる機会は非常に貴重だった。それでも子供数人で絵を描いたり、マイナーな音楽のCD交換したりして情報をやりとりしてました。現在はインターネットによってその差は少なくなっているとは思いますが、そういった文化的な情報が入りづらい場所でも、絵を描くことや何かつくることが好きな人っていうのは必ず数人は存在するので、そういう人たちに届くようなアワードになるといいのではと思います。

たかくらかずき個展「仮想大戦(銀)」(YOD tokyo、2022)より

石原 私は最近まで北九州に住んでいました。そのとき気になったことは、展示を観る場が少ないこと。現代美術のギャラリーなんて、地方にはほとんどないから作品に触れる機会が限られてしまうなって。

 ただ北九州が恵まれているのは、アーティストラン・スペースのGALLERY SOAPがあること。九州のいろんなところからアーティストや美術が好きな人たちが集まってくるし、そこに行けばいい作品や面白い人たちに出逢える。GALLERY SOAPの存在は、友達がひとりもいない状況で引っ越してから、北九州に住み続けることができたひとつの理由になっています。

たかくら 地方では、東京に比べると美術に触れられる場はまだまだ少ないのは確かです。いっぽうで地方にいると、東京で美術をやることの不便さにも気づけたりします。美術の世界で「生活していく」ためには、美術の世界で「ヒーローにならなければならない」というムードが東京には根強くあるな、と思っています。「美術で有名になること」と「美術で生活できること」ってまったく別のことだと思うんです。

 有名になる方法も固定化されており、海外で活動して逆輸入されるか、有名大学を出てアカデミアで権威を得るか、もしくはマーケットで流行りの絵を描いて芸能人に買ってもらうかの三択くらいしかない。これぜんぶ「ド派手なサクセスストーリー」なんですよね。もちろんそれらができるのは素晴らしいことなので否定はしないですが、それだけが正義になってしまうとレールがはっきり敷かれすぎていて自由度が低い。

 いまいる京都・大阪のアーティストに会ううちにそういったレールが東京よりもないことに驚きました。海外でもニューヨーク以外のあまり聞きなれない国で活躍する人がいたり、デパートで作品売って生活する人も、日本各地のワークショップで生活する人だって立派なアーティストだなと。ド派手なサクセスをしなくても、トリッキーに生き抜くことは十分できる。アーティストって十分「生業」として成立するということを東京を出て発見できました。

石原 それはよくわかります。東京にいると、アーティストとしての自分の居場所がここでは見出せない、という気持ちになるんですよね。

石原海 重力の光 2021

たかくら そうなんですよね。僕はそもそも、クライアントワークの「天井」が見えたから東京を出たんです。学校を出てからしばらく東京で広告やテレビの仕事をしていました。仕事は本当に楽しかったしたくさんの人にお世話になったのですが、続けているうちに大好きな歌手の仕事とかしても、あんまり特別な感じがしなくなってきたんですよね。このまま広告映像やイラストをつくって、こんな仕事やりましたよとフェイスブックに書き込むのが喜びで、そのうちデカイ仕事とかいって紅白歌合戦のアニメをつくったりするのかなぁ。と思うと、ルートが決まっていてつまらないなと思って、そのサイクルから抜けたくなった。

 だけど東京でアーティストをメインでやろうと思っても、東京だと「#ドット絵のイラストレーター」で一度認識されてしまうとそのハッシュタグを取り払うのは容易ではなくて、個展をやっても「#ドット絵のイラストレーターの個展」と認識され続けてしまうんです。東京はプレイヤーの総数が多いのであらゆるものがハッシュタグ化されるという面があり、その利点は広告業界で活用されていますが、美術業界においてはあきらかにそれは文化を貧しくさせる要因だと僕は思っています。

 東京ではじつはアーティストですら「#~ギャラリーで展示」「#~大出身」「#~系の作風」「#~さんの友達」みたいな、大手広告代理店的文脈に回収されてしまっていて、アーティストは消耗線を強いられている。アーティストってそんなに人間関係とか所属集団とか気にする必要あったっけ?もっと自分の興味のままに活動して、それで生活できればいいんじゃない?と僕は思っているんですよ。

石原 私もクライアントワークをやってるけど、自分の未来が見えてきちゃうようなところがあった。このまま仕事をし続けたら、ちょっといい家に住んで、ナチュラルワインとか飲んで過ごすみたいな。自分はそういうことのために生まれてきたわけじゃないなと思ったので、私は北九州に引っ越したのかもしれません。北九州では、自分がどれだけ自由に振る舞っても、そのまま受け止めてくれるような安心感がありました。ロンドンに移ってまた環境が変わり、業界での関係性とか資本主義的な営為から脱却した生き方をするにはどうしたらいいだろう、と考えることが多くなりました。東京にもいいところは沢山あるけど、いまの自分の拠点は東京じゃないなという気がしています。 

たかくら すごくよくわかります。地方で活動するアーティストにとって、企業などが提供できる必要なサポートはどんなものか?と編集部から問いをいただいていたんですけど、地方の問題はわりとインターネットが解決してくれている気がするので、「むしろ東京にいるアーティストをサポートしてあげて」と思っています。

 東京は情報にあふれていて素晴らしい都市だけど、アーティストたちは東京の大企業中心主義や、広告メソッド的な消耗戦に飲み込まれて消耗しがちだと思うので、もっと小さくて個人的なもの、長く続くものやゆっくり蓄積されるものが東京にも必要な気がします。

石原 さらにいえば、わざわざ東京だけに人を集めようとしないほうがいいんじゃないかな。例えば滞在制作の助成金があるとしたら、地方から東京にアーティストを呼び寄せるんじゃなくて、アーティストをいろんな土地に連れて行って、そこで展覧会を企画したりワークショップを展開するとか。そうしたら、地方の人たちもいろんな作品に触れることができるし、そこでコミュニティも生まれるかもしれない。

たかくら たしかに、東京と地方でアーティストが交換されるシステムとかがあったほうがいいですね。あと気になるのは、日本のアート界ではアカデミアとマーケットが分離しすぎていること。双方のアーティストがもっと交流できる機会を設けるのも大事なんじゃないか。その点、応募作にジャンルの区分をしていない「BUG Art Award」は、いろんなものがミックスされる場になり得るのではと期待しています。

石原 アカデミアとマーケット、東京と地方など、くっきり分かれてしまっているものを、ぐるぐるかき混ぜていくような仕組みができてほしいですね。

*──BUG Art Awardでは応募者全員へのコメントフィードバックではなく、二次審査に進むセミファイナリスト20名に審査員全員からのコメントが得られる。