藤田嗣治の裸体画が起点。KOTARO NUKAGA「眼差し そしてもう一つの」展でヌード表現を考える

ヌードをテーマとした絵画を中心に展示し、20世紀初頭から現代に至る身体表象を俯瞰する展覧会「眼差し そしてもう一つの」が、東京・天王洲のKOTARO NUKAGAにて12月7日まで開かれている。藤田嗣治の裸体画を起点に、セザンヌから現代アーティストまで様々な作家の作品と併置する本展を、武蔵野美術大学教授の田中正之、ギャラリーディレクターの額賀古太郎のコメントともに紹介する。

撮影=高見知香

会場風景より、藤田嗣治《Nu, Youki aux longs cheveux》(1923)

 ポール・セザンヌ、パブロ・ピカソ、藤田嗣治、エゴン・シーレ、トム・ウェッセルマン、サイトウマコト、マルレーネ・デュマス、キース・ヘリング、井田幸昌。時代や作品スタイルも異なる9名の作品が「ヌード」のテーマのもと、東京・天王洲のKOTARO NUKAGAにて展示されている。

会場風景

 「きっかけは藤田嗣治の裸婦像でした」と話すのは、本展を企画したギャラリーディレクターの額賀古太郎だ。「“乳白色の下地”として知られる色彩と繊細な墨のアウトラインからなる藤田の裸婦は、身体表象の新しい可能性を示したのか。それを検証すること、そして20世紀初頭から現代までの作品の作品を通して身体表象を俯瞰し、固定的なイメージのある藤田を新たな文脈で考えてみたいと思いました」。

 本展の作品点数は21点。そのなかには、先立って銀座のNUKAGA GALLERYで開催された展覧会「藤田嗣治 ‒Nude‒」で展示した、藤田の裸婦像5点も含まれている。

会場風景より、ポール・セザンヌ《Group de Baigneurs》(1880頃)

 ポール・セザンヌの水浴画《Group de Baigneurs》(1880頃)は、会場内でもっとも古い作品だ。生涯で200点以上もの水浴図を描いたとされるポスト印象派の画家・セザンヌは、画面構成における「造形」として身体を扱い、身体表象の可能性に新たな道を示したひとり。その後生まれたフォーヴィスム、キュビスム、未来派、シュルレアリスムなどの芸術動向のうえで、身体(とくに女性の身体)は、芸術の様式革新を展開する「舞台」になった。

会場風景より、手前がトム・ウェッセルマン《Reclining Nude #21》

 ポップ・アートも例外ではなく、女性の身体を重要な「舞台」とした美術動向のひとつ。本展では、鮮やかな色面と大胆な構図で女性の裸体を描いた「グレート・アメリカン・ヌード」シリーズで知られるポップ・アートの大家、トム・ウェッセルマンの作品が2点並ぶ。

 後日ギャラリーが発行する展覧会カタログに論考を寄稿する田中正之(武蔵野美術大学教授)は次のように話す。「ポップ・アートの作家と言えば、アンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインらを思い浮かべるかたが多いかもしれません。彼らは一度表現されたものをさらに表現するスタイルが特徴。ウェッセルマンも同様に既存の雑誌グラビアをモチーフにし、大衆がつくり上げる欲望のイメージと“普通の女性”のイメージとが奇妙に混在する作品を描いた。生々しさとクールさが共存する作風が印象的です」。

会場風景より、サイトウマコト《Brix = 16》(2010-11)

 ポップ・アートはグラフィックデザインとも親密に結びつくが、1970年代よりグラフィック・デザイナー、アーティストとして活動してきたサイトウマコトは、カンヴァスの大作、そしてラムダプリントの作品2点を出品している。2色からなる作品は抽象度が高く、一見すると丘、山などの風景画のようにも見えるが、被写体となっているのは女性の下腹部だ。

 モデルとなった女性との実際の性行為の最中にサイトウ自身が写真を撮り、それを元に制作されたこれらの作品において、描かれる対象との距離は極端に近い。「ギュスターヴ・クールベの《世界の起源》を思わせる作品。本展にはキース・へリングの絵画《Untitled》(1988)も展示されていますが、ヘリング作品に見られる自由・解放とは異なる、内密さを見てとることができます」と田中は話す。

会場風景より、キース・ヘリング《Untitled》(1988)

​ なお、ヘリングの《Untitled》は、88年、ホワイトハウスで行われたイースターのエッグハントのために描かれた作品であり、イベントを経て小児病院が所蔵。その後個人コレクターへ渡ったユニークな来歴を持つ。

会場風景より、マルレーネ・デュマス《Young boy(Love fever)》(1996)

 本展には女性をモチーフとした裸体が多く並ぶが、そのなかで異彩を放つのが、マルレーネ・デュマスの《Young boy(Love fever)》(1996)だ。本展で唯一、女性のペインターでもあるデュマスは、写真や映像を素材とした人物画を通して、人種、セクシュアリティ、死、暴力などに向き合ってきた。

 手を頭上に掲げ、天を見上げる男性。その身体的特徴から、写真家・篠山紀信が三島由紀夫をモデルとした有名な写真を想起する鑑賞者は少なくないだろう。田中は次のように話す。「三島由紀夫がポーズをとるうえでイメージしたのは、グイド・レーニ《聖セバスチャンの殉教》だと言われています。古典古代の理想的身体を意識していたんですね。デュマスは本作を通して“身体を理想化するとはどういうことなのか?”と懐疑を表しているようにも感じられます」。

会場風景より、エゴン・シーレ《SEATED MALE NUDE WITH LOWRED HEAD》(1910)

 「理想の身体」の否定。それは、力強い裸体画が大勢を占める20世紀初頭において、弱々しく無防備な身体を描いたエゴン・シーレの作品《SEATED MALE NUDE WITH LOWRED HEAD》(1910)からも見てとることができる。

会場風景より、キース・ヘリング、エゴン・シーレ、井田幸昌、パブロ・ピカソの作品が並ぶスペース
会場風景より、井田幸昌《Male nude》(2019)

 本展における最年少作家は1990年生まれの井田幸昌。2017年にはレオナルド・ディカプリオファウンデーションオークションへ最年少で参加するなど、世界各地のアートコレクターから注目を集める井田が、本展のための新作7点を出品している。デュマスと同様、井田が出品する作品のひとつには男性の裸体画《Male nude》(2019)が含まれる。

 「ウェッセルマンとは対照的な、エモーショナルな筆致が特徴。裸体画には、古代彫刻の造形をベースとした伝統的なポーズがありますが、そうした模範から外れた井田さんの裸体画からはくつろぎと親密さを見ることができる。その親密さとは、“鑑賞者の覗き見”と“鑑賞者が絵画に向ける心理的距離”など、多義的だと思います」。

ともに1923年に描かれた作品。手前がパブロ・ピカソ《Femme nue debout tenant une serviette》(1923)、奥が藤田嗣治《Nu, Youki aux longs cheveux》(1923)

 美の規範から個人の表現へと移り変わった裸体表現。多彩な作品が並ぶ本展では、それらふたつのあり方を念頭に入れた鑑賞方法をおすすめしたい。そして、裸体表現というテーマのもとで固定イメージを脱いだ藤田の5点の裸婦画はどのように見えてくるだろうか? ぜひその目で検証してほしい。

左から田中正之、額賀古太郎。エゴン・シーレ《SEATED MALE NUDE WITH LOWRED HEAD》(1910)の前で

編集部

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