あらゆるアーティストには二面性がある
――まず、会田さんにとっての藤田嗣治とは、どういう存在なのでしょうか?
おこがましくも、共感する部分が多いアーティストですね。たとえば藤田の代名詞にもなっている初期エコール・ド・パリでの成功は、西洋人に受ける、美術界で認められるための絵を描いた、演技の部分が多かったと思う。僕自身、絵画のなかで女の子の脚を切ってみたりと、計算と自覚的な演技でつかんだ小さなチャンスからデビューした人間なので、藤田の気持ちがわかるんです。
――演技というのは、具体的にどういったことですか?
世間に受ける作品をつくること、そして成功の見返りに、「画家」という演技をし続けるということですね。僕は「駄作の中にだけ俺がいる」という自分の言葉が気に入っていて、額装して飾ったり、展覧会タイトルにも使ってきた。会田誠の写実的な作品や、日本画、日本古美術を引用して人から高く評価されている作品というのは、僕のなかでは演技から生まれたものなんですよね。
――それゆえに、「駄作の中にだけ(本当の)俺がいる」と。
そう。あらゆるアーティストには多かれ少なかれ二面性があって、一面性だけで活動できている人は幸せですね。
戦後、藤田の少女像に生じた異変
――藤田はエコール・ド・パリの作品のほかに、戦争画、そして少女を描くなど、変幻自在に作風を変化させながら傑作を生んできたイメージがあります。
藤田は器用貧乏。器用すぎて結果、大きなところで損してますね。そこが面白いし、魅力があるんだけど。僕個人、その切なさもちょっとわかる感じがしている。近代以降は、不器用な人ほど一流芸術家で、器用な人はイラストレーターになる。「この描き方しかできない」と、不器用であるほど一流になるという意味においては、藤田は融通が効くアーティストだったと思う。だから、ある種の愛好家が「藤田の絵が好きじゃない」という気持ちも理解できます。
――そんな器用な藤田が繰り返し描いてきたのが「少女」のモチーフでした。会田さんは『藤田嗣治の少女』のまえがきで、戦争画で糾弾された後、つまり戦後に描かれた少女について「藤田の少女像はここからが本番となる。圧倒的に数が増えるだけではなく、質に決定的な変化が現れる」と書いています。これはどのような変化なのでしょうか?
素直で正直というか、優しい雰囲気になったというか、緊張感がないというか……。戦後から晩年にかけての少女像をどのようにとらえたら良いか、最初はかなり戸惑いもあったんです。『藤田嗣治の少女』に関わった後はある程度納得しましたが、それでもまだ少し違和感が残っていて。
――戦後の少女像の変化は、藤田にとっての進化・進歩なのでしょうか?
というよりも、隠していた地金が出てきたんじゃないでしょうか。老人になって、ある意味ガンコおやじ的になって、自分に揺るぎない自信ができて迷いがなるうえ、客観的にアドバイスする人も周りにいなくなる。唯我独尊的になって、ますますもともとの地が出てきたんですね、多分。若い頃は色々と制御してたんだと思いますよ。
アーティスト、生活者としての藤田の「失敗」
――『藤田嗣治の少女』のあとがきで、会田さんは藤田の「失敗」についても言及されています。
藤田には、芸術家としての失敗と、生活者しての失敗があると思う。生活者としては、晩年、自分の意思で日本に二度と帰らなかったということ。昨年、藤田が晩年暮らした家を訪ねたのですが、美空ひばりのレコードや炊飯器が置いてあったりして、「あぁ、ナショナルの電気釜で白いご飯を食べてたんだな」って。少なくとも戦中までは、日本に帰らないなんて望んでなかっただろうし。あと、「失敗」とまでは言いませんが、奥さんが別の人だったら違う晩年だったんじゃないかなって思いますね。晩年の藤田は考え方や生活、絵には、若い奥さんの影響が出ていると思う。
――芸術家としての「失敗」についてはいかがですか?
これはどうしようもないことだけど、歴史の残り方ですかね。モディリアーニのように早死にしてロマンチックな伝記として残る方向もあったと思うけど、美男子とは到底言えない藤田には、いまも昔もその枠が与えられてはいない。西洋美術史においてエコール・ド・パリ時代の画家として藤田がどれくらい存在感があるか、愛されているかは微妙で、実態はわからないですよね。
加えて言うならば、戦後の抽象やアヴァンギャルドが勃興するなかで、藤田含めエコール・ド・パリの画家たち全員が過去の人になった。でも、大ボスであるピカソは死ぬまでブイブイ言わせて、美術ジャーナリズムを死ぬまで賑わせていた。それはエコール・ド・パリの画家たち全体の失敗でもあったかもしれないし、しょせん日本人アーティストの枠はそういうものだったのかもしれないとか思いますよね。
藤田の心の自画像としての「少女」
――藤田が描いた少女の作品で、とくに気になる1点やお気に入りはありますか?
戦後、子供の絵で一番上出来だと独断で思うのは、《フランスの富》。マザーグースの歌詞のような「ヨーロッパ版わらべ歌」みたいなヨーロッパ特有の不気味さと、藤田晩年固有の不気味さがミックスされたちょうどいい味付けで、面白く感じられる。ただ、いい意味でグッとこないんですよねー。
――グッとこない?
そう。藤田は僕やバルテュスと違ってロリコンじゃなかった。少女を性的な視線で見ていない人の絵なんですね。
――では、藤田はどうして少女を描き続けたのでしょうか? 藤田の少女像はモデル不在だったということですが、空想の少女を描き続けた執念の理由が気になります。
おそらく晩年は、藤田自身の心の自画像を少女に託していたんじゃないでしょうか。一体化して、少女に代弁させている。僕やバルテュスは少女を他者として見ているから、自分の外側にいるものとして、恐れおののいたり、好奇心満点だったりして、これがロリコンの視点なんです。でも藤田の絵からはそういう要素はほとんど見えてこない。ロリコン的な観点で「このポーズ最高!」とかが、一つもない。
――仮託する対象が同性である少年ではなく少女だったのはなぜだと思いますか?
多分、性別が違うから憑依しやすいんじゃないかな。あと、自分にとって余計なものが付いていないというか、清らかなものを描こうとしても、ちんちんが付いている段階で少年でも汚れているから。
――聖なるものとしての少女だった。
そうですね。晩年の藤田が空想だけで描く少女には、明らかに無垢の性質が与えられている気がする。宗教的な絵に少女が登場するけれど、羽が生えた天使だったりする場合もある。《礼拝》では、普通の少女なのか天使なのかわかんないようなかんじで、天使と少女は場合によってはほとんど同等に描かれるものなんですね。
――最後に、『藤田嗣治の少女』をこれから手に取る読者にメッセージをお願いします。
もしかしたら『藤田嗣治の少女』を通して初めて藤田の作品を見る若い人もいるかもしれないけど、そういう人たちは、この本を見てから戦争画を見たり、エコール・ド・パリの時代の作品を見たり、時代を遡っていくのも面白いかもしれないですね。あと、ぜひ、僕が編集したというバイアスは忘れてください! ロリコンとは別の世界なので、僕のことが嫌いな人でも安心して買ってください。