世界中から愛され、強烈な色彩で人々を魅了する画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜90)。37年という短い人生のうち、画家として活動したのは晩年のわずか10年間しかなかった。そんなファン・ゴッホの人生を変えたふたつの出会い——「ハーグ派」と「印象派」に注目した展覧会が、今秋に開催される。7月11日に都内で行われた記者発表会で、本展の見どころが紹介された。
本展は、「第1部 ハーグ派に導かれて」と「第2部 印象派に学ぶ」で構成。約40点のファン・ゴッホの作品に加え、アントン・マウフェやポール・セザンヌ、クロード・モネなどハーグ派と印象派を代表する画家たちの約30点の作品が紹介される。
兵庫県立美術館の館長・蓑豊(みのゆたか)は、本展についてこう語っている。「これまで日本で開催されてきたファン・ゴッホ展は、故郷・オランダの所蔵作を中心に構成することが多かったのですが、本展では、イスラエル、スイス、モナコ公国など10ヶ国・地域、合計25ヶ所という、これまで日本で行われたファン・ゴッホ展のなかで最大規模にわたる所蔵先からの借用を実現しました」。同館の学芸員・小野尚子から、注目作品の紹介が行われた。
まず第1部では、ファン・ゴッホの親戚でハーグ派の主要画家であるアントン・マウフェの作品が出品される。ハーグ派とは、19世紀の後半にオランダ南西部の町・ハーグを中心に活動した画家たちのグループ。豊かな自然のなかで営む人々の素朴な暮らしを詩情豊かに描き出すことが特徴だ。ファン・ゴッホの最初の師匠でもあるマウフェによる《4頭の牽引馬》では、人や馬が川岸や運河に沿って舟を引く「引き舟道」といったオランダでは馴染み深い風景が描かれている。
ハーグ派の画家たちから画材の使い方を学んだファン・ゴッホは、モデルを前にして実際に目で見て、真っ暗な背景に横から光が当たる人物の頭部や、薄暗い室内で食事のテーブルを囲む人々の姿を集中に描いていた。その成果は、《農婦の頭部》(1885)や《ジャガイモを食べる人々》(1885)に見ることができる。
《農婦の頭部》に描かれているのは、何度もファン・ゴッホのモデルを務めた、近所のド・フロート家の娘だ。いっぽう、現在オランダのゴッホ美術館に所蔵されている《ジャガイモを食べる人々》は、ファン・ゴッホの初めて売り物となった作品だ。ファン・ゴッホはその作品について、家族や友人により正確に知らせるため、記憶をもとに数枚の複製原画を制作。手紙とともに送ったという。今回出品されるのは、そのリトグラフの1枚となる。
1886年、ファン・ゴッホは弟のテオを頼ってパリに移住。第2部では、パリで様々な刺激を受けたファン・ゴッホの作品における大きな変化を紹介し、アドルフ・モンティセリと、印象派の画家たちとの出会いに焦点を当てる。彼らからの刺激によって、ファン・ゴッホの作品には原色に近い明るい色彩が用いられるようになり、絵の具も厚く塗り重なるようになった。
そのような刺激は、ファン・ゴッホの《パリの屋根》(1886)や《花瓶の花》(1886)、モンティセリの《陶器壷の花》(1875-78)、カミーユ・ピサロの《ライ麦畑、グラット=コックの丘、ポントワーズ》(1877)、モネの《クールブヴォワのセーヌ河岸》(1878)などの作品からうかがうことができる。
87年に入ってから、ファン・ゴッホの作品には劇的な変化が訪れる。つまり、これまで灰色や茶色を基調とした写実的な作風から離れ、原色を用いて印象派の手法を使うようになった。88年の初夏に、収穫期の小麦畑を描いた10枚以上の油彩画のひとつである《麦畑》(1888)では、小麦畑が画面のおよそ3分の2を占めており、黄色が燃えるように強烈な景色がとらえられている。
また、本展のハイライトのひとつである《糸杉》(1889)は、ファン・ゴッホが自分の左耳を切り落とし、サン=レミの精神療養院に入院した直後に制作したもの。墓場に植えられる糸杉は、死の象徴ともされる。合計3点の糸杉を描いたこのシリーズは、ファン・ゴッホの《ひまわり》と匹敵できる連作だと言われる。ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている本作は、7年ぶりの来日になるという。
そのほか、同じく精神療養院に入院しているあいだに制作した《オリーヴを摘む人々》(1889)や、ファン・ゴッホの静物画のなかでも「もっとも美しい作品のひとつ」と称される《薔薇》(1890)、人生の最後に描いた作品《ガシェ博士の肖像》(1890)なども出品される。
なお、本展の開催にあわせて、ファン・ゴッホの人生にフォーカスした映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』(11月8日〜)やドキュメンタリー映画『ゴッホとヘレーネの森』(10月25日〜)なども上映。ファン・ゴッホの短くも濃密な人生を堪能する機会をお見逃しなく。