洋画家・太田喜二郎(1883~1951)は東京美術学校を卒業後、師である黒田清輝の勧めによりベルギーに留学。帰国後、点描表現で農村風景を描いた明るい色彩の洋画で注目を集めた。これまで太田は、点描表現や印象派を日本にもたらした画家として研究されてきたが、1917年頃に太田が点描表現から平明な洋画へと画風を変貌させて以降のことについては、従来十分な研究がされてきたとはいえなかった。
しかし近年は、太田と他分野で活躍する人物たちとの深い関係の研究が進められており、2017年には、太田と京都帝国大学の考古学者・濱田耕作の関係を取り上げた展覧会「京都の画家と考古学—太田喜二郎と濱田耕作—」展が京都文化博物館で開催された。
いっぽう藤井厚二(1888〜1938)は広島県福山市に生まれ、東京帝国大学の建築科を卒業後、竹中工務店を経て京都帝国大学建築学科に着任。竹中工務店退職後の海外視察の際に見聞した西洋の様式と日本の気候風土を融合させた環境工学を研究し、「日本の住宅」を追求していった。そんな藤井の究極が、何度も実験を繰り返した京都大山崎にあり、重要文化財にも指定されている藤井の自邸《聴竹居》だ。日本の住宅にモダンな要素が加えた斬新な構成の自邸は、自然の環境を取り込んだ建築空間として近年話題になっている。
近年の研究では、京都大学工学部の建築学科で太田が講師としてデッサンを教えていたことによって、藤井とも親しい関係にあったことが明らかになっている。
大正期に京都に建築された《太田邸》(1924)は、藤井の設計によるもので、北側採光を巧みに取り入れたアトリエを持つ住宅。この太田邸の設計に関する藤井のスケッチや、藤井との交流の様子を示す絵巻物や書簡などの所在が確認されるなど、京都文化博物館の研究チームによる調査が進められている。
東京の目黒区美術館では、このふたりの交流に焦点を当てる展覧会「太田喜二郎と藤井厚二ー日本の光を追い求めた画家と建築家」を開催。太田の研究を進めている京都文化博物館と、太田のベルギー滞在時の作品を収集している目黒区美術館との共同研究による本展は、近代京都において絵画と建築という異なるジャンルで活躍した2名の交流を通じて、日本の近代文化の一側面に光を当てていく。