サンプリングと再構築。松山智一が語る「いまを生きる美術」【5/5ページ】

美術の境界を問い直す

──話は少し変わりますが、今回の展覧会では非常に多くのコラボレーションが行われていますよね。ファッションブランドやスナック菓子「うまい棒」とのプロジェクトなど、話題性のあるものも多いですが、しかし通常の展覧会のグッズ制作とは異なっている。そこには、松山さんがアーティストとして活動していく際の思想やアイデンティティが大きく関わっているように感じました。「展覧会の記念に持ち帰ってもらう」というレベルではなく、もっと深い狙いがそこにはある。そのあたりの考え方や、コラボレーションの位置づけについてお聞かせください。

第7章「トリビュート+コラボレーション」の展示風景より

松山 僕の世代にとって、「サンプリングのカルチャー」は創作の根幹にあります。1990年代以降、音楽やファッションの世界では「カット&ペースト」の手法が発展し、新たな表現方法として確立されました。例えば、ヒップホップが生まれた後にエレクトロミュージックが進化し、デトロイトやニューヨークを拠点に世界へ広がっていった。既存のものに最大限のリスペクトを払いながら、それを「自分だったらどのように使うのか」と受け入れる精神──言い換えれば「DIYの精神」で新しいものを生み出すという姿勢です。これが、僕の創作の根幹にある「クロスオーバー」の考え方にもつながっています。

 日本はもともと、1960〜70年代にはジャンルの垣根がほとんどない文化を持っていました。建築家とファッションデザイナー、グラフィックデザイナーが映画制作に関わったり、KENZOが横尾忠則と組んだり、ISSEY MIYAKEがアーヴィング・ペンやフランク・ゲーリーとコラボレーションしたりと、異なる分野が自由に交差していた。日本の文化は本来、そうしたジャンルの壁がないものだったんです。

 今回、麻布台ヒルズ ギャラリーで展覧会を開催するにあたり、美術館ではなくこの場所で行う意義を強く感じました。ここでこそ、自分の創作の根幹にある「商業と文化、美術とファッションの融合」を試みるべきだと考えました。

 最終的に、展覧会の最後のエリアには「トリビュート」として、これらのプロジェクトを集約しました。音楽の世界では「トリビュート」は亡くなったアーティストに捧げるものですが、今回はまだ存命の人々とともにつくり上げたものです。その真ん中には、僕自身がサンプリングしてきた資料のファイルを配置しました。これが僕の創作の根底にあるものであり、今回の展覧会を締めくくる重要な要素だったんです。

第7章「トリビュート+コラボレーション」より

──最後に、この展覧会を見に来た方々にどのようなメッセージを届けたいと考えていますか?

松山 「美術とはどこにあるのか?」という問いですね。僕らは美術の歴史をずっと遡ることができます。過去の作品に敬意を払いながら、新しい文脈のなかで再構築していく。そうやって、僕らがいま直面している「美術館におけるアーカイヴとしての美術」と「いまを生きる美術」という2つの概念のあいだには、まだ距離があると感じています。

 多くの人は、美術をどこか遠い、高尚なものと考えがちです。でも、僕らにとって美術は日常そのものなんですよね。その「日常」と「アートのコンテキスト」とのあいだには、もはや「ハイ」と「ロー」の区分すら必要ないのではないか。

 例えば、メトロポリタン美術館に展示されている浮世絵の役者絵。あれって、当時の感覚で言えば、ブラッド・ピットのポスターを壁に貼っているのと同じようなものでした。でも、それがメトロポリタン美術館や大英博物館に収蔵されることで「美術」として定義される。そう考えると、「美術館にあるから美術」「商業施設にあるから違う」という区別は、たんなるレッテルに過ぎないのではないかと思うんです。

 今回の展覧会では、その「境界」を曖昧にする試みをしました。サンプリングを通じて、アートをより等身大のものとして提示したかった。それが僕にとって、絶対的に意味のあることだと思っています。でも、そうして試行錯誤しながらつくり上げたものだからこそ、鑑賞者にもダイレクトに伝わるものがあると信じています。

第7章「トリビュート+コラボレーション」より

編集部