──両義的な表現になっているということですね。
松山 そうですね。僕自身、これまでキリスト教のモチーフを作品に取り入れることを避けてきました。それは、自分の生い立ちと深く関係しています。僕は牧師の家庭に生まれましたが、自分の意志で洗礼を受けた信者ではなく、いわゆる“ボーン・クリスチャン”でした。幼少期から信仰を叩き込まれる環境で育ったため、教会にはここ10年以上行っていません。しかし、長年刷り込まれた影響で、ルネサンス絵画を見れば、そこに描かれた聖書の物語や象徴を自然と理解してしまうんです。

そうした背景のなかで制作したのが、《We The People》(2025)という作品です。この作品では、アメリカという国を象徴するものを、一見ポップで日常的なモチーフに置き換えることで、現代社会の構造や矛盾を浮かび上がらせようとしました。例えば、画面にはカラフルなシリアル──フルーツループのような、栄養価はほとんどないのに広告やキャラクターで魅力的にブランディングされた食品が描かれています。こうした商品は、アメリカのファーストフード文化や消費社会を象徴する存在なんです。

さらに、そうした「食」に続くのが「薬」なんですよね。アメリカでは、スーパーの薬局コーナーで鎮痛剤などが簡単に手に入るし、処方箋薬のテレビコマーシャルもごく当たり前に流れている。最近では「ゾンビドラッグ」と呼ばれる動物用鎮静剤が流通し、オピオイド中毒の問題も深刻です。でも同時に、アメリカに来たばかりの頃、僕自身もそのスーパーマーケットの圧倒的なスケールに感動したんです。「ここで何かを成し遂げたい」というリアルな感覚があった。だから、この作品は批判だけじゃなくて、そうしたアメリカの魅力とダークサイドが同居する現実を描いているんです。
作品タイトルの「We The People」は、アメリカ建国時のスローガンに由来しています。画面の中央には、ソクラテスがタンクトップ姿で立ち、ホワイトイーグルとともに、「FREEDOM」と書かれた星条旗が背景にある。つまり、「何を食べるのか、どんな薬を飲むのかも、すべて個人の自由だ」というアメリカの価値観を、現代的な記号として描き出しているんです。


これまでの作品は、「日本からアメリカへ」という視点でつくられていました。つまり、東洋の精神性や仏教的な思想が根底にあり、それを英語という言語を通じて表現していた。しかし、そこにキリスト教を持ち込むことは、どこかアメリカ文化に迎合しているように見えてしまうのではないかという抵抗がありました。
しかし、あるとき気づいたんです。僕の生まれ育った環境では、英語でも日本語でもなく、「キリスト教」こそが自分の公用語だったのだと。そこから、キリスト教の要素を作品に取り入れることに抵抗がなくなり、むしろ堂々と扱うべきだと考えるようになりました。その結果、僕の作品が急激にグローバルな視覚言語として機能し始めたのです。キリスト教の象徴性を使うことは、ある意味で普遍的な記号を持つことでもあり、それが現代のグローバルな社会において強い言語になりうると実感しました。
僕はニューヨークで生活するなかで、アメリカという国がキリスト教的な価値観を基盤にして成り立っていることを改めて感じています。僕自身、そのなかで育ったので理解はできますが、同時に「何か違和感がある」とも思う部分があります。しかし、だからこそ、キリスト教という「公用語」を使って、その矛盾やアンビバレントな部分を表現することができる。いま、それを語ることが重要だと感じています。




















