受け継がれるのは美術館の“DNA”。「はじまりから、いま。」展に見る、70年にわたる作品収集と美術館活動の歴史

東京・京橋のアーティゾン美術館で現在、「はじまりから、いま。1952-2022 アーティゾン美術館の軌跡──古代美術、印象派、そして現代へ」と題された展覧会が開催されている。本展は、同館の前身となるブリヂストン美術館開館から現在に至るまでの作品収集と美術館活動の歴史を遡るかたちで紹介するものだ。70年に渡り連綿と紡がれてきた美術館のDNAともいうべきものとは何か? 本展を担当した学芸員(田所夏子・平間理香)、司書(黒澤美子)に見どころと共に話を聞いた。

聞き手・文=永田晶子 展示風景図版提供=アーティゾン美術館

藤島武二 東洋振り 1924 キャンバスに油彩

──まずは本展の概要を教えていただけますか?

田所夏子 前身のブリヂストン美術館が開館した1952年から数えると当館は今年70周年となり、その歴史を一堂に会してご紹介するのが本展です。当館は2020年の開館以来、年1回のペースで全館を使ったコレクション展を開催しており、最初の開館記念展はテーマ別に所蔵品をご覧いただく内容でした。去年行った「STEPS  AHEAD: Recent Acquisirions 新収蔵作品展示」展は主に近年の収集作品で構成し、アーティゾン美術館としての新しい面をお見せしました。第3弾となる本展は、コレクションの形成史をご覧いただくと同時に、70年の美術館活動の軌跡を資料と共に紹介するのが特色です。司書と共に掘り起こした情報にもご注目いただければと思います。

本展を担当した黒澤美子(司書)、田所夏子(学芸員)、平間理香(学芸課課長)

 展覧会のメインビジュアルには藤島武二(*1)の2つの作品を使っています。左側の《東洋振り》はアーティゾン美術館になってからの収集作品。右の《黒扇》はブリヂストン美術館創設者で実業家の石橋正二郎(*2)が開館以前に個人収集したもので、重要文化財に指定されている当館の代表的作品のひとつです。アーティゾン美術館では20世紀初頭から現代までの抽象表現の展開などへも収集の視野を広げていますが、ブリヂストン美術館時代からのコレクションを補完する収集も続けており、《東洋振り》もそのひとつです。メインビジュアルでは近年収集した《東洋振り》に「いま」、最初期のコレクションである《黒扇》に「はじまり」のイメージを重ねました。

「はじまりから、いま。」展のチラシイメージ

 描かれ方やモチーフの点でも2つの作品は対比的です。《東洋振り》は藤島が欧州留学から帰国後の作品で、人物を横向きに描くルネサンス期の肖像画を思わせる特徴を備えていますが、中国服を着た日本人女性をモデルにしています。いっぽう、《黒扇》は真正面から白いベールをまとったイタリアの女性が描かれ、《東洋振り》の団扇に対して黒い扇を手に持ち、ヨーロッパの雰囲気が色濃く感じられる作品だと言えますね。

 滞欧期の代表作である《黒扇》は、晩年まで藤島が手元に置きなかなか人に譲らなかったそうですが、正二郎とは信頼関係が築かれて亡くなる前年にその作品を託したと言われています。でも、病床にあった藤島は「あの絵がないと寂しくて眠れない」と言って一度手元に戻してもらい、その後再び正二郎の手に渡ったというエピソードがあります。

藤島武二 東洋振り 1924 キャンバスに油彩
藤島武二 黒扇 1908-09 キャンバスに油彩

 展覧会は3フロアにまたがる3章立てで時代を遡る構成になっており、第1章「アーティゾン美術館の誕生」は近年の収集作品を中心に、コレクションと現代美術家の共演による展覧会企画「ジャム・セッション」を機に収蔵された作品も紹介します。「ジャム・セッション」は、アーティゾン美術館になってからの新たな挑戦ですが、その第1回には鴻池朋子さん、第2回には森村泰昌さんをお迎えし、現代美術の文脈のなかで従来の石橋財団コレクションに新たな光が当てられました。これらの展覧会に出品された作品の一部が当館に収蔵され、今回の展覧会にも盛り込みました。またアーカイブ資料として、開館以来続く講演会「土曜講座」の記録も展示しています。

第1章「アーティゾン美術館の誕生」展示風景より、鴻池朋子(手前)と森村泰昌(奥)の作品 撮影=木奥惠三

 正二郎の長男で石橋財団理事長を務めた石橋幹一郎(*3)は、中国出身のザオ・ウーキー(*4)らのフランスを中心とする抽象絵画を個人的に集めており、幹一郎の没後に作品群は財団に寄贈されました。それにより、印象派や日本近代洋画が中心だった石橋財団のコレクションは大きな広がりを持つようになったわけです。第2章「新地平への旅」は、その幹一郎のコレクションと、それを起点に財団が後から収集した戦後抽象美術をご覧いただけます。また幹一郎は、すでに所蔵していた東洋古美術を広く公開するための施設として、石橋美術館別館(福岡県久留米市、現在の石橋正二郎記念館)を建設寄贈しました。当館は古美術も引き続き収集しており、今回新たに収蔵した《鳥獣戯画断簡》なども展示しています。また、ブリヂストン美術館の開館初期に幹一郎が立ち上げた映画委員会によって制作された芸術家の記録映画もご紹介します。

第2章「新地平への旅」展示風景より 撮影=木奥惠三

 最後の第3章は「ブリヂストン美術館のあゆみ」。正二郎が戦後、積極的に集めたモネやシスレーら印象派の作品を紹介します。青木繁や藤島武二、坂本繁二郎ら日本近代洋画のコレクションも重要です。坂本繁二郎は正二郎と同じ福岡県久留米市の出身で、正二郎の小学校時代に図画の代用教員をしていました。後に再会した坂本が久留米出身で早世した青木繁の作品が散逸しないよう集め、美術館をつくってほしいと正二郎に語り、それが作品を収集するきっかけになりました。本章では、そうした初期の収集作品にも光を当てています。

第3章「ブリヂストン美術館のあゆみ」展示風景より 撮影=木奥惠三

 また正二郎の欧米歴訪を資料で紹介し、コレクターとしての経験や背景を振り返っています。正二郎は民間人の海外観光渡航が自由化される前の1950、53、56、62年と4回にわたり欧米を訪れ、仕事の合間を縫って各国の美術館・博物館を足しげく回りました。その結果、ヨーロッパにあるような宮殿式ではなく、米国でみた都市のなかで市民に開かれた美術館をつくりたいと思い立ち、ブリヂストン本社ビルのなかに美術館を開設することを決意しました。歴訪ではイタリアやギリシャ、エジプトも回ったことで古代美術へ関心を広げ、その収集品を展示する専用室も設けました。海外での見聞は、コレクションの形成に大きな影響を与えたのです。

第3章「ブリヂストン美術館のあゆみ」展示風景より、石橋正二郎の欧米歴訪資料 撮影=木奥惠三

──第1章の入り口は、これまで開催した展覧会のポスターが壁面にずらりと並び、壮観です。個人的には80年代にみた古賀春江展やドーミエ展を懐かしく思い出しました。コレクションを核に、様々な企画展を展開してきた軌跡が伝わります。

田所 ブリヂストン美術館開館展以来、ほとんどのポスターは保管していて、今回はすべてお見せしています。

第1章「アーティゾン美術館の誕生」展示風景より、展覧会ポスターの数々 撮影=木奥惠三

──第1章の冒頭に掲げられたのは、先程お話にも出た藤島武二の《東洋振り》ですね。

田所 《東洋振り》は藤島が東洋と西洋の融合を図った重要な作品です。近年になって収集できたのは藤島の他の代表作を当館が所蔵していることが大きいでしょう。その意味で「作品が作品を呼んだ」と言えそうです。似た例を挙げると、正二郎がコレクションのなかでとくに気に入っていた作品にピカソの《女の顔》があり、それと同年制作の大作《腕を組んですわるサルタンバンク》を石橋財団は1980年、海外のオークションで当時のピカソ絵画の最高額で落札しました。当時財団理事長就任前だった幹一郎の「親父が生きていたらきっと買ったはずだ」という考えによるもので、新古典主義時代の貴重なピカソ作品が2つ揃うことになりました。そうしたコレクションのつながりを視覚化したい狙いがあり、冒頭に《東洋振り》、ラストに《黒扇》を展示しているんです。

──第1章は松本竣介らの日本近代洋画、メアリー・カサットら印象派の女性画家の絵画のほか、抽象美術が半数以上を占めています。その先駆けのキュビスムの絵画や未来派の彫刻、米国の抽象表現主義のウィレム・デ・クーニングやジョアン・ミッチェル、具体の白髪一雄や田中敦子の大作が目を引きました。

田所 幹一郎がコレクションした抽象絵画が財団に寄贈されたのを機に、それを補完し展開するための収集が行われるようになりました。対象地域もフランスから米国、日本へと広がっています。

第1章「アーティゾン美術館の誕生」展示風景より 撮影=木奥惠三

──美術家や各界の専門家が講演する市民対象の土曜講座について教えてください。これまで2333回も開催しているのですね。

黒澤美子 ブリヂストン美術館は1952年1月に開館したのですが、翌月早くも土曜講座がスタートしました。年にもよりますが、年間30〜40回ほど開催し、1975年時点で1000回に達しました。当代の名だたる芸術家が多く登壇し、岡本太郎や梅原龍三郎、バーナード・リーチら海外からの賓客も講演しています。本展では、70年間の登壇者とテーマの記録を展示し、関連資料も紹介しました。

 じつは、第1回からほぼすべての講演内容の記録を残しているんですね。1950年代はプロの速記士が書き取った速記を製本し、60年代はオープンリール、70年代以降はカセットテープ、2000年代以降はVHSやDVDによる映像と、媒体を変えて記録を継続してきました。美術館はたんなるイベント会場ではなく、調査研究を行い、歴史を紡いでいく機関なので、こうした情報資料は根幹的な部分だと思います。今回は「記録し残す」活動に連綿と取り組んできたことを展示に落とし込み、皆さんに見ていただく良い機会になりました。

第1章「アーティゾン美術館の誕生」展示風景より、土曜講座の資料展示 撮影=木奥惠三 

──開館初期の1950年代は、美術館が社会教育施設でもあると一般的にあまり認識されていなかったかもしれません。

黒澤 土曜講座は、いまで言う生涯学習活動の先駆けだったのではないかと思います。現在はカルチャーセンターをはじめ様々な学びの場がありますが、戦後間もない当時は、そうした機会は限られていました。開始当初の受講料は1回30円で、手ごろな価格で一流の方の話を聞けるとあって、立ち見客があふれたそうです。

──初年度の登壇者を見ると、建築家の前川国男や坂倉準三の座談会、異色のゴッホ研究者だった式場隆三郎らの名前が見え、どんな内容が語られたのか気になります。その後も、古今東西の美術に加えて、建築、デザイン、映画と実に幅広いテーマで開催していますね。発案者はどなただったのでしょうか?

黒澤 一番の立役者は、美術史家でブリヂストン美術館運営委員だった谷信一です。谷が最初の14年間、約600回分を企画し、その礎のうえで今日まで続いてきました。今回展示をつくるにあたり、記録のありがたみを実感しましたね。リレーのバトンのように、一過性の催しでも職員が記録を残してきた、その姿勢や意識を展示空間から感じ取っていただければ嬉しく思います。長年収集保管してきた図書資料も参考になりました。当館には昔から図書室があり、司書が正職員でいるのですが、それは正二郎が欧米歴訪の際に美術館に図書室があるのを知って情報資料のための空間をつくり、石橋財団が専門家を雇用することの重要性を認識し続けてきたからです。

──2000回以上の講演記録は「宝の山」ですね。

田所 いま講演のデジタル化を進めており、数年前から音声記録のデジタル化や、速記簿のスキャニングを続けています。今回、岡本太郎の講演を会場に掲示していますが、一次資料としても価値があるものだと思います。

第1章「アーティゾン美術館の誕生」展示風景より、土曜講座の資料展示 撮影=木奥惠三

──第2章では1953年から64年にかけ制作した美術家の記録映画が紹介されています。会場では、日本画の前田青邨や漆芸の松田権六らが制作する様子を見ることができますね。

平間理香 幹一郎がブリヂストン美術館映画委員会を立ち上げて制作を指揮し、谷信一が誰を撮影するか等の助言を行ったようです。洋画や彫刻、工芸など多様な分野の重鎮の制作風景や日常を動画に収め、「美術家訪問」などと題した映画に編集しました。美術館運営を協議する委員会でも、重要な作家は撮影しておくべきとの共通認識があったのです。作家のなかには相当高齢の方もいて、私の憶測ですが、いま記録を残しておかねばという強い意志を感じますね。例えば、横山大観の姿を映し出すものは、大観没年の制作です。そのような記録を残しつつ、いっぽうで、開館初期から現代作家の展覧会も開催していたので、同時代のアーティストを紹介するDNAは、アーティゾン美術館で始まった「ジャム・セッション」に受け継がれているように感じます。

第2章「新地平への旅」展示風景より、記録映画の上映 撮影=木奥惠三

 ──どのような場で上映されたのですか?

平間 主に土曜講座や近年は展覧会場などで上映していました。作家の筆の動きやロクロを回す場面といった、「作品が生まれる瞬間」を目の当たりにできるのが動画の面白さです。同じ会場に前田青邨作《風神雷神》を展示していますが、映像を見ると作品の見方、興味の持ち方も変わるのではないでしょうか。

田所 幹一郎は1951年の欧米歴訪の際、パリの映画館でピカソの記録映画を見て、芸術家の制作現場を後世に伝える意義に感銘を受け、映画委員会を立ち上げたと言います。その後、一気に多くの芸術家を取材・撮影したわけですが、洋画家の安井曾太郎は存命中に間に合わなかったと非常に悔やんでいたそうです。

平間 近年は芸術家の肖像写真も収集しています。肖像写真は映像同様、作品や作家に対する想像を膨らませる助けになりますよね。今回は安齊重男とトム・ハールが撮影した同時代の画家のポートレートもお見せします。

第1章「アーティゾン美術館の誕生」展示風景より、安齊重男による芸術家のポートレート 撮影=木奥惠三

──第2章は冒頭にザオ・ウーキーの絵画群が並びます。ザオ作品と言えば、数年前の香港のオークションでアジア人画家の油彩画として当時最高額で落札され、話題になりました。鑑賞のポイントを教えて下さい。

田所 幹一郎が収集した作品を含め19点を当館は所蔵しており、国内最大規模のコレクションかもしれません。中国出身のザオ・ウーキーは留学先のフランスに帰化し、戦後のアンフォルメル運動を先導した批評家ミシェル・タピエらに見出されて、抽象表現主義の重要な作家のひとりと目されるようになりました。会場ではパウル・クレーの影響が色濃い初期作品、展示機会が多いブルーの鮮やかな《07.06.85》など11点を紹介しています。

第2章「新地平への旅」展示風景より、ザオ・ウーキーの作品群 撮影=木奥惠三

 幹一郎は「抽象でありながら具象の迫力を持ち、西洋と東洋が混在している」と評し、ザオ・ウーキーと深い信頼関係を築きながら作品を収集しました。調べたところ、2人は1958年、初来日したザオ・ウーキーがブリヂストン美術館を訪問した時に初めて会い、交流は晩年まで続きました。今回14年ぶりに墨の大作《無題》も公開しています。この作品は幹一郎が直接作家から購入したもので、当初ブリヂストン本社ビルの特別応接室に飾り、それを喜ぶザオからの書簡が残っています。もともと彼は安易なシノワズリー(中国趣味)に陥らないよう墨を使った制作は避けていたそうですが、70年代から手すさびに描いた作品に新境地を見出し、90年代以降より色鮮やかな画風へと展開していきました。幹一郎はアンフォルメルの画家を好んだようで、彼が集めたフォートリエやデュビュッフェの作品と、その後財団が引き継いで収集した作品も展示しています。幹一郎の個人収集はブリヂストン美術館といまのアーティゾン美術館のコレクションをつなぐキーストーンのような役割を果たしたと言えますね。

第2章「新地平への旅」展示風景より、ザオ・ウーキーの作品群 撮影=木奥惠三

──古美術では新収蔵の重要文化財《平治物語絵巻 常盤巻》が初公開されました。

平間 《平治物語絵巻》は東京国立博物館と静嘉堂文庫美術館、ボストン美術館がそれぞれ所蔵する3つの巻がとくに有名で、もとは十数巻あったと考えられ、他に断簡が残っています。当館の《平治物語絵巻 常盤巻》はそれと別系統に属し、同じ鎌倉期ですが、若干時代が下ると言われています。もともとは山口の毛利家に伝来したもので、1974年に東京国立博物館が開催した画期的な「絵巻展」で紹介され、広く世に知られるようになりました。ストーリーは平治物語の後半を扱い、夫・源義朝が討たれ、母を平清盛に捕らえられた常盤が子供たちを連れて京に戻ってくる場面から始まり、源頼朝が伊豆に流される場面で終わるというものです。長さ16メートル以上と長大なため、今回は場面替えをしながらご覧いただくかたちになります。

重要文化財 平治物語絵巻 常盤巻(部分) 鎌倉時代、13世紀 紙本著色

──画家の山口晃さんが本作について語る動画(公式アプリ・スペシャルコンテンツ)を、展示室で視聴しました。「現代の絵師」と言われる山口さんの省察が面白くて、色々な学びがありました。

平間 たんなる作品ガイドでなく、実際に絵を描く方がどう見ているのかを入口として鑑賞者の方にも自分なりの発見をしていただきたいと考えて、山口さんにお願いしたんです。山口さんは絵師が何を表現しようとしているか、ご自身がとらえた感覚を分かりやすい巧みな言葉で語って下さっています。絵巻って面白い、もっと作品を見てみたいと感じるきっかけになれば嬉しいですね。

──新収蔵の《鳥獣戯画断簡》も初公開されました。国宝《鳥獣戯画》のなかでも人気が高い、甲巻のかつての一部です。

平間 これは昭和の時代に米国のコレクターの手に渡ったもので、今回里帰りしました。鳥獣戯画を代表するキャラクターの猿とウサギが描かれ、逃げていく鹿の動きも面白い場面ですね。

鳥獣戯画断簡(部分) 平安時代、12世紀 紙本墨画

──アーティゾン美術館が近現代美術に注力するいっぽう、古美術を継続的にコレクションする目的はなんでしょうか?

平間 展示機会は少ないのですが、正二郎の時代に意識的に古代美術を集めていたので、コレクションのなかには中近東の陶磁器やガラス、南米の焼き物、中央アジアの彫刻など、色々な分野があります。エリアや時代は飛びつつも各地域の特徴的な美術品がダイジェストで見られ、ある意味で総合美術館のような面もあります。ブリヂストン美術館時代は近代西洋・近代日本美術のイメージが強かったと思いますが、コレクション自体は幅広さがあるので、古美術分野も引き続いて強化に努めています。先ほど「作品が作品を呼ぶ」という話がありましたが、平治物語に関して言えば、もとのコレクションのなかに江戸期の宗達工房作の扇面画があり、それがきっかけになって近年《平治物語絵巻 六波羅合戦絵巻断簡》を収蔵し、さらに今回は絵巻が加わりました。点と点がつながって、コレクションの厚みが増しています。

第2章「新地平への旅」展示風景より、古美術の数々 撮影=木奥惠三

──最後の第3章は、その正二郎の収集に焦点を当てています。シスレーやセザンヌ、モネ、ルノワールの作品が並び、やはり印象派が原点だったという印象を受けました。

田所 そうですね。正二郎自身、フランスの印象派の作品をとくに好むと生前語っています。息子の幹一郎によると、正二郎は余白が重要な日本画より、隅々まで描き込まれた油絵に魅力を感じていたそうで、努力家らしいエピソードだなと(笑)。正二郎は基本的に明るく心が穏やかになるような絵画を好み、時代もあるでしょうが、抽象絵画の収集にはさほど積極的ではありませんでした。ピカソの新古典主義時代の作品を非常に愛したいっぽう、キュビスム時代の作品は殆ど集めていなかったところに彼の嗜好が表れているように思います。現在当館ではキュビスムの作品に力を入れており、最近ではジョルジュ・ブラックやジャン・メッツァンジェ、ジーノ・セヴェリーニら代表的作家の作品がコレクションに加わりました。

第3章「ブリヂストン美術館のあゆみ」展示風景より 撮影=木奥惠三
第3章「ブリヂストン美術館のあゆみ」展示風景より 撮影=木奥惠三

──展示室は、黒田清輝や青木繁、岸田劉生らの有名作品も並び、メインビジュアルに使われた藤島武二《黒扇》で締めくくられます。ここでは古代エジプトや古代ギリシャ彫像やレリーフ、陶器も展示されていますね。ジャンルは多岐にわたりながらもある種のまとまりが感じられて、それが個人コレクションがもととなってできた美術館の魅力かもしれません。ところでアーティゾン美術館開館から2年経たちます。本コレクション展の企画を通じて感じたことはありますか?

本展を担当した黒澤美子(司書)、田所夏子(学芸員)、平間理香(学芸課課長)

平間 ブリヂストン美術館のリオープンでなく、まったく新しい美術館が始まる意識を職員が共有してアーティゾン美術館は開館しました。ただ、今回の展示でお見せしているように美術館としてのDNAは受け継がれています。ベースとなるコレクションから、それを基に研究を重ね、代々蓄積してきたこと、それらを展覧会というかたちでご紹介できているわけですので。

田所 アーティゾン美術館は2020年に誕生した新しい美術館ですが、すでに60年以上の歴史があるので、その始まりから現代に至るつながりが感じられる展覧会の構成を考えました。それには作品展示だけでは不十分と思い、美術館活動を肉付けする土曜講座や美術映画といった社会に向けた活動も紹介しました。時間軸を遡ることで、ストーリーが感じられる展示になったのではないかと思います。また、都心で古い時代の美術と近現代作品を一緒に見られる美術館はあまり多くないので、そうしたコレクションの幅広さも盛り込むように心がけました。

黒澤 作品鑑賞とあわせ、各章に散りばめられた資料もご覧いただき、美術館活動の多面性や展覧会を実現させるための資料の収集保管、記録の大切さを感じていただけるとうれしいです。どれも表に出ない地道な活動ですが、美術館の基盤をつくるものです。本展示は、そうした記録や資料の活用の仕方を見ていただく機会にもなっています。

第3章「ブリヂストン美術館のあゆみ」展示風景より 撮影=木奥惠三


*1──藤島武二(1867~1943) 洋画家。明治末期から昭和初期まで洋画壇で指導的な役割を果たした。
*2──石橋正二郎(1889~1976) 実業家。ブリヂストンタイヤ(現ブリヂストン)を創業。ブリヂストン美術館・石橋財団創設者。
*3──石橋幹一郎(1920~1997) 実業家。ブリヂストン社長・会長、石橋財団理事長などを歴任した。
*4──ザオ・ウーキー(1920~2013) 中国生まれのフランスの抽象画家。東洋的な自然観が息づく独自の画風を生み出した。

編集部

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