• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 石橋財団70年の歴史を概観。アーティゾン美術館で見る「はじまり…

石橋財団70年の歴史を概観。アーティゾン美術館で見る「はじまりから、いま」

ブリヂストン美術館を前身に、2020年に新たにオープンしたアーティゾン美術館。その70年の歴史を振り返る展覧会「はじまりから、いま。1952ー2022 アーティゾン美術館の軌跡—古代美術、印象派、そして現代へ」が、1月29日に開幕した。

展示風景より

 5年間の休館と館名変更を経て、2020年に新たにオープンしたアーティゾン美術館。その前身となるブリヂストン美術館開館からアーティゾン美術館まで、70年の軌跡を紹介する展覧会「はじまりから、いま。1952ー2022 アーティゾン美術館の軌跡—古代美術、印象派、そして現代へ」が、1月29日に開幕した。

 ブリヂストン美術館の創設者・石橋正二郎は実業家として成功を収めるいっぽう、日本近代洋画や西洋近代美術を中心とするコレクションを築き、1952年に美術館を設立した。56年には石橋財団設立によって収集と美術館運営が引き継がれ、従来のコレクションはさらに発展した。

 石橋財団は現在、約2800点の作品を所蔵している。本展では、古代美術、西洋近代美術、日本近代洋画、20世紀の抽象絵画や現代美術、そして日本東洋古美術など多岐にわたるコレクションがどのように形成されていったのかが、代表的な作品約170点を通じて紹介される。

 展覧会は、「アーティゾン美術館の誕生」「新地平への旅」「ブリヂストン美術館のあゆみ」の3章構成。近年の収集作品から開館初期のコレクションまで、収集の歴史を遡りながら石橋財団コレクションの70年の歴史を振り返る。

 第1章では、石橋財団の近年の収集活動を中心に紹介。冒頭部に展示された藤島武二の《東洋振り》(1924)は2019年に収蔵されたもので、同館にとっての重要作家のひとりである藤島が帰国後の1920年代に描いた一連の横顔の中国服を着た女性像の作品の最初期のひとつだ。

展示風景より、藤島武二《東洋振り》(1924)

 《東洋振り》は、本展最後に展示されている藤島の《黒扇》(1908-09)と比較してみると面白いだろう。《黒扇》は晩年病床にあった藤島が最期まで大切にしてきた滞欧作のひとつとして石橋正二郎に託したもの。西洋人モデルと日本人モデル、扇子と団扇、正面向きと横向きなど、違いは明白だ。《黒扇》が正二郎の個人コレクションだったいっぽう、《東洋振り》は近年の収蔵品。こうした点からも、両作は石橋財団コレクションの両端をつなぐ、「はじまりから、いま」を象徴するような作品だと言える。

展示風景より、藤島武二《黒扇》(1908-09)

 日本近代洋画や西洋近代美術など従来の中心的なコレクションの充実に加え、石橋財団は20世紀初頭から現代美術へも視野を広げて収集を行っている。第1章では、ヴァシリー・カンディンスキー、ジーノ・セヴェリーニといったキュビスムの代表的な作家や、ヴィレム・デ・クーニング、ジョアン・ミッチェルなど抽象表現主義の旗手、白髪一雄、元永定正、田中敦子など戦後日本の前衛絵画の主要人物など、同館が近年収集に注力してきた分野の作品が並んでいる。

展示風景より、左はヴァシリー・カンディンスキー《自らが輝く》(1924)
展示風景より、左からヴィレム・デ・クーニング《リーグ》(1964)、《すわる女》(1969-80)
展示風景より、エレイン・デ・クーニング《無題(闘牛)》(1959)、ヘレン・フランケンサーラー《ファースト・ブリザード》(1957)
展示風景より、左から白髪一雄《白い扇》(1965)、正延正俊《作品》(1964)《作品》(1965-67)《作品》(1967)
展示風景より、左から白髪一雄《観音普陀落浄土》(1972)、田中敦子《1985 B》(1985)、元永定正《無題》(1965)

 また、アーティゾン美術館が20年の開館後に開催してきた企画展「ジャム・セッション」がきっかけでコレクションに加わった鴻池朋子と森村泰昌といった現代アーティストたちによる作品も、第1章では見ることができる。

展示風景より、鴻池朋子《襖絵(地球断面図、流れ、竜巻、石)》(2020)
展示風景より、左から森村泰昌《M式「海の幸」第9番:たそがれに還る》《M式「海の幸」第5番:復活の日 1》《M式「海の幸」第1番:假象の創造》(いずれも2021)

 石橋財団の第3代理事長・石橋幹一郎の没後、その個人コレクションが遺族によって石橋財団に寄贈され、従来のコレクションに大きな広がりがもたらされた。なかでも、幹一郎が収集したザオ・ウーキーをはじめ、戦後フランスの抽象絵画は、正二郎のコレクションと現在のコレクションをつなぐ重要な作品群となっている。

展示風景より、ザオ・ウーキーの作品群

 中国出身の画家ザオ・ウーキーは、東洋と西洋が融合した独自の画風を切り開き、戦後のパリ画壇で確固たる地位を確立した。石橋財団には現在ザオの作品が19点所蔵されており、第2章ではそのうちの11点が集結している。なかでも注目は、14年ぶりの展示となる、長さ3.7メートルを超える中国紙に墨で描かれた大作《無題》(1982)。幹一郎が同作を購入したとき、画家本人からの礼状が届くなど、両者の深い交流を示すものだ。

展示風景より、右はザオ・ウーキー《無題》(1982)
展示風景より、ザオ・ウーキーの作品群

 また、第2章では幹一郎没後に石橋財団が収集したピエール・スーラージュやアンリ・ミショー、堂本尚郎などの作品に加え、新収蔵の《平治物語絵巻 常磐巻》や《鳥獣戯画断簡》を初公開。

 『平治物語』の終盤を全長16メートルにわたって描いた《平治物語絵巻 常磐巻》は、やまと絵の特徴を示す鎌倉時代13世紀の制作されたもので、平清盛や常盤御前、牛若などが登場し、ドラマティックなストーリーが展開されている。いっぽうの《鳥獣戯画断簡》は、国宝《鳥獣戯画》(京都・高山寺蔵)甲巻の一部だった断簡であり、60年ほど前にアメリカのコレクターの手に渡ったもの。長年の時を経て、日本に帰国を果たした。

展示風景より、《平治物語絵巻 常磐巻》(部分、13世紀)
展示風景より、《平治物語絵巻 常磐巻》(部分、13世紀)

 このように連綿と受け継がれてきた石橋財団の原点をたどるのが、本展の第3章だ。石橋財団コレクションの基礎を築いた正二郎が本格的に美術品収集をはじめるきっかけとなったのは、小学校時代に図画の代用教員だった坂本繁二郎との再会だという。郷里久留米出身の画家・青木繁の作品の散逸を惜しんだ坂本は、正二郎にそれらを集めて美術館をつくることを提言。正二郎は10年あまりかけて《海の幸》など青木の代表作を熱心に収集し、そのコレクションを形成した。

展示風景より、左から青木繁《海の幸》(1904)《わだつみのいろこの宮》(1907)、坂本繁二郎《帽子を持てる女》(1923)

 第3章では、青木や坂本、藤島など日本近代洋画の代表作に加え、正二郎が関心を広げ収集した古代美術や、フランス印象派をはじめとする西洋近代美術の作品を紹介。また、正二郎が1950年、53年、56年、62年の計4回にわたって欧米の美術館・博物館を歴訪した記録を紹介するコーナーも設けられている。

展示風景より、古代美術の展示コーナー
展示風景より、古代美術の展示コーナー
展示風景より、左からクロード・モネ《黄昏、ヴェネツィア》(1908頃)、《睡蓮の池》(1907)
展示風景より、左からピエール=オーギュスト・ルノワール《すわる水浴の女》(1914)、《カーニュのテラス》(1905)
展示風景より、正二郎の欧米歴訪に関する記録資料

 そのほか、これまでに開催された展覧会のポスターや、ブリヂストン美術館開館当初から続く2300回以上の土曜講座の記録、幹一郎が開館の翌年に立ち上げた映画委員会によって制作されたアーティストの記録映画、アーティストの肖像写真などの資料も各章で公開されている。これらの資料とともに、石橋財団コレクションの70年の歴史に向き合ってほしい。

展示風景より、過去の展覧会ポスター
展示風景より、美術映画シリーズに関する写真資料
展示風景より、アーティストの肖像写真

編集部

Exhibition Ranking