原初的な感覚を呼び覚まし、世界の深淵に反転する表現。鴻池朋子インタビュー

新型コロナウイルスが感染拡大する前の1月18日に開館したアーティゾン美術館で、石橋財団コレクションと現代美術家が共演するシリーズ「ジャム・セッション」の第1回として開催された「鴻池朋子 ちゅうがえり」展。野生の気配が立ち込め、五感に訴えかけるインスタレーションを会場全体につくり出した作家に、今回の展示について話を聞いた。

文=福住廉

《襖絵 インスタレーション》(2020)の展示風景 Photo by Nacasa & Partners
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この道だったら仲良くなれるかもしれないと、閉じられた道を再び開いていきました

 ここ数年、鴻池朋子は大規模な個展を全国で立て続けに開催してきた。「根源的暴力」(神奈川県民ホールギャラリー、2015)を皮切りに、「根源的暴力Vol.2 あたらしいほね」(群馬県立近代美術館、2016)、「皮と針と糸と」( 新潟県立万代島美術館、2016〜17)、そして「ハンターギャザラー」(秋田県立近代美術館、2018)。いずれも、基本的な構成を踏襲しつつ、その都度新作を見せる現在進行形の個展だった。かつて鴻池は東日本大震災について「自分の体内でパラダイム・シフトが起きたような感じ」(「震災以後のアート ヤノベケンジ× 鴻池朋子× 八谷和彦×Chim↑Pom」、本誌2011年10月号)と言い表したが、3・11という契機は鴻池の制作活動に新たな密度と速度をもたらしたようだ。

 注目したのは、いずれの個展でも鴻池がつねに新しい表現形式に取り組んでいたという点である。牛やアザラシなど動物の皮を支持体に絵を描くだけではない。版画に取り組んだと思えば、版木も平面作品として見せ、高画質の映像もあれば、走馬灯のような原始的な影絵もある。オオカミの遠吠えを模した発声から民謡のような歌声まで、声をメディウムにしたときは驚いた。歌声の美しさだけでなく、新しい表現手段を次々と身につけてゆく鴻池の底知れぬ欲動を改めて思い知ったからだ。

 本展「ちゅうがえり」もまた、現在進行形で発展する鴻池の表現過程を見せた個展。アーティゾン美術館の6階の広大な展示室に大小様々な作品が展示されている。「瀬戸内国際芸術祭2019」の際、大島に展示された《皮トンビ》や「ハンターギャザラー」展で展示されたカービング壁画《ドリームハンティンググラウンド》など、東京で初めて披露される作品が多い。とくに動線が指定されているわけではないので、鑑賞者は自由に回遊しながら作品を楽しむことができる。

 なかでも突出しているのが会場の中央に円状に設置された襖絵のインスタレーションである。襖の表面にモノクロームで描かれているのは、惑星や大地、竜巻など、地球の断面図。随所に、なめくじや真珠、蜂の巣などの有機物が描き込まれているいっぽう、襖の一部の表面に無数の鋭利な石を突き刺しているから、有機物と無機物で構成されたこの世界そのものを表しているのかもしれない。

 興味深いのは、この作品へのアプローチである。ゆるやかに湾曲したスロープ状の通路を上がると、会場を一望できるやぐらがあり、その先の滑り台を滑り降りると、襖絵の中心に吸い込まれるという仕掛けだ。スロープが描く曲線と襖絵に描かれた竜巻がシンクロして、会場全体を大きく巻き込んでいるかのようだ。

 「私が作品と出合うときって、いつも予想のつかないアクシデントなんです。望みもしないのに出合ってしまう。その感覚と滑り台の強引に背中を押される感じが近いなと思ったんです」。

 もちろん鑑賞者は自分の判断で滑り降りるのだが、滑り台の上で体感するのは、まさしく「強引に背中を押され」たような非日常的な強制力である。誰もが子供の頃に滑り台で遊んでいたにもかかわらず、改めて経験すると、その意外な速度や体幹が揺らぐ感覚に思わずたじろぐのだ。子供が親しんでいる感覚を、おそらく大人は忘却してしまっているのだろう。身体の奥に隠されていた感覚が、作品というアクシデントによって鮮やかに甦る。

《影絵灯籠》(2020)の展示風景 Photo by Nacasa & Partners

身体の内側に広がる世界

 鴻池は様々な表現手段を身につけつつあるが、明らかにひとつの傾向がある。それは、身体性の強調。熊の毛皮を被って舟を引きながら山のなかを流れる川を遡行したり、雪山の中に首から下を埋めて歌を唄ったり、いわゆる絵画や彫刻の身ぶりに飽きたらず、徐々に野外での肉体運動を見せるようになっている。表面的には、パフォーマンスへの進出と要約できるのかもしれない。だが、より正確に言えば、鴻池は肉体で表現しているのではなく、肉体を表現しているように思う。何かを表現するための方法として身体を利用しているというより、身体の内側に広がる世界を肉体が内蔵する微細な感覚で表現しているのではなかったか──。それが証拠に、あの襖絵に描かれている世界を見ていると、まるで私たち自身の肉体の内側を覗いているかのように錯覚するのだ。

 だが、それだけではない。鴻池によると、会場を造営する際、もっとも配慮したのが照明だという。会場の高さがそれほどないので天井からの照明だと光源が鑑賞者の目に障るし、天井がすべて黒いので下から照明を当てるとギラギラと反射してしまう。そこで鴻池は自作の照明を鑑賞者の視線に入らない位置に設置した。これについて、鴻池はこう言う。

 「私たちは目をつぶれば消えちゃうようなことをやっているわけだから」。

 当たり前のように聞こえるかもしれないが、そうではない。おそらくこの発言が意味しているのは、アーティストは物質的な造形を立ち上げながらも、その先に、それほどはかないイメージを生産しているという事実だろう。いちど視線を外すと、たちまち煙のように消え去ってしまうあやふやな何か。それらの曖昧な輪郭を際立たせるためにこそ、照明が重要なのだ。

 けれどもそのいっぽう、鴻池はこうも語る。

 「やっぱり目をつぶってもそこにあるようなものをつくりたい」。

 双方のことばは矛盾しているように聞こえるかもしれない。前者をおぼろげなイメージとして、後者を強固なオブジェとして、それぞれ理解すれば、たしかにそれらは相反する。だが、「目をつぶる」ということばを、文字通りまぶたで眼球を塞ぐという意味ではなく、視覚器官を意図的に離脱させるという意味で理解すれば、双方はほぼ同じことを指していることに気づくはずだ。イメージであれオブジェであれ、視覚とは無関係に存在する作品であるがゆえに、それらは辛うじて肉体そのもので感知するしかない。視覚に依存すれば、見えたり見えなかったりするが、鴻池が「絵画」や「彫刻」、「パフォーマンス」といった表現形式を渡り歩きながら探りだしているのは、それらの基底にある肉体の繊細な感覚ではなかったか。

 視覚という情報処理に優れた器官ではなく、肉体の深部に働きかける美術作品。鴻池の場合、これは触覚性の強調として表されている。かつて「インタートラベラー」(東京オペラシティ アートギャラリー、2009)で発表したように、本展でもつり下げたオオカミの毛皮のあいだを鑑賞者に歩かせたが、人肌に触れる毛皮は、ふだん全開になることは滅多にない触覚を強制的に呼び起こす。あるいは、新型コロナの影響で中止になってしまったが、前述した《ドリームハンティンググラウンド》は、本来、鑑賞者に手で触りながら鑑賞することを求める作品である。いずれもスリープ状態にある全身の肌や手先の触覚を、見えない手で背中を押すように、再起動させるのだ。

鴻池朋子、アーティゾン美術館での《襖絵 インスタレーション》にて 撮影=蔵真墨

 視覚を優先する近代社会において抑圧された肉体の深い感覚を呼び覚ますこと。都市生活者が麻痺させている原始的な感覚を覚醒させること。3・11以後、精力的に活動している鴻池の表現の原型は、この点にある。そこにある種の野蛮な暴力性、つまり有無を言わせず(スタッフや鑑賞者を)巻き込む強制力が作用していることはまちがいない。だが、それを「原始的な感覚」と断じるには、考古学や人類学の知見で明快に論証しなければならない。その作業は専門家に任せたいが、鴻池の発言から、原始的な感覚の外側を埋めることはできなくはない。

 例えば、最近の鴻池は一般的に考えられている美術の常識をますます共有しなくなっている。《物語るテーブルランナー》は、展覧会などの旅先で出会った人々から聞き取った個人的な話の下絵を鴻池が描き、それらに沿って話者である人々自身がテーブルランナーを縫製するプロジェクト。ある種のコラボレーションだが、ここで重要なのは鴻池があくまでも下絵を描く手の役割に徹している点である。プロジェクトの全体をファシリテートすることはあるのだろうが、美術家として個別の作品をコントロールすることはない。しかも下絵は基本的には本絵の陰になるので、その役割は相対的に低い。むしろ物語の発話主体であり、縫製を実際に手がける地域住民のほうが、表現の主体としてふさわしい。有名な美術家であるにもかかわらず、無名の職人のようなのだ。

 あるいは、本展はアーティゾン美術館の所蔵品とアーティストの作品によるセッションを謳った「ジャム・セッション」として開催されたが、鴻池は所蔵品の中から作品を「選ぶことをやめる」選択をし、学芸員が選んだ作品とともに展示することとしたという。

 「視覚的な類似性や美術史を踏まえた批評性など、そういうことばで近代と現代を関係づけることがつまらなく感じてしまったんです(笑)。そもそも、私自身がぜんぜんつながっていないのに」。

 しかし、現代美術の世界はそのような表層的な意味や物語の上に成り立っている。つまり鴻池の欲望はいま、現代美術の内側から外側へ抜け出しつつある。

ドリームハンティンググラウンド カービング壁画 2018 シナベニヤに水彩 364×910cm Photo by Nacasa & Partners

表層を超えた先にあるもの

 では、どこへ向かっているのか。もちろん、「民俗性」ということばで理解することはできよう。《物語るテーブルランナー》には、民俗学が研究対象とする神話や生活様式がイメージとしてたしかに現れているからだ。けれども神話や民話を包括する民俗性ということばもまた、表層的な意味や物語のひとつであることにちがいはない。重要なのは、民俗性ということばの奥で、何をどう表現しようとしているのかを見極めることだ。

 そのための手がかりとなる、ひとつのエピソードを、鴻池は教えてくれた。「瀬戸内国際芸術祭2019」に参加したとき、ハンセン病という悲壮な物語にみずからが組み込まれることに大いに抵抗したという。

「大島の作品も最初は依頼を断ったんです。ハンセン病患者の隔離施設があったという歴史的な条件が強すぎて、何を見ても悲しく見えてしまう。そのデリケートな問題に束縛されるのが本当に息苦しかった。そこで半年くらい島をうろうろ歩いたんです。そうすると山のなかに藪で覆われた古い道を見つけました。調べたら、患者さんたちが山を切り崩してつくった周回路だったんです。この道だったら仲良くなれるかもしれないと、閉じられた道を再び開いていきました」。

 その道が《リングワンデルング》であり、その道中で展示されたのが《皮トンビ》だった。とりわけ地域社会で開催される芸術祭では、その土地の歴史や社会的な主題が作品を制作する与件として美術家に課せられる場合が多いが、これに真っ向から反逆しているのが鴻池にほかならない。

「瀬戸内国際芸術祭2019」での《皮トンビ》展示風景 Photo by Nacasa & Partners

 大島ではもうひとつ、《浜辺の歌》という映像作品も制作された。海の中で立ち泳ぎをしながら歌う映像作品である。この作品が制作された経緯を、鴻池はこのように明かした。

 「島のなかに昔のゴミ処理場だった浜辺があるんです。島の人は誰も行かないその場所に、かつてはハンセン病患者の解剖台が捨てられていた。そこを訪ねたときに、浜辺でつまづいて転んでしまったんです。顔が腫れるくらいに打ってしまったんですけど、倒れたまま遠くに港が見えた。そのとき、『あ、解剖台と同じ視点だ』と気がついた。これで解剖台と仲良くなれる。そこから海に入って歌うのを映像に撮ってみようと思ったんです」。

 解剖台という無機物への同化。おそらく鴻池にとっての肉体とは、無機物であれ有機物であれ、物質と自分を同一化する接触面なのではないか。「仲良くなれる」ということばの裏には、そのような自己と他者を弁別しない自他同一の思想が隠されているように思う。だとすれば、鴻池朋子が切り開いているのは、肉体の深部に伸びつつも、いつのまにか世界の深淵に反転するような、根源的な道なのだ。

(『美術手帖』2020年10月号「ARTIST PICK UP」より)