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なぜ「見えないもの」に惹かれるのか。トニー・アウスラーが語る、創作の源泉とAI時代の想像力【2/4ページ】

デヴィッド・ボウイやマイク・ケリーら──創造は他者との対話から生まれる

──デヴィッド・ボウイやマイク・ケリー、そしてトニー・コンラッド、キム・ゴードン、トレイシー・ライポルド、コンスタンス・ディヤングなど。創作において「他者」と出会うことは、あなたにとってどのような意味を持ってきたのでしょうか。

アウスラー デヴィッドとの出会いは、とても偶然でした。最初のきっかけは、1996年にイタリアで開かれた展覧会です。私は別の予定があって現地へ行けなかったので、代わりにアシスタントを送りました。その展覧会にはデヴィッドも参加していて、「私は彼の大ファンだ。あなたがいまアート作品を制作していることを、心から嬉しく思います」と伝えるようにお願いしたんです。

 すると数ヶ月後、本当に彼から電話がかかってきました。当時は留守番電話の時代で、「Hello, this is David Bowie」というメッセージが残っていて(笑)。私は信じられなくて、親戚や友人みんなにその録音を聞かせて回りました。

 その後、彼はニューヨークのスタジオまで訪ねてきてくれました。当時のスタジオは本当にひどい場所でしたよ(笑)。倉庫を改装しただけの店舗スペースで、蒸気管がむき出しになり、雨漏りもする。上の階のアパートからは水漏れがし、地下には麻薬中毒者が住んでいました。ある日帰ったら、バケツのなかで大きなネズミが死んでいたことまでありました。でもデヴィッドは、その空間をすごく気に入ったんです。彼は床に座りながら、スタジオに置いてあった映像装置やプロジェクターを夢中になって触っていました。私は以前から彼の大ファンで、歌詞をほとんどすべて暗唱できるほどでした。そのため最初は、まるでまったく別次元の人物に会っているような感覚でした。

 じつは彼が来た目的は、私の作品を自分のライブで使いたいという相談でした。眼球の映像や人形作品、頭部へのプロジェクションなどを、自身の50歳のバースデーコンサートで取り入れたいと言ってくれたんです。自分の作品が、あのデヴィッド・ボウイのステージの一部になる。それは本当に夢のような出来事でした。

 でも、もっと面白かったのは、その後の交友関係です。私は彼の大ファンでした。歌詞もほとんど全部覚えていたくらいです。だから最初は、「別の次元から来た人」に会ったような感覚でした。スターという存在は、多くの人にとって現実の人物ではなく、一種のフィクションなんです。でも実際に会ってみると、そのイメージを少しずつ手放して、ひとりの人間として付き合うようになっていきました。

 一緒に美術館へも行きました。ただ、それはそれで大変でしたね(笑)。MoMAでもホイットニー・ビエンナーレでも、人々が彼のまわりに集まってきて、空間そのものの空気が変わるようでした。それは最高に刺激的(電撃的)でした!

 今回初公開する《空(くう)》は、そんな交流のなかから生まれた作品です。1999年から私がプロデュースするかたちでデヴィッド、そしてグレン・ブランカの3人で構想しましたが、完成したかたちで公開される機会はありませんでした。音と映像をミックスする作業は奇妙で、不思議であり素晴らしい体験でもありました。デヴィッドとグレンの創造的なエネルギーに何時間も集中することは最高でした。この作品は、彼らの実験へのひたむきな姿勢を証明するものです。悲しいことに2人とも他界してしまいましたが、私は部屋のなかに彼らの存在を感じました。きっと来場者もそう感じるはずです。

──デヴィッド・ボウイだけでなく、マイク・ケリーとも長年にわたり創作をともにしてきました。そうした協働から学んだことはなんでしょうか。

アウスラー デヴィッドからは、「変化し続けること」の素晴らしさを学びました。私が彼に強く惹かれた理由のひとつは、「言葉」の扱い方でした。私は若い頃から、ウィリアム・バロウズやブライオン・ガイシンの「カットアップ」に影響を受けていましたが、デヴィッドも同じように、その手法を取り入れ、歌詞を生成するためのコンピューターまでつくっていたんです。

 もうひとつ魅力だったのは、アイデンティティに対する考え方です。社会は「あなたはこういう人間だ」と、ひとつの人格に固定しようとします。でもデヴィッドは違いました。新しい人格を次々と生み出し、変化し続けることそのものを創作にしていた。

 いまでは当たり前に思えるかもしれませんが、当時それを実践することは決して簡単ではありませんでした。性的アイデンティティも含め、多くの人が抑圧されていた時代です。だから彼は、私だけでなく、多くのアーティストにとって文化的なヒーローだったんです。あ、彼の素晴らしい音楽も忘れてはいけませんね!

 いっぽう、マイク・ケリーは同世代の作家として、もっと身近な存在でした。1976年に出会って以来、亡くなるまで親しい友人であり続け、何度も一緒に仕事をしました。マイクは本当に天才でした。驚くほど知的で、面白い人物であり、文化を読み解く視点がとても独創的だった。

 私たちよりほんの少し前の「ピクチャー・ジェネレーション」(*1)が映画や広告といったマスメディアを見つめていたとすれば、私たちの世代は、音楽やテレビ、ショッピングモール、ドラッグ・カルチャー、さらにはUFOやニューエイジ、カルト宗教といったサブカルチャーに目を向けました。

 アンディ・ウォーホルがスーパーマーケットを見つめ、ピクチャー・ジェネレーションが映画を見つめたように、私たちは社会システムと「周縁」にある文化を見つめていたんです。そこには、多くの人が見ようとしなかった、その時代の現実が映っていると思っていました。マイクと私は、ジム・ショウやエリカ・ベックマンといった人々とこの考えを共有していました。

*1──1970年代半ばから80年代にかけてニューヨークで台頭した現代アーティストの総称。

編集部