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画家ゴッホを世界に広めたヨーというひとりの女性。原田マハ(作家)×大橋菜都子(東京都美術館学芸員)対談【5/6ページ】

ひとりの女性としての、ヨー

原田 アートマーケットの話が出ましたが、ヨーが活躍した時代を含め、ヨーが「女性」であるという部分にも着目できればと思います。フィンセントを追うようにテオも亡くなってしまいますが、ヨーという女性は、その後も世紀をまたいでしぶとく生きました。

 当時女性であることは、社会の風潮的にもネガティブな要素はたくさんあったと思います。しかしそのなかで、彼女はしぶとく、諦めずに長く生き延びた。

大橋 当時はやはり男性が強い風潮があったり、とくに美術界という古い慣習もたくさん残っている分野で、シングルマザーとして家を守りつつ、フィンセントを世に出してくという二足の草鞋をやってのけたのは、本当に強い使命感を持っていなければできないことですよね。

原田 ヨーはもしかすると、女性だからこそ、さらにいえば母だからこそ、ここまで頑張れたのかもしれないですね。彼女はテオが亡くなったとき、1歳になるかならないかの幼子とともに残されました。 女性であることがネガティブな要素になる当時でも、彼女は彼女なりの使命感に燃えて、母として子供を育てる覚悟とともに、夫がやり残したことを引き継ぐ覚悟をしたのかもしれません。

 じつは、ヨーはもともと非常に自己肯定感が低い子供だったようです。そんな気弱だった少女がどうしてここまで強くいれたのかはもはやミステリーですが、確実な理由はわからないにせよ、全女性の鑑と言えるような見事な彼女の生き様に、同じ女性として誇らしげな気持ちになりました。

編集部