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画家ゴッホを世界に広めたヨーというひとりの女性。原田マハ(作家)×大橋菜都子(東京都美術館学芸員)対談【4/6ページ】

20世紀的なアートマーケットの目覚めを促した功績

原田 ヨーはフィンセントという画家のよき理解者だっただけでなく、その価値を世の中に広めたという点でも評価できますが、なかでも作品を海外に向けてグローバル展開したという点は興味深いですね。

 当時ちょうど19世紀から20世紀に変わる時期で、美術品の価値自体も変化していくタイミングでした。おそらく彼女は、20世紀における美術の価値は、それを愛する人が決める、そしてそれに従ってマーケットが動いていくということを理解していたのだと思います。

 それこそが20世紀という新しい時代のアートのかたちだといち早く気づき、そしてその作品の価値に気付かせるためには、本物の作品を送り込むのが早い、と行動に起こしたところには、とんでもない先見の明があったといえるでしょう。 真の意味で20世紀的なアートマーケットの目覚めをうながした人でもあると考えれば、単純にひとりの作家のプロモーターやプロデューサーと表現すべきではないかもしれません。

大阪展の展示風景より、テオ・ファン・ゴッホ、ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル 『テオ・ファン・ゴッホとヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルの会計簿』 (1889-1925) インク、紙 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

大橋 フィンセントを世に出しただけではなく、生活の中にアートを取り入れる、個人が作品を所有するという文化のきっかけをつくったともいえる部分は、大いに評価すべきですね。

 またもうひとつヨーの功績をあげるなら、複製をつくる許可を快く出したことかと思います。20世紀に入って作品の価格が上がるなか、本物が買えない労働者階級の人にもフィンセントの絵を身近に置いて見てほしいという思いから起こした行動で、その点においてはギャラリストとは違った目線を持っていたと考えられます。

編集部