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画家ゴッホを世界に広めたヨーというひとりの女性。原田マハ(作家)×大橋菜都子(東京都美術館学芸員)対談【3/6ページ】

ゴッホとヨーの運命的な出会い

大橋 そんなヨーとその息子のフィンセント・ウィレム・ ファン・ゴッホが受け継いだコレクションが、概ねゴッホ美術館に継承されているわけなのですが、今回「家族のつないだ画家の夢」というかたちで、家族に焦点を当てた展覧会を開催するに至りました。

 そして今回このメインビジュアルがゴッホの自画像なのですが、実はヨーが初めてゴッホに会ったときの印象に似ていると回想していたものなんです。ヨーからの印象はこういうイメージだったんだなと。

大阪展の展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ 《画家としての自画像》 (1887年12月-1888年2月) 油彩、カンヴァス ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

原田 ヨーはゴッホのどういうところに魅力を感じていたと思われますか?

大橋 最初は、やはり夫であるテオが評価していた画家として、興味を持っていたのだと思います。ただ長年手紙を整理するうちに、作品を描く背景にある思いなどを知り、見方が変わっていったのだろうと、本を読んで感じました。また10代の頃から人の役に立ちたい、社会のためになることがしたいと考えていたヨーは、フィンセントの晩年に垣間見える、人々の慰めになる絵画を描きたいといった考えを知り、人としても尊敬できる画家として、魅了されていったのかなとも思います。

原田 おっしゃる通りだと思います。それにしても、ヨーという人が、いかにフィンセントの画家人生に欠かせない人物か、というのは調べれば調べるほど明らかになるのですが、2人の出会いは、ほとんど運命的だとしか思えません。私は仕事のなかで、「ここでもしこの人が違う選択をしていたら、未来は変わっていたのかもしれない」と思うエピソードに出会うことがあるのですが、まさにフィンセントの場合においては、ヨーの登場がそれに当てはまる。

 この本を読むとわかるのですが、じつはヨーは直前まで違うボーイフレンドと付き合っていたんです。ヨーがもしその人と結婚していたら、また全然違う未来になっていたはず。

 さらにいえば、絵だけでなくそれをサポートするための作品解説を、フィンセントは自身の言葉を使ってテオ宛の手紙のなかで行っていたこと、それにいち早くヨーとテオが気づいていたこと、そしてその手紙には大変な価値があると理解し捨てずにとっておいたことなど、あらゆる奇跡が重なって、今日のゴッホ像、もっといえば現代美術史が成り立っているのだといえると思います。

編集部