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クリスティーズジャパン社長・山口桂に聞くアートマーケットの現状と課題

世界二大オークションハウスのひとつとして知られるクリスティーズ。その日本支社で2018年より代表を務める山口桂に、アートマーケットの現状と課題について話を聞いた。

聞き手・構成=橋爪勇介 ポートレート撮影=林ユバ

山口桂

新たなストリームの誕生

──山口さんが社長に就任されてから約1年半が経ちました。その間、クリスティーズ、あるいはクリスティーズジャパンにはどのような変化がありましたか?

 マーケットは日本人の「買い」が強くなりましたね。僕は長い間ニューヨークにいたので、外から見ていると──とくに西洋美術、印象派、現代美術の分野においては──「売り」が多いような印象があった。僕が渡米する前は売る人が多くて、印象派や現代美術の売りの仕事が山のようにあったんです。でも17年を経ていざ帰ってくると、日本人に新しく買う人が出てきている。印象派も、現代美術も。

──現代美術だけではなくて、ですか?

 そこが結構面白いんです。別に日本を礼賛するつもりはありませんし、金額的には中国にはおよびもつかないですが、ちゃんと新しい人たちが出てきているという感覚はありますね。

──その「新しい人たち」は、前澤友作さんのような起業家でアートもコレクションする、という方の影響が大きいのでしょうか?

 彼のフォロワーもいるし、起業家のみならず、分野を変えて作品を買い始めた人たちもいます。中年ぐらいの、ある程度お金も自由になってきた人たちがアートにお金を使うんだけども、父親のコレクションとは違う分野のものを買いたいとか。

 弊社としても、買いを増やしたいんです。ただ買いを増やすにはコレクターが増えないといけない。種まきをして買いたい人を増やせば、10年20年経ったときに次の作品を買うための売りに結びつく。日本の古美術でいうと、若い世代がいないんです。買う人もいないから売り物がなくなってしまう。それを避けるためにも、印象派、近代絵画、現代美術に関してはもっと買う人を増やしたいですね。

山口桂

──例えば、2019年のクリスティーズでは、11月のニューヨークで戦後・コンテンポラリーのデイ・セールが過去最高額を記録しました。伸び方では、コンテンポラリーが顕著なのでしょうか?

 コンテンポラリーは順調です。『アートのお値段』という映画で、かつて弊社に在籍していたエド・ドルマンがいみじくも言っていたように、「現代美術は数がある」。

2019年5月にクリスティーズニューヨークで行われたオークションでは、ジェフ・クーンズの作品が存命作家で最高額となる約100億円で落札された © Christie’s Images Limited 2020

──たしかに、いまも制作され続けていることが他分野とは異なります。

 値付けに関しては、投機的なケースも多いので、その時その時の高額落札結果に振り回されない冷静さが必要です。もうひとつ、例えばこれまでクリスティーズとはまったく縁のなかった、MADSAKIやKYNEなどの作家たちが出てきて、とくにアジア向きのマーケットができつつある。そういう新しいストリームも含めて、日本はポテンシャルだと思います。

──オンラインの伸びというのも、そうしたストリームに関係するのでしょうか?

 たしかに伸びてはいますが、普通のオークションでもオンラインで参加ができるので、「オンラインのセールスはこう」とは一概に言えない。また50億円の作品は、流石にオンラインオンリー(会場でのオークションがないセール)では売れません。そういう意味では、オンラインセールの上限というのはいまはまだあると思います。

 ただそれにしても、オンラインオンリーが上がってきているのは事実。オンラインの開始当初、1000万円や2000万円の作品は売れないとみんなどこかで思っていた。でもいまとなっては買えてしまうわけです。いまは作品の360度画像もあるし、クローズアップもできる。現代美術であればある程度は判断できるでしょう。そうなると、オンラインオンリーでなくとも、ライブオークションのオンライン参加でも落札額20億円くらいは出てくる可能性があると思っています。

──山口さんのご専門である日本美術についてはいかがでしょうか?

 ちょっと静かですね。これは僕らの責任もあると思いますが、コレクターを育てられなかった。海外で日本美術のコレクターが増えたのは70年代なんです。例えば、エツコ&ジョー・プライス夫妻や、キミコ&ジョン・パワーズ夫妻、あるいはピーター・ドラッカーさんなどのビッグコレクターが生まれた。

 彼らがなぜ日本美術を集めはじめたかというと、日本が高度経済成長期でいろんなビジネスのつながりがあったり、日本人の奥さんと結婚したりして頻繁に来日していたから。そこで日本のいろんな文化に触れて、ひとつ買ったのちに一気にコレクションした、というケースが多い。その国の「美術の経済」と「普通の経済」はリンクしているわけです。

 中国美術が高くなったのは、当然中国の景気がよくなったからです。残念ながら、いまの世界経済を見ると、日本を通り越して中国に行ってしまう。ですからアートの構造もそのようになっている、というのが正直なところですね。

 日本の古美術は、西洋化された家屋では飾る場所がほとんど無いと、日本人自身が思い込んでいる(本当は有るのですが)。こうして自国民が買わないということも、日本美術がうまくいかない理由のひとつだと思います。

山口桂

──日本の古美術は流通量としても減っている?

 そう思います。かつてクリスティーズでは日本古美術のオークションは、ロンドンで2回、ニューヨークで2回の年4回ありました。サザビーズもあわせると、年計8回開催されていたんです。しかしいまや、クリスティーズ・ニューヨークの年1回と、サザビーズ・ロンドンの年1回だけ。あとはオンラインセールですね。

 売り上げも、最高潮のときは1回のセールで20億円くらい売れていました。でもいまは1回のライブオークションをニューヨークでやっても、4億円くらいがいいところ。ただ、中近東やロシアにも買う人はいるので、チャンスはあると思いますよ。

──最近刊行された著書『美意識の値段』(集英社新書)では、「日本美術は文化外交官だ」と述べられています。いまのお話を聞くと、その文化外交を日本美術に頼れない印象を受けてしまうのですが。

 そうですね。ただ唯一の救いは、海外の美術館が買っているということです。メトロポリタン美術館とかボストン美術館、それからクリーブランド美術館とかね。だから外国人が美術館で日本美術を見るチャンスはまだ残っている。

2019年11月クリスティーズ香港で開催された「Can’t Wait ‘til the Night Comes: A Masterpiece by Yoshitomo Nara」セール。《Can’t Wait ‘til the Night Comes》は手数料込みで、落札額9287万香港ドル(約13億5000万円)を達成した © Christie’s Images Limited 2020

文化政策の課題

──日本美術と美術館の収蔵に関連し、日本美術の国宝・重要文化財など「指定品」についても伺います。同書の中では、国は指定品の再調査を早急にすべきだと主張されていますね。これはなぜでしょうか?

 例えば、100年も前に当時の歴史的資料や文献、研究をもとに決めた国宝や重要文化財については、本当は毎年再調査しないといけません。なぜなら新しい資料は出てくるし、その結果は適切に反映されるべきだからです。一度指定したら変更できないという理屈はわからなくもないですが、国宝・重文は国民の税金で保存・修復・管理しているもの。だからそこは適切に見直し、無駄なものに無駄な手当てをしているのであれば直していただきたい。

──美術館は一度作品を収蔵するとなかなか売却しない(できない)。この構造についても変わっていくべきだと思われますか?

 そうですね。とくに国公立の美術館は税金で購入・管理しているので、購入した作品はある意味我々国民の「共有財産」です。そのお金と作品を有効利用してほしいわけです。似たような作品が複数あるのであれば、ひとつをきちんと所蔵し、残りを売却して違う作品を買ってほしい、と僕は思います。国公立の美術館には、一生見せないようなものが山のようにあるはずですから。寄贈だとしても、その保管賃を払っているのはやっぱり税金ですからね。

山口が手がけた藤田美術館所蔵重要中国美術品イブニングセールの様子 © Christie’s Images Limited 2020

──日本の文化政策として、文化庁にはマーケットを盛り上げていこうという動きができつつあり。マーケット側の視点から、どのような点が課題だと感じていますか?

 いまはIRが話題ですが、外国人観光客を誘致しないとやっていけないという判断をしているのであれば、アートこそそこに入れるべきです。例えば、グッゲンハイムのような美術館や、アート・バーゼルみたいなアートフェアを誘致するとか。外国人が、そこに行きたいためだけに来日してくれるようなものを増やすために国が援助することは必須であり、足りていないと思います。

 偉そうなことを言うようですが、政府の中に本当のアートの専門家がいない。とくにマーケットに関するエキスパートがいません。もし国にマーケット感覚があれば、国公立美術館の所蔵品を一度精査し、不要な作品を売却し、白日のもとにこれをどう使おうかと議論するのが一番いい。

──税制についてはいかがですか? 

 国に有識者として呼ばれ、何度か会議に出ましたね。僕が呼ばれたのは、「外国はどうなんですか?」というような理由からでした。

 例えば、アメリカのクリスティーズやサザビーズには内国歳入庁(IRS)から質問がくるわけです。誰かが亡くなって、作品をオークションにかけるとすると「これはなんでこんな価格なんだ?」とかね。それに対して「この作品はこういうもので、このように優れているので、この価格なんです」と説明しなくてはいけない。それくらい厳しいんですよ。でも日本にはそれがない。極端なことを云えば、アンディ・ウォーホルの版画を質屋に持って行って、「スープ缶を描いた絵なんて、5万円!」と言われたら5万円になってしまう。税務署は全部見ていませんから。日本政府にはこうした査定を専門的にやる人たちがいない。優遇税制もあまりないので、アートをなるべく低く査定するわけです。しかしアメリカでは優遇があるから、ちゃんと査定する。

アートを役に立てる、という考えはやめよう

──いま巷ではアートとビジネスを結びつける書籍があふれ、一種の「アートブーム」になっています。この現象をどう見ますか?

 なんらかのかたちでアートにコミットする人が増えるのは当然いいことだと思います。実際に美術館に行ってアートを見る、というのはぜひやってもらいたい。ですが、それを「何かに活かす」という発想はいい加減やめましょうよ、と。言い方が悪いけど、アートに対する「下心」がありますよね。アートをビジネスに活かして金儲けしよう、というふうに見えてしまう。

 僕はビジネスとしてアートをやっていますが、作品と対峙するときには、「このアートは僕に何を問いかけるんだ」という心構えが必要です。最初から何かに転用しよう、みたいな考えではそういう目でしか見れない。この本が出て、出版社が読者の感想を教えてくれるのですが「最終的にビジネスや家族などいろんなことに生きてくるのがアートの意味である」というようなことが書いてあると嬉しいわけです。伝わった、と。

 外国人と話すときにアートが役立つ、みたいなことも言われていますが、個人的には、日本に生まれたらまずはある程度日本の文化を学んだほうがいいと思う。僕の長い外国の経験を活かすと、「ルノアールのことをちょっと教えてください。その代わりにあなたが日本のことを聞きたかったら僕もできる限り教えます」というのが一番リスペクトされるという感覚があります。何も西洋美術の専門家になる必要はまったくない。知りたいことを知るのはいいですが、「海外でビジネスする時に役立つ」、みたいなことよりは、日本の美術や文化をちゃんと勉強した方が役立つと思いますね。

山口桂

──大雑把な分け方ですが、日本のコレクターと海外のコレクターで「ここは違うな」というところはありますか?

 プライスさんはスポーツカーを買いに行ったのに若冲に出会ってすごいと思って買ってしまった、という伝説的な話とか、ドラッカーさんが雨宿りをするために入ったギャラリーで見た絵に恋に落ちた、みたいな例をよく出しますが、そこにあるのは「自分の目を信じる」ということです。自分の感性に合ったものをまずキャッチして、そこから広げていく。日本にもそういう人はいるとは思いますが、どちらかというと日本の方がアーティストの名前に左右される傾向がある気がします。

──海外のコレクターのほうが、個人でコレクションを形成する意識が強いように思えるのですが、いかがでしょうか?

 強くは言えないですが、ある作家を集中的に買う人というのは、外国の方が多いと思います。プライスさんも「若冲、若冲、若冲......」です。もちろん若冲以外のものもあるけど、ひとりの作家に非常に執着がある。

──いつか日本でもクリスティーズのライブオークションを見てみたいですが。

 やりたいですが、問題は税制です。保税地帯みたいなものが日本のどこかにできるのであれば可能かもしれませんが......。

──先程もありましたが、制度的な問題が課題ですね。

 アートは経済と関わりがありますよね。空港ビジネスやIRなどの大きな流れの中にアートもいないとだめで、文化庁だけじゃなくて経済産業省なども動かないといけないんです。でも省庁の役人たちは身近にアートを感じていないんだと思います。実際に自分の家にアートがあり、そういう環境に身を置かないと実感としてわからない部分があると思うんですよね。

──そこを伝えていくのも、クリスティーズジャパンとしては大きな使命でしょうか?

 そうなんです。買って、自分の家に飾る、そして毎日それを見るというところまでもっていくのが僕らの使命。買ったらそれを倉庫に入れて、5年経ったら出してきて売る、という側面がアートにあるというのは事実です。だけどそうではない部分が重要だと思いますね。

編集部

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