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[特別寄稿]山本浩貴:現代アートにおいて国旗を損壊することは何を意味するか──私が国旗損壊罪法に反対する理由【2/3ページ】

3.

 冒頭の問いに戻る。そもそも、現代アートにおいて国旗を損壊することはどのような意味をもつのか。当然、その意味はひとつではない。とはいえ、しばしばアーティストが国家──その政策、そこで発生している事象──を批判し、抗議するために作品のなかで国旗を損壊してきたのは事実だ。

 文化研究者のポール・ギルロイは著書『ユニオンジャックに黒はない』(1987)でイギリス社会が歴史的に黒人コミュニティを周縁化してきたことを批判し、差別的な人種政治に抵抗する芸術や音楽の可能性を考察した(ポール・ギルロイ『ユニオンジャックに黒はない──人種と国民をめぐる文化政治』田中東子・山本敦久・井上弘貴訳、月曜社、2017年)。ギルロイはアンダーソンが明らかにした国家の構築性は認めつつ、その議論からは国家が「どのように」構築されたのかについての検討が抜けていると指摘する。国家の構成員に誰が包摂され、誰が排除されているのかについての検討だ。

エディ・チェンバース《国民戦線の破壊》(1979-80) Presented by Tate Members 2013 © Eddie Chambers Photo © Tate

 ギルロイやスチュアート・ホールら研究者との相互的影響関係のなか、イギリスのブラック・アーティストは作品を通じて「ユニオンジャックに黒がない」ことを批判してきた。エディ・チェンバースの《国民戦線の破壊》(1979-80)は4枚のパネルからなるコラージュで、鉤十字の形をしたユニオンジャックが解体されていくイメージを示す。チェンバースは英国旗のユニオンジャックをバラバラにし、ナチス(すなわち全体主義)を象徴する鉤十字のかたちに再構成した。4つのパネルが左から右に進むにつれ、その鉤十字は次第にほつれていき、最後には旗や鉤十字として認識できないほどに散逸した切片だけが残る。

 《国民戦線の破壊》は国旗の流用と破壊を通した人種差別的イデオロギーへの抵抗である。国旗の流用と破壊を通して国家と全体主義の結託を示唆し、それを分離しようと試みたわけだ。チェンバースが同作を制作した1980年前後、マーガレット・サッチャーが首相に就任した。サッチャーはメディアを通じて「有色人種移民がイギリスに大量流入することの恐怖」を喧伝し、支持率を大きく上昇させた。この政治的キャンペーンは国内の排外主義的感情を喚起し、極右政党である国民戦線の急速な台頭をもたらした。

 《国民戦線の破壊》は、こうしたイギリスの社会状況のもとで理解されなくてはならない作品だ。チェンバースは自著で、黒人の闘争と連帯する作品をつくることで、国内の人種差別に抵抗することは自らの義務であったと述べている(Eddie Chambers, Run Through the Jungle: Selected Writings by Eddie Chambers, Institute of International Visual Arts, 1999)。

アイザック・ジュリアン《テリトリーズ》(1984)、「イギリスの美術」展(ヴェストフォッセン美術館、ノルウェー、2010)の展示風景 Photo by Lars Andreas

 また、ほぼ同時期に制作されたアイザック・ジュリアンの《テリトリーズ》(1984)も、当時のイギリス社会を観察し、そこで暮らす黒人の体験にフォーカスした重要な映像作品だ。《テリトリーズ》は人種、階級、セクシュアリティといった概念が複雑に絡み合って主題をなす。ここでは詳細に検討しないが、同作の後半、ユニオンジャックが燃やされている場面がある。

 この場面は、昭和天皇の肖像を燃やす場面が挿入されていたために日本で強い非難の対象となった大浦信行の《遠近を抱えて》(1982–85)を彷彿とさせる。《テリトリーズ》の意図がイギリス社会における同一化する植民地主義的な声をふたたび断片化することにあったことを鑑みると、ユニオンジャックを損壊することは象徴的な白人中心主義批判であり、たんに国に愛着をもつ人を不快にさせるためになされているのではないことは明らかだ。

編集部