第三節:《大屋根リング》──真床覆衾としての《太陽の塔》
万国博覧会とは、近代化による科学技術の発展、帝国主義の成果を称揚し、分類展示することで、文明の進歩によりもたらされた所産が、民衆の生活にとって善であり正義であるという価値観をもって啓蒙することを使命としている。吉見俊哉は、ミシェル・フーコーを補助線にし、「博覧会は、博物館や植物園、動物園などにおいて発展してきた視覚の制度を、産業テクノロジーを機軸とした壮大なスペクタクル形式のうちに総合した」(*46)と説明する。吉見のいう「視覚の制度」とは、フーコーのいう規律訓練型の「《表》(タブロー)」のことであるが(*47)、その整然とした分類秩序に対してフーコーが、ルイス・ボルヘスのとあるテクストを挙げていることは、あまりにも有名である。そのテクスト、ボルヘスの挙げる中国で編纂された百科全書での分類において、異形や怪物が日常の景色に平然と並べられているその空間のうちにおける距離の近さを、フーコーは「〈混在郷〉(ヘテロトピア)」として「〈非在郷〉(ユートピア)」に対置する(*48)。このヘテロトピアに、藤本は魅せられたというのだ(*49)。つまり、藤本の森は、人為に対して無為の、人工に対して自然の、「ダブルベットの上」の「森」(*50)、すなわち権力のヘテロトピアに対して、それを無化するオルタナティブなヘテロトピアの種を胚胎しているといえるだろう。《リング》においてもそれは同様である。それでは、その《リング》とは、どのような建築であるだろうか。
端的にいえば、藤本の森──母胎の反転──は、EXPO2025における《リング》においても実行されており、それは《中野本町の家》を開いて《せんだいメディアテーク》の場所を生成するような手口で、岡本太郎の《太陽の塔》(1970)に穴を開けて押し広げ、内外を反転させることで《リング》の外縁を形成した、という形で現れているのである。
EXPO2025において会場デザインプロデューサーを務めた藤本は、直径625メートル、高さ12メートルの木組が外縁を一周する《リング》を設計した。椹木野衣が岡本の言葉を借りて「ベラボー」(*51)と称すように、印象としてはとにかく巨大な存在感で唖然とさせる代物である。藤本は、《リング》を「多様でありながら、ひとつ」(*52)を達成するものだと言うが、それは一見丸い一つの円で完全に閉じられていて、どこにも多様はありそうにない。しかし、「閉じられているはずの円環が外部に開かれている」(*53)と藤本が言うとき、それは円というより、バンコクのスラム街で木が突き破っていた屋根にあったような、《せんだいメディアテーク》でチューブが形成していたような穴である。
一九七〇年の大阪万博で丹下健三さんがつくったお祭り広場の大屋根は穴が開いていて、丸い空が切り取られていました。科学技術の粋を尽くした大屋根は未来だと言われました。しかし岡本太郎さんは、「いや、むしろ人の命がその先の未来だ」と穴を突き抜けたわけです。その時から空は、人間の命だけではなく地球全体のイメージを象徴する鮮やかな風景として、ここにつくられていました。ただ当時は、「太陽の塔」だけが空に向かって伸びていました。そこから五〇年以上の時を経て、この空をもっと大きく、世界中のパビリオンと地球上の人がみんなで共有できるひとつの空にして、もう一度この大阪の地に持って帰ってこようという思いも込めています。(*54)
以上から分かることは、藤本の主張する《リング》は、理念的には岡本のアンチモダニズムな考えを組み込んではいるものの、あくまで丹下健三の《大屋根》に付随していた穴を、時間を超えて持ってきたものだという。そこにおいて、《太陽の塔》は忘却されている。しかしながら、《太陽の塔》とは、「母胎」(*55)ではなかったか。
根源の世界、つまり、はらわたの世界と、地上と、それから未来の空間。未来の空間のなかには、かなりそういう要素が加わってくるだろうと思うけれども、しかし、同時に人間は根源的なものを見失ってはいけない。現在の時点においても、つねに根源をもまたつかまなくてはいけない。だから根源の世界、混沌、迷路、はらわたの世界というものを打ち出しているわけだ。(*56)
岡本の「根源」とは、藤本が建築家なしの建築の例として縄文の家を挙げていたことからも明らかなように(*57)、藤本のいう「原初」と部分的には重なり合っており、両者の未分化(岡本において混沌と言われているもの)は、質的には共通のものである。《太陽の塔》に刻み込まれた根源とは、世界中の仮面に象徴される多様な文化と《生命の樹》の周りで妖しく踊るアメーバから人間に至る数多の生物たちであった。《太陽の塔》が「はらわた」であり「母胎」であるとするなら、藤本の《リング》は《太陽の塔》をたんに忘却したのではなく、むしろその母胎を切り開くことで《リング》という、多様なものが多様なままある一つの森へと転換しているのだ。《太陽の塔》に胚胎された異形や怪物すなわち呪術と生命は、藤本によってその胞衣を切り開かれることで、日本という日常を跋扈する。このようにして、どこか縄文の薫りのする二つの万博には、奇妙な連続性がある。
加えて、岡本はEXPO’70をしきりに「祭り」であると主張し、《太陽の塔》は「人間の誇りを爆発させる司祭」(*58)としたが、それは、塚原史が以下に述べるように、すでに殺された、殺されることで誕生を意味する司祭であった。
太陽の塔は、首を切断された太陽の像である。この太陽は女性=母であり、死を迎えた瞬間に、もうひとつの新しい太陽=新生児を産み落とそうとしているのだ。〔中略〕ふつうは下部の大きな顔に付随する腕と見なされている両側の突起も、母なる太陽が出産のために左右に広げた両脚だと言えないこともない。(*59)
これらを踏まえて、EXPO’70とEXPO2025を連続した儀式であったと見ることが可能になる。フレイザーはその膨大な主著『金枝篇』において、祭司である〈森の王〉がなぜ殺されなければならなかったかを探求しているが、その目的は共同体の再生であり、政治的・演劇的パフォーマンスを駆使して、権力を再編し、社会を再び結束へと向かわせ、王の宗教的威力を維持し続けるためである。岡本が「祭り」を意識したことと、藤本の「多様でありながら一つ」という言葉は、社会の再生産の意識をもって《リング》を建設したことを意味している。万国博という近代を象徴するお祭りにおいて、この儀礼のアルカイックなかたちが、日本における1970年から2025年にかけて存続していたことは、折口信夫がかつて「大嘗祭の本義」等で述べていた、真床覆衾(まとこおうふすま)にまつわるあまりに魅力的なフィクションから解き明かすことができる。
皇位継承においてもっとも重要な儀式、新天皇が神々に新穀を捧げ、自らもそれを食して国家の安寧と五穀豊穣を感謝・祈念する宮中祭祀、大嘗祭(だいじょうさい)。神々との共食を通じて天皇と国民のつながりを確認する、すなわち王が宗教的威力をもって日本を治めるための、現在も続く儀礼である。夕刻から明け方まで続くその秘められた饗宴に、折口は、天皇が胞衣としての真床覆衾(*60)を被り、物忌を経たのち、その裳-衣をはねのけて誕生する、不変かつ一の天皇霊をまとって生まれきよまる天皇の姿を幻視した。母胎から現れる天皇というイメージは、天竜川の奥地、奥三河で行われている花祭りにおける霜月神楽の解釈、とくにその神楽の母胎となった大神楽における白山についての解釈からきている。
此神樂で、先注意しなければならぬものは、伊勢の神樂の眞床襲衾にあたるものを、こゝでは白山と言うてゐる事です。此に這行って生れ出る式があったのです。〔中略〕眞床襲衾が天幕の様になつた訣で、神樂の方では、これに這行る中心行事を、うまれきよまりと言うてゐます。(*61)
「うまれきよまり」の一連の儀式は、修験道からもたらされている。その修験のものたちが、熊野から天皇の起源である伊勢を経て、天竜川の源流である諏訪に到達したのである(*62)。折口によれば、彼らは、国家意識がまだ芽吹く前から続く流浪する「神人團體」であり、「一種の宗教的呪力を持つて諸國を遊行し、其力で村々を幸福にもし、押へもした、後の山伏團體で〔中略〕藝能と咒力とを持つて、旅を続け」ており、また彼らは同時に「山人」であり「鬼」であるという(*63)。なぜ天竜川かといえば、山上である諏訪から山下である太平洋へと流れるその清らかな水が重要であったそうである。そして、その水が出るところとしての諏訪の大社には、柳田国男が『石神問答』で問題とした、石の神であり蛇の神である「ミシャグジ(御左口神)」が憑依し神懸かりすることで生き神となる童男、「大祝(おおほうり)」がいた。ミシャグジは、まさに国家以前の原初的な信仰であり、それは「縄文期のシャーマニズムの色が濃い」とする説もある(*64)。大祝における憑依としてのシャーマニズム、その霊の附着にまつわる道程について、安藤礼二は、白山の儀式と酷似すると指摘し、また天岩戸神話も重ね合わせる。
極楽浄土を模した神楽の庭に柱が建てられ、人々がそのなかに籠もるための巨大な「山」が、白い布と白い紙で築かれる。深夜にその「山」、つまり人工の子宮にして人工の「母胎」を切り裂いて人々を解放する者こそが「鬼」であった。神楽を執り行う者たちは、人々が生まれ清まる、つまり死と再生を体験するために籠もるその「白山」を「真床覆衾」と称していた。(中略)岩戸とは自然が創り上げた聖なる子宮である。大神楽の「白山」も、大祝の「神殿」も、自然の聖なる子宮たる洞窟を模して創り上げられた人工の子宮である。自然であり、人工でもある洞窟のなかで行われる儀式。(*65)
まれびととしての鬼──山人──が、外からやってきて人工の内側を破り去り、自然を貫入し内/外を無化するところに、清めと誕生がある。もはや、強調するまでもないが、この手つきは、諏訪育ちの伊東が、《中野本町の町》を《せんだいメディアテーク》にしてみせた反転の技法と、ぴたりと一致する。実際、伊東は、歴史を辿ると大祝にたどり着く御柱祭が自身の原風景だとし、自身のキャリアを天竜川に模して語る(*66)。そして、その内/外の反転を鋭く見抜いたのも同じく諏訪育ちの藤森照信であった(*67)。ここで重要であるのは、大祝や大嘗祭が実際に記述通りにそうであったという実証的な事実ではなく、諏訪という地の風土や慣習が伊東に流れ込み、《せんだいメディアテーク》を通して藤本へ継承されたその事実の方である。天竜川の分流のように、伊東を源流として、弟子筋の妹島和世や藤本を介しさまざまな建築家へと流れ込んでいく、そんな景色が浮かび上がってくる。藤本の《リング》は、その分流の一つであり、母胎の反転である。フーコーはヘテロトピアの類型として、一過性の祝祭や「あらゆる種類の宗教的あるいは自然主義的価値が伴うような浄め」を挙げていたが(*68)、藤本の《リング》は、未だ謎の多い権力のヘテロトピアとしての大嘗祭に対して、ほとんど同じやり口で別のかたちの「うまれきよまり」を、オルタナティブとしてのヘテロトピアを志向しているのだ。
まとめよう。諏訪から伊東を介して藤本へと、反転の技法が連続していることを本節では確認した。また、藤本の作品において母は忘却されているのではなく、既に開かれ形を変えられ、誕生がなされた状態なのであった。だからこそ、藤本の作品には、伊東との思想の近似性にもかかわらず、閉じられているという印象がないのだ。さらには、原初まで遡行していく藤本のプリミティヴな感性が、国家以前としてのプレモダンな自然、すなわち縄文をその範疇に入れていることも暗示したつもりだ。その思想がもっとも体現されただろう《リング》を前提とすることで《太陽の塔》は真床覆衾として位置づけ直され、穴を穿たれることによって内/外の区別を失う。その結果、鬼すらも含み込む多様な場でありながら、同時にひとつの母胎としての全体的な森が立ち現れる。「多様でありながら、ひとつ」は、多くの万博批判者が言うように達成されていなかったのではない、それは、ある程度まで体現されていた。しかし、だからこそ問題なのだ。森は一つであることによって、《リング》の外すらも内側へと変化させる、永遠の内側としての自然が、まさに何処までも空のように拡がっていく。その風景は、まさしく情報の氾濫する、否応なくつながってしまった現代社会そのものだ。21世紀とは、9・11という、未分化になった世界へのあまりにも悲惨な応答から始まった世紀ではなかったか。果たして、自然と立ち上がる未分化の、内/外がなし崩しになる場所は、藤本が企図するように、人々をつなげるのだろうか。
*46──吉見俊哉『博覧会の政治学』中央公論社、1992、18頁。
*47──「規律・訓練は《独房》・《座席》・《序列》の組織化によって、複合的な空間を、つまり建築的なと同時に機能的で階層秩序的な空間をつくりだす。〔中略〕規律・訓練の主要な操作の第一は、したがって、雑然とした、無益な、もしくは危険な多数の人間を、秩序づけられた多様性へと変える《生ける絵図(タブロー)》を構成することである。〔中略〕十八世紀には表は、権力の技術の一つであると同時に知の手段の一つである。多種多様なものを組織化して、それを端から端までたどり統御するための或る道具の入手が重要であり、しかもその多様なものに《秩序》を課すことが重要なのである」(ミシェル・フーコー『監獄の誕生──監視と処罰』田村俶訳、新潮社、1977、152-153頁)。
*48──ミシェル・フーコー『言葉と物──人文科学の考古学』渡辺一民・佐々木明訳、新潮社、1974、16頁。
*49──藤本は、フーコー『言葉と物』を読んだ際にボルヘスを知ったという(平田晃久、藤本壮介、中村拓志、吉村靖孝、中山英之、倉方俊輔『建築家の読書術』TOTO 出版、2010、126頁)。
*50──「これらの反場所を、位置が確定されたそれらのユートピアを、子供たちは実によく知っている。〔中略〕木曜日の午後の──-両親のダブルベッドである。まさしくこのダブルベッドの上に、大海が見出されるのである。というのも、掛け布団の中で泳ぐことができるから。そしてまた、このダブルベッド、それは天空でもある。というのも、そのスプリングの上で飛び跳ねることができるから。それは森である。というのも、そこに隠れることができるから。それは夜である。というのも、シーツの中で亡霊になるから。そして最後に、それは快楽である。というのも、両親が帰ってきたときに罰を受けるから」(ミシェル・フーコー『ユートピア的身体/ヘテロトピア』佐藤嘉幸訳、水声社、2013、35頁)。
*51──椹木野衣「万博 美術の故郷で見た『ベラボーさ』」『好書好日』2025年4月23日、https://book.asahi.com/ 51 article/15718371、最終閲覧日2025年11月20日
*52──藤本壮介『藤本壮介の原初・未来・森』美術出版社、2025、186頁。
*53──同上、20頁。
*54──坂茂、藤本壮介、大西麻貴+百田有希/o+h『私の建築手法』東西アスファルト事業協同組合、2024、103頁。
*55──岡本太郎『岡本太郎の本1 呪術誕生』みすず書房、1998、11頁。
*56──岡本敏子、川崎市岡本太郎美術館編『対談集 岡本太郎 発言!』二玄社、2004、167頁。
*57──藤本壮介『建築が生まれるとき』王国社、2010、15頁。
*58──岡本太郎、泉靖一、梅棹忠夫共編『世界の仮面と神像』朝日新聞社、1970、1頁。
*59──塚原史『人間はなぜ非人間的になれるのか』筑摩書房、2000、133頁。
*60──真床追衾は、『日本書紀』に登場する、天孫降臨の際に高皇産霊尊が瓊瓊杵尊を覆って降臨させた、掛け布団のようなものや、座布団のようなものともいわれる神宝である。折口は、この真床追衾が、新天皇に天皇霊を付着させる儀式である大嘗祭の神座に置かれる衾(寝具)であるとする説を唱えた(折口博士記念古代研究所『折口信夫全集 第三巻』中央公論社、1975、195頁)。ここでは深入りしないが、大嘗祭に関するこの説自体は実証的な歴史学から否定されている。
*61──折口博士記念古代研究所『折口信夫全集 第十七巻』中央公論社、1976、335-337頁。
*62──山崎一司『花祭りの起源̶̶死・地獄・再生の大神楽̶̶』岩田書院、2012、13頁。
*63──折口博士記念古代研究所『折口信夫全集 第十七巻』中央公論社、1976、322-324頁。
*64──上田正昭ほか『御柱祭と諏訪大社』筑摩書房、1987、23頁。
*65──安藤礼二『列島祝祭論』作品社、2019、13-14頁。
*66──伊東豊雄「建築を耕す:文化としての建築をつくるために」伊東建築塾、2025年9月5日、https:// 66itojuku.or.jp/blog/13663、最終閲覧日2026年1月6日
*67──「とにかく、伊東さんの建築は反転っていう不思議な空間のつくり方をしていて、それが妹島和世さんをはじめとする若い建築家の連中に影響を与えているんだな、と僕は思う」(伊東豊雄、中沢新一『建築の大転換』筑摩書房、2012、118頁)。
*68──ミシェル・フーコー『ユートピア的身体/ヘテロトピア』佐藤嘉幸訳、水声社、2013、46頁。



















