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「万博」は何をもたらしたのか。山本浩貴評「エヴ・カデュー J’AI VU LE FUTUR / 私は未来を見た」

奈良にあるMOMENT Contemporary Art Centerで開催されたカナダ出身の写真家エヴ・カデューによるアジア初個展「J’AI VU LE FUTUR / 私は未来を見た」を文化研究者・山本浩貴がレビュー。世界各地に点在する万博跡地を撮影した代表シリーズ「J’AI VU LE FUTUR(私は未来を見た)」が、万博イヤーに開催された意味を読み解く。

文=山本浩貴

エヴ・カデュー New York 1964-1965 > 2022 インクジェットプリント 261×386.5cm Photo by Haruka Oka

いつか見た未来

 昨年末、奈良県立大学で開催された文化政策学会に参加した。ドクメンタ15を導きの糸にグローバルな視座でアートとポストコロニアリズムの関係を再考するシンポジウムが企画され、ぼくは政治学者の秋野有紀さん(早稲田大学)、キュレーターのレオナルド・バルトロメウスさん(YCAM)と一緒に登壇した。そこでは実りある議論が交わされ、その記録は近々、学会のHPに掲載されると聞く。シンポジウムの空き時間を利用し、地元のアート関係者から情報を得た奈良市内のMOMENT Contemporary Art Centerに足を運んだ。

 その時期に開催されていた企画展は「エヴ・カデュー J’AI VU LE FUTUR / 私は未来を見た」であった。カデューはカナダのモントリオールで生まれ、いまはケベック・シティを拠点に活動する写真家。アジアでは初個展になるという。《J’AI VU LE FUTUR(私は未来を見た)》は、彼女が幼少期にモントリオール万博(1967)跡地を訪れた体験を機に10年以上継続する代表的シリーズである。このシリーズで、カデューは世界各地に点在する万博跡地──すなわち、その現在の様子──をフレームに収めてきた。

 カデューの方法論自体は、とくに新奇なものではない。ベルントとヒラのベッヒャー夫妻と、その教え子で構成される「ベッヒャー派」の写真家たちは、タイポロジーの手法を用いた作品に特徴がある。これは「類型学」と訳され、あるテーマに沿って人や物を分類する手法だ。その制作過程で意想外の政治性が露呈することはあるが、この手法は純粋に形態学的な関心で採用されることが多い。しかし、カデューの場合、このプロジェクトを明確な批評性をもって進めているように思われる。

エヴ・カデュー 大阪 Ōsaka 1970 > 2024 インクジェットプリント 261×174.5cm Photo by Haruka Oka

  日本の文脈で比較項を示せば、「万博」というテーマは様々な作家が探究してきた(いる)。写真家では、関西拠点の畑祥雄がライフワークとして大阪万博(1970)跡地を記録し続けている。同じく写真家の下道基行は、その代表作「Torii」シリーズ(2006-12)で、日本の国境線の外側に残る鳥居──自国の帝国主義的過去が、そのアジア侵略の過程で残した遺物──を撮影した。カデュー同様、とりわけ建造物(とその人々の使用法)に着目しながら、下道もタイポロジー的手法で出来事の痕跡に焦点を当てる。

 下道の「Torii」シリーズがしばしば「ポストコロニアルな」作品とされるのは、それが過去の植民地支配の現在を描くからだ。そこには過ぎ去らない過去、つまり直線的な時間軸に沿って進まない流れが浮上する。カデューのプロジェクトには、さらに錯綜した時の流れがはらまれる。なぜなら、「私は未来を見た」というタイトルが示唆するように、万博は未だ来ない──だが、いつか訪れるはずの──未来の青写真を提示する国策イベントだから。ゆえに、カデュー作品に表出するのは無数の未来の過去の姿だ。

 そうした過去の未来像を(当時の)現在地から再考したのが、美術批評家・椹木野衣の『戦争と万博』(2005)だ。冒頭、椹木はこう始める。

 技術革新に多くを負ったメディア・アートや、9・11以後ですら単純な国際性が即、芸術上での前進と取り違えられてしまう安易な進歩主義がまかりとおってしまうことの背景には、われわれが大阪万博における「未来」の問題を、一方的に断罪/無視こそすれども、正面から批評して来なかったことに原因がありはしないか。じっさい、大阪万博で芸術家たちが果たした役割がなんであったのかと問うことは、事実上、封印されているといっても過言ではない(*1)。

 しかし大阪万博をめぐる議論はさほど深められることはなく、2025年の大阪・関西万博も閉幕を迎えた。今回に至っては「断罪」が後景化し、「無視」が前景化したようにぼくの目には映った。(椹木の言う)「ハンパク芸術」の過激なプロテストまでいかずとも、はっきりと表明された反対の声さえ、アート関係者から発せられなかったと記憶する。ぼく自身含め、美術批評の領域でも万博への応答は乏しかった。管見の限り、元学芸員で批評家の南島興が、ほぼ孤軍奮闘でレビューを重ねていた(*2)。

 その他、数少ない批評的反応として、椹木自身がアーティスト・布施琳太郎のプロジェクト「パビリオン・ゼロ」について論じる。『戦争と万博』の文庫化にあたり、新たに書き下ろされた「あとがき」だ。布施のプロジェクト自体、大阪・関西万博への違和感から構想されたという批評的なものであった。その一環として、布施は椹木、メディア・アーティストの落合陽一とトーク・イベントを開催しているが、その落合がプロデュースしたシグニチャー・パビリオンも、アート界からは黙殺に近い状態であった(*3)。

 芸術学とメディア論の視座から過去の万博をひもとく編著の座談会で、社会学者の加島卓が興味深い仮説を提示している。「1970年の時点では資本主義以外の社会が存在したから」、反資本主義の観点から万博を批判することができた。しかし、「東西冷戦が終結した1990年代以降、そうした別の世界が消滅して、われわれは資本主義のなかから出られなくなってしまい、どのように批判していいのかわからなくなってしまった」と加島は論を立てる(*4)。「資本主義リアリズム」(マーク・フィッシャー)が批判の可能性を封じる。

 では、ハンパク芸術家たちをして、万博を「破壊」するために「共闘」せしめた共通の問題意識はなんだったのか。キュレーターの黒田雷児によれば、それは「テクノロジーによる意識支配への抵抗」であった(*5)。加島の論に重ねれば、2025年の大阪・関西万博に対する黙殺状況は、テクノロジー批判が有効性を失った結果ともとれる。当然、テクノロジーが完全悪だと言いたいのではない。同様に、メディア・アーティストや、それと伴走するキュレーター・批評家・研究者の努力を否定するつもりも毛頭ない。

 ただ、それを差し引いても、万博への批判すら出ないアート界の現状が健全とは言い難い。カデューの写真が示す「未来と夢の廃墟」(椹木)を眺めながら、そうしたことを考えた。その意味で、「エヴ・カデュー J’AI VU LE FUTUR /私は未来を見た」は、きわめて時宜を得た展覧会と言える。本展は、歴史的経緯や外部的視点を含め、直近の大阪・関西万博──そして、未だ清算の済んでいない1970年万博──をめぐる議論を再活性化する契機となる可能性を秘める。いまからでも遅くはないだろう。

*1──椹木野衣『戦争と万博』講談社(講談社学術文庫)、2025年、45頁。
*2──例えば、以下の論考などがある。「大阪・関西万博」レビュー[前編]大屋根リングが示したテーマとは? 藤本壮介が語らなかったその意図を解説(評:南島興)|Tokyo Art Beat
*3── 2025年12月12日、落合は「私は未来を見た」展の関連イベントとして、MOMENT Contemporary Art Centerにて美術評論家の三木学とのトーク・イベントに登壇した。
*4── 暮沢剛巳編『万国博覧会と「日本」──アートとメディアの視点から』勁草書房、2024年、215頁。
*5──黒ダライ児『肉体のアナーキズム——1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』グラムブックス、2010年、276頁。

編集部

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