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第17回芸術評論募集【次席】渡邉武徳「自然のもどき──藤本壮介《大屋根リング》批判」【2/5ページ】

第二節:伊東豊雄──母胎をひっくり返す

 伊東豊雄は、1941年京城(現・ソウル市)に生まれ、その後東京の高校へ入学するまで長野県諏訪郡(現・諏訪市)で育つ。東京大学工学部建築学科を卒業し、菊竹清訓設計事務所に勤務したのちに独立した。

 伊東の作品群は、不思議な変遷を辿っている。その変遷とは、《中野本町の家》(1976)において完全に外に対して閉じていた空間が、《シルバーハット》(1984)を経て《せんだいメディアテーク》(2000)において内/外を反転するという意味で開ききり、また《座・高円寺》(2009)、《台中国家歌劇院》(2016)に至るまで、その反転を保持したまま回帰するように空間を閉じていくという、空間の開閉についての変遷である。山本理顕は、《中野本町の家》の閉ざされた空間を「空間の純粋性」であるとし、「外部性の排除」であると述べる(*24)。そして、山本は、その社会性の欠如に自ら気づいた伊東は、開かれることで他者性を包含しながらも、自らの純粋性を保持する方法はないのかと探り始めたと、説明する。

多分、伊東は自らつくった「中野本町の家」を現実に体験することで、こうした閉鎖性に改めて気がついたのだと思う。これ以降、どうしたらこの閉鎖性を解放できるのか。「空間の純粋性」を確保しながら、それでも一方でこの外部に対する閉鎖性を開放することができるのか、それが伊東にとって最大の問題になっていったのである。(*25)

 以上の山本の発言は、伊東が《せんだいメディアテーク》において、ただ空間を都市に対して開くだけでなく、外部を内部とし、内部を外部へと反転する結果にいたったことを説明している。ただ物理的建築を開くと言っただけでは、観念的な「内部」は保持され得ないのであるから、あくまで「反転」としなければならないのである。藤森照信が「伊東さんの建築のどこが若い人たちの建築に影響を与えたかというと『内と外の反転』だと思う」(*26)と述べるように、伊東の特徴は、その内/外の反転の操作にある。

 《せんだいメディアテーク》を見てみよう。建物全体は、計13本の鉄骨独立シャフト(以下チューブ)と7枚のハニカムスラブで構成され、外壁は全面ガラス張りである。ガラス面のファサードは軽快で、街路樹が映り込み、都市と内部、自然と人工の連続性を感じさせる。チューブは、デザインであると同時に建物を支える柱としての構造体の役割を担っている。ガラスの空間内部は機能に沿った壁によっては区切られず、広がった空間にチューブが物々しく現れるその周りに、均一でない場をつくり出している。そこは区切られてはいないが、かといって同一の空間が広がるのではなく、異質な場がチューブによって確かに存在している。この場所について、伊東は「『場所』という言葉を『均質空間』の対立概念」(*27)「『場所』の対立概念は『機能』という言葉」(*28)と説明し、《せんだいメディアテーク》について以下のように言う。

最初から空間を均質に切り分けて、その中に人びとの活動を封じ込むのではない、人びとが「場所」を選んで行為を起こす、それを喚起できるような「場所」の違いを建築内に生み出したかった。(*29)

 この場所の概念は、〈機能による抽象〉という近代に抗うものである。そして、この場所は、確かに内部空間でありながら、その内部にとっての外部空間はチューブを通って内部を貫通しているために、「『チューブ』の狭間に広がる連続した空間は、『チューブ』からすれば外部空間である。ここは建築の内部でありながら同時に外部空間でもある」(*30)といった反転が起こるのだ。この内/外の反転こそ、藤本に「伊東豊雄さんのせんだいメディアテークのコンペ案は大きな衝撃であり、当時の僕にとってのひとつの出発点となった」(*31)と言わせたアイデアであり、翻って、藤本における森というトポスは、伊東の《せんだいメディアテーク》がなければあり得なかったものと断言できる。

 《せんだいメディアテーク》におけるもう一つの特徴として、それが国家という単位を超えて肥大した情報環境が優位となった21世紀を象徴する建築であることだろう。そもそも、「メディアテーク」という建築の類型自体、それまでの博物館や市庁舎といった、すでに完成されているタイポロジーではない。あらかじめ決定された枠組み──国家ないし美術館等──を、「ヴァーチャル」や「エレクトロニック・エイジの建築」といった言葉で切り込み、相対化する試みが《せんだいメディアテーク》において見られる(*32)。エレクトロニック・エイジとは、伊東によればテクノロジーが自然と対立するどころか、新たな自然の形を生み出す時代である(*33)。そこでは、「電子メディアを介して私たちは閉じた個を外界に対して否応なく結びつけられるのだ。〔中略〕新しいメディアの登場は知らず知らずのうちに、内と外の境界を曖昧にしてしまうので」(*34)ある。さらには、その環境を「森」という言葉で表現する。

ヴァーチャルな身体をいかにプリミティヴな身体に統合し得るかが今日の身体に問われている(中略)私たちが建築空間に森あるいは林といったイメージを生み出そうと試みたのも、こうした空間の二重性の解消を意図したからである。すなわち林立する樹木のような空間によって空間の流動性を生み、建築の内と外を連続させることができれば、自然環境と建築による人工環境との関係も、またフィジカルな建築空間とイメージによるヴァーチャルな空間との関係も統合に向かうと考えられるからである。(中略)「せんだいメディアテーク」は積層された都市の森である。(*35)

 もはや、伊東の発言なのか藤本の発言なのか、見分けがつかない。この伊東の発言は1995年であるから、藤本が初期作である《聖台病院作業療法棟》(1996)を設計する前である。したがって、藤本における「森」や「原初」という概念は、伊東から継承されたものであり、そこには情報環境や現実の都市を森として捉えて創造へとジャンプする、両者の思考の近似性が見られるのである。

 ところが、伊東の建築は、《せんだいメディアテーク》の反転はある意味で保持したままではあるが(外壁にしばしば見られるガラスや穴が反転を担っている)、《中野本町の家》に回帰するように、すなわち「空間の純粋性」に遡っていくのである。それが、《座・高円寺》や《台中国家歌劇院》である。伊東は、《中野本町の家》と《台中国家歌劇院》を比較し、こう述べる。

ふたつの作品に共通するのは身体の内部へと分け入っていくような感覚なのである。そしてこれらふたつの建築の間に挟まれた四〇年間の建築は、こうした「内向性」からの離脱と回帰のくり返しであったように思われてくる。(中略)地上と地下との相互運動、とでも言えようか。(*36)

 伊東のいうこの内向性は、別のところで「洞窟・子宮感覚」(*37)と言い換えられている。この身体感覚に戻ってきてしまう自分自身を、「『胎内回帰』願望」(*38)があると述べており、これは、母と子が分離する以前の未分化への遡行である。その遡行は、ある意味で全体化の欲望であるといえる。《台中国家歌劇院》は、まるで入り組んだ地下の洞窟を、キューブで区切って持ってきて地上にそのまま置いたような構造をしている。ユークリッド幾何学に相反する執拗な曲線に囲まれた内臓かのような内部空間は、ガラスを介して外部と連続はしているものの、《せんだいメディアテーク》のように全開放されてはおらず、四方の外壁部のコンクリートによってある程度まで閉ざされている。端的にいえば、《台中国家歌劇院》は、《せんだいメディアテーク》を混ぜ込んだ《中野本町の家》なのである。

 ところで、この内向性への回帰以外に、伊東は別の気づきが《せんだいメディアテーク》を建設したあたりの時期にあったと述べている。その気づきが、「『物質(もの)』の力」(*39)であるといい、それが内/外についての悩みを解消してしまったのだという。

私は「せんだい」まで薄く軽い透明度の高い皮膜によって内/外の境界を消失させようと考えていた。しかし薄さとか軽さに執着すればするほど、逆に境界は大きな存在として私の前に立ちはだかってきた。つまり、そのとき建築は抽象的な存在として、環境から自立してしまうのである。透明性の罠であり、ミース的近代建築が本質的に内包する矛盾である。ところが、「まつもと」のGRC板のように「もの」の具体性を失わない素材を用いた途端に、この矛盾から解放されたように感じたのだ。(*40)

 「まつもと」とは《まつもと市民芸術館》(2004)のことであり、その外壁は、ガラス繊維強化プレキャストコンクリートにガラスをはめ込んだ板を連続させることで構成されている。この壁の素材の質感に、「『もの』の具体性」を伊東は感じ、その内/外を無化する力を「示したい」(*41)のだという。なぜならば「生を感じさせるリアリティを回復したいという意志にほかならない。『新しいリアル』とは、『モダニズムの先にある物質(もの)性』とでもいったらよいであろうか」(*42)というように、近代を超克するための武器の刃として、物はその柄を握られているのである。この子の母胎への回帰と現象の物自体への回帰がパラレルであることは、まったく偶然ではない。のちに触れることになる岡本太郎が、若年のパリ時代に薫陶を受けたマルセル・モースは、「物質の観念に先行する諸概念」という論文のうちで、フランス語で物質 matièreは、ラテン語materia に由来し、それは「女性的な生成力(puissance génératrice féminine)であるmater(母)から派生」(*43)しているという。したがって、伊東の身体的な感覚として母胎に回帰するときに物に出逢うことは、言語のレベルにおいても一致する。さらには、元来、材木や森を意味するギリシャ語の質量 hyleは、アリストテレスによって哲学的含意が付される前の古層において materに由来し、ラテン語の森 silvaに対応する。その場所は、「一つは安全な場所、つまりキャンプであり、もう一つは外の世界、つまり危険が潜む場所」(*44)といった内/外の両義性を含んだ場所であるという。つまり、母と関連のある森は、内/外が曖昧な場所であり、その観念は、伊東・藤本のいう森とも奇妙な一致を見せている。

 これらのことを踏まえて、《せんだいメディアテーク》について改めて言葉を付すなら、それは母胎を反転させたものであるといえるだろう。さらに付け加えるなら、藤本の森は、《せんだいメディアテーク》という母胎の反転がなければありえないのであるから、藤本のいう「原初」「洞窟」「建築が生まれるとき」「未分化」という言葉は、母と子の未分化への遡行を前提としていると結べるのである。伊東が、「処女作から一貫して、ぼくには『外部感覚』は無いのかもしれません。常に、何かに囲まれている『内部感覚』を前提に」(*45)していたと話すように、伊東の内/外反転の操作は、内部を外化することより外部を内化することが先立つもの、すなわち山本のいう自らの「空間の純粋性」を保持することが先立っている。このことが藤本にまで同様に当てはまることは後述するが、森という言葉が、そこに埋め込まれた身体感覚だけでなく言語の意味としての内/外の両義性を孕むことは確かであり、伊東と藤本は、母-森の連関と内/外の反転を蝶番として結ばれているのだ。

 だが、一つ疑問が残る。藤本は、「洞窟」「原初」「森」「生まれる」「未分化」などの言葉は使うものの、「母」ないし「母胎」とは述べず、決してその建築も閉じられているという印象は与えない。その作品を辿っても、本人のいうような洞窟とはとても思えず、最初からすべてが反転済みの母胎=森なのである。藤本の言葉の次元において、母が忘却されていることは何を意味するのだろうか。伊東において身体的感覚からどうしようもなく母胎に回帰してしまうが故に生み出された反転の技法をたんなる方法論として継承するときに、母胎は継承されなかったのだろうか。本論の道のりは、藤本は自身の知らぬところで母胎を継承していたともいえるだろうが、それは直接的な継承ではなく、むしろ、藤本の森とは伊東の母胎を無意識的に切り開き、消し去ることで、全体を母胎にしてしまう試みなのではないだろうか。いよいよ、《大屋根リング》(以下《リング》)へと足を踏み入れる。

*24──伊東豊雄『伊東豊雄 自選作品集 身体で建築を考える』平凡社、2020、179頁。
*25──同上、180頁。
*26──伊東豊雄、中沢新一『建築の大転換』筑摩書房、2012、116-117頁。
*27──伊東豊雄『この社会に建築は可能か』青土社、2025、18頁。
*28──同上、24頁。
*29──同上、63頁。
*30──同上、67頁。
*31──藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015 藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、365頁。
*32──「当然そこ[せんだいメディアテーク]では、コンピューター・ネットワークの発達した次世代の図書館の姿、美術館の姿が問われねばならない」(伊東豊雄『透層する建築』青土社、2000、459頁)。
*33──同上、461頁。
*34──同上、463頁。
*35──同上、342-343頁。
*36──伊東豊雄『この社会に建築は可能か』青土社、2025、479-480頁
*37──伊東豊雄『伊東豊雄読本̶̶2010』エーディーエー・エディタ・トーキョー、2010、68-69頁。
*38──伊東豊雄『伊東豊雄 自選作品集 身体で建築を考える』平凡社、2020、73頁。
*39──伊東豊雄『この社会に建築は可能か』青土社、2025、254頁。
*40──同上、186頁。
*41──同上、254頁。
*42──同上、255頁。
*43──Mauss, M., “Conceptions qui ont précédé la notion de matière” Œuvre, 2, Minuit, 1974, p.162
*44──Ibid. p.163
*45──伊東豊雄『伊東豊雄読本̶̶2010』エーディーエー・エディタ・トーキョー、2010、68頁。

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