日本で初めて見えるアウスラーの全体像
──アウスラー自身、日本文化や1987年の初来日が制作に大きな影響を与えたと語っています。本展を機に、日本との関係についてあらためて注目すべき点はありますか。
椿 アウスラーが初めて日本を訪れたのは1987年で、表参道のスパイラルで開催された「JAPAN '87 国際ビデオ・テレビ・フェスティバル」に参加したことがきっかけでした。そこではダラ・バーンバウムやゲイリー・ヒル、トニー・コンラッドらとともに展示しており、その経験は彼の制作に大きな刺激を与えたようです。
そのとき彼はバーンバウムやコンラッドとともに京都にも足を運び、寺社仏閣や日本庭園を見たと聞いています。とくに印象的だったのは、日本におけるテクノロジーと歴史の併置、つまり新しいものと古いものが共存しているあり方だったようです。京都については「タイムトラベル」のような体験だったとも語っています。
また、1979年にロサンゼルスで初めて観た歌舞伎における黒衣の存在にも強い関心を持っていました。黒衣は舞台上に存在していて、観客にも見えているにもかかわらず、文化的な約束事として「見えないもの」として扱われます。これはアウスラーが長年探求してきた、存在しているのに認識されないものというテーマと深く響き合うものです。

1990年代には、来日時に日本の子供たちが「たまごっち」(1996年に発売された携帯型デジタルペット)を持っていることにも衝撃を受けたそうです。餌をあげなければ死んでしまうデジタルペットという存在は、彼の「カリカチュア」シリーズにもつながっていると考えられます。アウスラー自身も、このシリーズを「デジタルペット」と呼んでいます。
さらに、日本文化にあるアニミズム的な感覚、つまり物や場所に霊的な気配を認める感覚も、彼の作品世界と親和性があると思います。投影された顔や語りかける物体は、人形やオブジェでありながら、そこに何かが宿っているように感じさせる。そうした感覚は、日本やアジアの文化における霊的なものへの態度とも重なる部分があるのではないでしょうか。
──日本ではこれまでアウスラーの大規模個展が開催されませんでした。今回TOKYO NODEで初めて大規模個展を開催する意義を、どのように考えていますか。
椿 アウスラーは日本でも何度も紹介されてきた作家で、現代美術に関心のある方のなかには作品を見たことがある人も少なくないと思います。ただ、彼の活動をまとまったかたちで紹介する大規模個展はこれまでありませんでした。そういう意味で、本展は彼の仕事の全体像を日本で初めて体験できる貴重な機会になります。
いまはスピリチュアリティや超常現象、見えないものへの関心が再び高まっている時代でもあります。いっぽうで、私たちは監視技術やAI、SNS、アルゴリズムに囲まれ、高度なテクノロジーのなかで生きています。テクノロジーと霊的なものは一見すると正反対に見えますが、じつはとても近いところにある。アウスラーの作品は、その関係を考えるうえでいま非常に重要なものだと思います。

TOKYO NODEという場所も、本展にとって意味があります。虎ノ門ヒルズ ステーションタワーは、都市の活動やエネルギーを垂直方向へと導くように構想された建築です。現代的な超高層ビルの上層階でありながら、虎ノ門という土地には江戸の都市計画や風水、陰陽道の名残も感じられる。そうした場所で「技術と霊知のはざま」をテーマにした展覧会を開催することは、とても示唆的だと思います。
──これから展覧会を訪れる読者に向けて、「まずここを見るとアウスラーがわかる」という作品やポイントがあれば教えてください。
椿 まずは、怖い、不思議、少し気持ち悪い、でもどこか可愛い、ちょっとおかしい──そうした感覚をそのまま楽しんでほしいです。アウスラーの作品は非常に多くの情報や批評性を含んでいますが、それらをすべて理解しなければ楽しめないわけではありません。色彩も鮮やかで、ポップで、ユーモアもあります。まずは作品の前で、自分の感覚がどう反応するのかを大切にしてほしいですね。
そのうえで、「なぜ怖いと思ったのか」「なぜ可愛いと感じたのか」「なぜ気持ち悪いのか」と考えてみると、作品がより深く見えてくると思います。アウスラーの作品は、私たちの知覚や感情の反応そのものを意識させる装置でもあるからです。
作品で言えば、まず、先にもお話しした《スペキュラー》(2021)で、映像がスクリーンから解き放たれ、空間そのものを構成していく感覚を体験していただきたいです。また、ホラー映画『リング』(1998)が取材したとされる福来友吉の研究にも関連した「透視」をテーマにした新作《星》(2026)、北米の科学史上、もっとも有名な捏造事件のひとつとされる「カーディフの巨人」に基づく《穴から吊り上げられて》(2025)なども必見です。
さらに、《計り知れないもの》(2015-16)では、降霊術や心霊写真、ハリー・フーディーニやアーサー・コナン・ドイルといった実在の人物をめぐる物語を通して、「信じること」と「見ること」の関係が壮大なスケールで描かれます。UFOや超能力、魔女、陰謀論などを扱った作品群も、このテーマを様々な角度から補完しています。

右:《空(くう)》(東京版)のための習作(2000-26) デヴィッド・ボウイ、グレン・ブランカとの共作
構想から4半世紀を経て完成した《空(くう)》(2026)は、アウスラー、デヴィッド・ボウイ、グレン・ブランカによるプロジェクトで、インスタレーションとして世界初公開されます。変幻自在のパフォーマーであるボウイにインスピレーションを受けた本作は、レンズで実体の像を映す「カメラ・オブスクーラ」を手がかりに、映像技術が人の身体や心をどう変えていくかを探ります。
そして最後には、本展のための新作《キメラ》(2026)が登場します。デジタルガーデンのような空間に、人間とテクノロジー、自然と人工の境界を横断する存在たちが現れます。AIやスマートフォンとともに生きる現代において、私たちはどのような存在になりつつあるのか。本展はその問いを観客に投げかけながら幕を閉じるのです。
少し怖いと感じるお子さんもいるかもしれませんが、子供にも楽しんでもらえる展覧会だと思います。関連プログラムとして、8月には自分自身のキメラをつくる「キメラ提灯(ちょうちん)」のワークショップも予定しています。アウスラーの作品は難解に見えるかもしれませんが、感覚的に楽しみながら、自分の想像力や認識のあり方について考えることができる展覧会になるはずです。




















