「信じること」を問い直す
──本展タイトルにもなっている「技術と霊知のはざま」とは、アウスラーの実践を理解するうえでどのようなキーワードなのでしょうか。
椿 「Tech/Gnosis(技術と霊知のはざま)」というタイトルは、アウスラーと私たちキュレーター(共同企画者:アリス・ニェン=プー・コー)が対話を重ねるなかで生まれた言葉です。グノーシスとは古代ギリシャ語で「知」を意味しますが、それは科学的な知識だけではなく、体験を通じて得られる霊的・直感的な認識を指します。
アウスラーが一貫して関心を寄せてきたのは、テクノロジーと信仰、科学と魔術、理性と霊性といった、一見すると対立するように見える領域の関係です。しかし歴史を振り返ると、これらは必ずしも切り離されたものではありません。例えばニュートンは近代科学の象徴的存在であると同時に、錬金術の研究にも没頭していました。占星術と天文学もまた、もともとは密接に結びついていた領域です。
現代では科学と魔術は別のものとして捉えられていますが、どちらも人間が世界を理解し、その背後にある仕組みを読み解こうとする営みであることに変わりはありません。アウスラーはそうした歴史を参照しながら、テクノロジーの発展と人間の想像力、信念のあり方との関係を問い直しているのです。
──アウスラーは長年にわたり、UFOや超常現象、降霊術、疑似科学などに関する膨大な資料を収集してきました。こうしたテーマに惹かれるのはなぜなのでしょうか。
椿 彼のアーカイブ収集は個人的な趣味にとどまるものではありません。3000点以上に及ぶUFO写真や降霊術の記録、疑似科学に関する資料は、人間が「見えないもの」や「証明できないもの」をどのように理解し、可視化しようとしてきたのかを探るためのリサーチでもあります。また、本来は自分の作品を制作するための「研究ツール」として収集したものが、時間の経過とともに「アートの一部」になっていったという点も面白いですね。

その関心には個人的な背景もあります。代表作《計り知れないもの》(2015-16)は、アウスラーの祖父チャールズ・フルトン・アウスラーを起点にした作品です。祖父は魔術師でありながら、ハリー・フーディーニ(1874〜1926)とともに霊媒師のトリックを暴く活動も行っていました。また、シャーロック・ホームズの作者アーサー・コナン・ドイルとも交流がありました。科学的合理主義の象徴のように見えるドイルも、晩年には妖精や心霊現象を信じていたことで知られています。
19世紀末から20世紀初頭にかけては、科学が発展するいっぽうで、降霊術や心霊写真への関心も高まりました。近代化が進むなかで、人々は合理性だけでは説明できない何かを求めていたのだと思います。アウスラーはそうした歴史を掘り起こしながら、「人はなぜ信じるのか」「何を真実だと感じるのか」という問いを作品化してきました。
彼の関心は過去だけに向けられているわけではありません。UFO研究や千里眼実験、超能力研究なども含め、科学と信仰の境界がどのように変化してきたのかを検証し続けています。そうした視点は、AIや生成メディアが普及し、真実と虚構の境界が揺らぐ現代社会とも深く結びついているのです。

──顔認証やSNS、フェイクニュース、陰謀論といった現在の問題は、アウスラーが長年扱ってきたテーマとも重なるように思います。今日あらためて彼の作品を見る意義を、どのように考えていますか。
椿 アウスラーは1990年代から、メディアと信念の関係や、「見えるもの=真実」だと考えてしまうことの危うさを問い続けてきました。当時は少し先見的すぎた面もあったかもしれませんが、いま振り返ると、彼が扱ってきた問題は非常に切実なものとして感じられます。
いま私たちは、インターネットを通じて無数の情報にアクセスできるように見えます。しかし実際には、得られる情報はアルゴリズムや環境によって大きく制限されていますし、そもそもインターネット上の情報が確かなものだとは限りません。だからこそ、アウスラーの作品の前に立つことは、「自分はいま何を信じているのか」「なぜそれを信じているのか」を問い直す体験になるのだと思います。さらにアウスラーの作品は、テクノロジー自体が「超越(transcendence)」や「創造性(creativity)」のかたちをとる可能性についても触れています。
アートにも、ある意味では信仰に近い側面があります。何を信じ、何を真実として受け取るのか。それを完全に自分自身の意思だけで選んでいると思うこと自体、少し危ういのかもしれません。アウスラーの作品は、そうした私たちの認識の土台を揺さぶり、情報やイメージをどのように体験し、どのように判断しているのかを考えさせてくれるのです。



















