ワルシャワの会場では、物語を内包する映像作品の存在感が際立っていたが、M HKAでは、映像作品は上記の2点のみで、写真コラージュ、絵画など静的なメディアが目立つ。出来事を直接的に再現したり、言及したりするよりも、断片的なイメージの喚起力に焦点が当てられているように思われる。同時にミュージアム・コレクションからMona Hatoum(モナ・ハトゥム)の頭髪を用いたインスタレーション《Recollection(追憶)》(1995)や、Davyd Chychkan(ダヴィド・チチュカン)のポスター絵画シリーズ《Ribbons and Triangles(リボンと三角形)》(2020-22)が出品されるなど、美術館であることを活かしながらコレクションとの対話が試みられている。
チチュカンは、無政府組合主義アーティストであり活動家だったが、このシリーズでは、古典的な政治ポスターの言語を引用し、ウクライナ刺繍や伝統衣装の文様とモダニズム的幾何学デザインを融合させ、ウクライナ国旗の黄と青に加えて3つの象徴的な色、反権威主義の黒、フェミニズムと文化的進歩の紫、社会的平等と直接民主主義を意味する赤を用いている。さらに作中にウクライナの政治・文化史における重要人物を登場させることで、同国の解放闘争の過去を参照しつつ、未完のモダニズム的プロジェクトとしてのウクライナ社会の今後の方向性を示唆しようとする。

この展覧会は、中心から切り離され、現代の不均衡が凝縮されるヒンターランド的な空間における、失われた身体や風景、抹消された声や断絶された通信に対して、存在と不在のあいだに生まれる新たな記憶のかたちを探るかのようである。さらに中世からヨーロッパ屈指の港湾都市であり、植民地貿易の歴史を背負ってきたアントワープの地政のことを重ねると、まさに港の背後にあるヒンターランドの声を拾い上げ、再接続させる場としての必然性が切実なものとして感じられる。またM HKAが、地方政府から政治的な決定を押し付けられ、美術館スタッフだけでなく、地元のアーティストや鑑賞者たちが、文化の公共性を守るために連帯する姿(*5)は、キーウ・ビエンナーレが戦争の只中で、中心的インフラの喪失を経てもなお、文化を分散的かつネットワーク的に構想し、社会との関係を再構築しようとする根源的な問いと重なり合っている。
今回の「キーウ・ビエンナーレ2025」において、ワルシャワとアントワープの展覧会を結ぶ軸線を考えれば、ヨーロッパはもはや単一の中心ではなく、「中東=東欧」を含む、複数の周縁やその無数の交差点から構成される空間である現実が映し出されている。そして作品の多くは、社会が暴力に沈黙するその瞬間を、静かに問い返している。戦争の傷口を抱える東から、あらゆる制度の転換期に立つ西へと広がるこの「ビエンナーレ=連帯」は、政治的分断と経済的不均衡の只中で、芸術がいかに地図を引き直し、新しいヨーロッパ像を構想できるかを問うものとなった。その後、それぞれの場所の状況を織り込みながらウクライナ、オーストリアへと続く本ビエンナーレの枠組みでは、アーカイブを解放の手段として思考の場を開いたり(ドニプロ)、映画運動の今日的意義を探ったり(キーウ)、戦争によって一変した大地の風景に向き合い人間の身体と生息環境を再考したり(メンフィス)、土地と風景を外宇宙から地中深くまで貫く垂直的な惑星的思考によって捉えなおそうとする(リンツ)試みが控えている。2013-14年にかけてウクライナで起きた市民運動「ユーロマイダン」が瞬間的に成功し、非暴力抵抗から政権転覆に至った事実を考えれば、このビエンナーレは未完の革命に続く芸術的実践として、分断された大地の上で、共に生きることの可能性を問い続けるだろう。
*5──ビエンナーレのイベントの一つとして、M HKAではMOST Magazineのキュレーションで「There Is Nothing Solid About Solidarity(連帯には確かなものはない)」と題された3日間のフォーラム(10月24日〜26日)が開催されたが、それに合わせて25時間におよぶ「Museum at Risk(危機にある美術館)」と名付けた自発的なマニフェステーション(意見表明集会)が行われた。



















