政治的な作品が多いのは事実だが、ひとつの地域を越えた現実の裂け目を詩的想像力によって可視化しようとする作品も散見される。例えばMajd Abdel Hamid(マジド・アブデル・ハミード)の《From the Series “Son, This Is a Waste of Time”(シリーズ「息子よ、それは時間の無駄だ」より)》(2023–24)では、パレスチナの伝統技法であり、地域ごとに異なる模様や色彩を持つ刺繍を参照しながら、白い布に白い刺繍を施す。ウクライナで育ち、「ロシア・アヴァンギャルド」の象徴とされたカジミール・マレーヴィチの代表作《白の上の白》(1918)から想を得て、白い糸で刺された模様は、文化の消失と土地の占領を象徴しようとしている。各作品には「400時間」「11月から5月(2月を除く)」など、それぞれ制作に費やされた時間を示し、労働と記憶の蓄積を暗示している。
さらに、Navine G. Dossos(ナヴィン・G・ドッソス)による《Series "No Such Organisation"(シリーズ「そんな組織は存在しない」)》(2018–20)においてもパターン的な装飾性が扱われている。この作品は、2018年10月にイスタンブールで起きたサウジアラビア人ジャーナリスト、ジャマル・カショギ殺害事件への応答として制作され、サイバー諜報、国家監視、報道の自由といった複雑に絡み合う領域に言及している。企業、国家、そして組織を象徴するロゴやマーク、例えばWi-Fiの記号、通貨のシンボル、国旗、国連のエンブレムなどを隠れたイメージとして扱うことで、その鮮やかな装飾の背後にある、存在しないとされる国家の暴力や監視のシステムを絵画によって暴き出そうとしている。

ワルシャワではほかにも、Assaf Gruber(アサフ・グルーバー)による映像インスタレーション《Miraculous Accident(奇跡的な事故)》(2024–25)など、1948年から2025年までの拡張ヨーロッパを舞台に、現実と虚構を交錯させ、時空間を超える物語として没入的に展開する。ウッチ映画大学で教鞭をとるユダヤ系ポーランド人女性と、彼女の亡き夫でモロッコ出身の作家との関係性を軸に、記憶と演出の境界を探り、映画というメディウムそのものが、愛、喪失、再生の儀式として機能しうることを体験させる。
本展は、戦争や植民地主義によって刻まれた暴力の痕跡を、地図、記録、音、装飾、映像など多様なメディウムを通して可視化し、記憶として再構築し、他者へと開きなおす試みであると言える。旧ユーゴスラヴィア、ソ連体制下ウクライナ、イスラエル占領下のレバノン、ロシア侵攻下の東欧など、帝国の境界に位置する地域を横断しながら、国家やイデオロギーによって抹消された声や沈黙を掘り起こそうとする。アーティストたちは、失われた文化遺産や日常に潜む暴力を素材として、歴史の再解釈と再生のためのアプローチを展開している。それは、「東」と「西」という固定的な枠組みを超え、むしろ「周縁」を中心化することで、拡張されたヨーロッパの新たな地図を描き出そうとする行為のように思われる。



















