4位:「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? ──国立西洋美術館 65 年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」(国立西洋美術館)&「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」(東京国立博物館)
4位は同列で、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? ──国立西洋美術館 65 年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」(国立西洋美術館)と「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」(東京都美術館)の2つとなった。
「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」は、国立西洋美術館にとっては史上初の現代美術作家によるグループ展。同館が歴史的に本場の西洋美術を日本の洋画家に伝えるための場所であったことを踏まえ、現在の国立西洋美術館が現代の作家にとって学びのある場であるかどうかを問う、というコンセプトで設計された。
内容(出展作品)のよさもあるけどトラディショナルな西洋美術館であの展示をしたっていうチャレンジングな部分含めて超印象深かった。
国立西洋美術館という場所であのような尖った企画に挑むということにまず素晴らしいと思いました。展示方法の独特さ、作品数もかなり多く非常に楽しめ刺激をうけた展覧会でした。
それまで美術の王道を歩み優等生として感じてきた国立西洋美術館の”思春期”そして、それに伴う”反抗期”に立ち会えた気がしたので大変印象に残りました。新たな歴史を刻んだ開催だったと思います。
西洋美術に関する企画展を多く開催してきた西洋美術館が現代美術を扱う、という意外性が評価に含まれているのは事実ですが、何より美術館という場の意義や役割を自問し、顧みるという行為は中々なされないので面白かったと同時に、よく向き合ったなと感心した。キュレーションの功罪にも触れる展示だったのではないかと。もう一度見たい展示です。
いっぽう「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」(東京国立博物館)は、エルメス財団との共同企画によって実現した個展。平成館企画展示室、本館特別5室、本館1階ラウンジの3ヶ所が会場となり、それらをぐるりと回るように鑑賞するという珍しい形式がとられた。東博収蔵品や建築そのものと内藤が対話するように構成された展覧会であり、静かな感動を与えるものとなった。内藤礼のインタビューもあらためてチェックしてほしい。
トーハクの普段は見られない内装を見ることができた。その体験はキリスト教のイコンに似ている。イコンは西欧美術とは異なる歴史を辿ったが、イコンという窓を通じて神に祈りをささげるがごとく、内藤の消え入りそうなほど物質感のない〈モノ〉の先にあるトーハクの内装を見ることを通じて、内藤のキーワード〈恩寵〉を感じたような気がした。
対象を鑑賞する、に留まらず、見ている人の人生に深く揺さぶりかける力があったから
国宝、重要文化財と日常の身近な素材を並列させる展示で不思議な感覚に陥りました。作品リストが鑑賞者への気付きに一役買っていて、リスト自体も作品のようになっているのが良かったです。「鑑賞する」行為の原点に立ち返ったような感覚になりました。
美やアートに対する新しい価値観を与えてくれた展覧会。いつまでも自身の心の中に残り続けると思う。