開館65周年を迎える東京・上野の国立西洋美術館で、21組の現代美術作家を招く初の試み「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」が開幕した。会期は5月12日まで。
参加作家は、飯山由貴、梅津庸一、遠藤麻衣、小沢剛、小田原のどか、坂本夏子、杉戸洋、鷹野隆大、竹村京、田中功起、辰野登恵子、エレナ・トゥタッチコワ、内藤礼、中林忠良、長島有里枝、パープルーム(梅津庸一+安藤裕美+續橋仁子+星川あさこ+わきもとさき)、布施琳太郎、松浦寿夫、ミヤギフトシ、ユアサエボシ、弓指寛治。担当学芸員は同館主任研究員の新藤淳だ。
1月の記者発表で新藤は本展について「これまで現代美術を所蔵も展示もしてこなかった本館だが、今回の企画は決して組み合わせのトリッキーさを意図したものではない」と語っている。同館が歴史的に本場の西洋美術を日本の洋画家に伝えるための場所であったことを踏まえ、現在の国立西洋美術館が現代の作家にとって学びのある場であるかどうかを問うものだ。
会場は複雑に展示壁が組み合わされ、さながら迷路のような印象だ。最初の0章「アーティスのために建った美術館」では、パネル展示を中心に松方コレクションならびに西洋美術館の歴史を紹介している。
第1章「ここはいかなる記憶の磁場となってきたか?」は、美術館を様々な時代や地域に生きたアーティストたちが交錯する磁場ととらえる章だ。ここでは中林忠良、内藤礼、松浦寿夫の作品が展示されている。
日本における銅版画の権威で、腐蝕銅版画の可能性を追求してきた中林。腐食の過程そのものを重視する中林は、17世紀の銅版画家ヘルクレス・セーヘルスへの共感を本展で表現した。
内藤は細長い廊下のような展示空間の壁面で自身の絵画《color beginning》とポール・セザンヌの《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》を併置した。一見、白いキャンバスのように見える《color beginning》だが、本作と長時間向き合っているとうっすらと色彩が現れる。両者のあいだに存在する、関係性を持ちそうで持たない空間に、鑑賞者は何を代入すべきだろうか。
松浦は自身が大きな影響を受けたセザンヌやモーリス・ドニといった同館所蔵の絵画と自作を併置。「諸作品の持つ歴史的系譜の呪縛に逆らうとはどのようなことか」という問いかけを、絵画への意識を鋭利にしながら試みた。
第2章「日本に『西洋美術館』があることをどう考えるか?」は、同館コレクションの作品があくまで「西洋美術」の文脈において収蔵されていることに着目したセクション。現在においても西洋中心主義を保持せずにはいられない同館の性格を議論の発端としつつ、小沢剛と小田原のどかの作品を展示する。
小沢は戦後、戦争協力への批判もありパリに拠点を得た藤田嗣治が、パリではなく南洋のバリに拠点を得たら、という歴史のifを表現した「帰ってきたペインターF」シリーズを展示。本シリーズと国立西洋美術館が所蔵する藤田の絵画をともに展示することで、日本人でありながら「西洋美術」のコレクションとして収蔵されている藤田作品受容の「ねじれ」がいっそう強調されることになる。
日本における彫刻という存在を課題化し、近代日本のねじれを指摘し続けた小田原は、西洋美術館を象徴する存在のひとつであるオーギュスト・ロダンの彫刻を、赤い絨毯の上に「転倒」させて展示。また、古くから供養のために建てられながらも地震による倒壊も多く見られる五輪塔、そして部落解放運動のなかで「水平社宣言」を起草し、のちに獄中で転向した西光万吉の日本画をともに展示した。いずれも「転倒」や「転向」を含意しており、これらが緊張感のある関係をもって配置されることで、第二次世界大戦を経て対米追従した日本、震災の脅威にさらされ続ける日本、そしてそのなかで育まれた日本の美術が表れている。
第3章「この美術館の可視/不可視のフレームはなにか?」では、美術館という枠組みそのものに着目した布施琳太郎と田中功起が展示を行う。
布施は既存の文脈に依らない新たな美術館を作品《骰子美術館計画》で表現した。西洋美術館を設計したル・コルビュジエの絵画と対峙するかたちで展示されている本作は、コルビュジエの思想を参照しながら、モニターとプロジェクターの組み合わせにより、歴史を紡ぐ場所としての美術館のあるべき姿を模索する。
田中は具体的な作品を展示しておらず、国立西洋美術館に対して複数の「提案」をするという行為自体を作品として表した。例えば、作品展示における作品位置の高さについての提言。展覧会における絵画の展示は、成人の身長の目線を意識して設置されているが、子供や車椅子の人々にとっては高すぎて見づらい。こうした美術館が標準的来場者を制度的に設定してしまっていることに対して、田中は改善の提言をぶつけていく。この問いかけに実際に美術館がどれだけ応えられるのか、ということまで含めて作品だといえるだろう。
第4章「ここは多種の生/性の場となりうるか?」では、白人男性作家を中心にコレクションを形成してきた同館を多様性の観点から省みることに、鷹野隆大、ミヤギフトシ、長島有里枝、飯山由貴が挑む。
鷹野はギュスターヴ・クールベやルカス・クラーナハの絵画や、エミール=アントワーヌ・ブールデルの彫刻といった同館の所蔵作品を、IKEAの家具でつくった現代の一般的な部屋に飾った。名画とよばれる作品は美術館でしか見られず、そのこと自体が権威を強化するという構造に揺さぶりをかける。
ミヤギは本展参加のために、初めて本館を訪れたという。遠ざけていたのか、別の位相にあったのかはわからないが、ミヤギは本館でテオドール・シャセリオーの絵画《アクタイオンに驚くディアナ》にマイノリティの物語を見出し、映像作品《アクタイオン》(2024)をつくりあげた。
長島は西洋中心的な美術史を変えるための提言として、2023年に名古屋で実施した「ケアの学校」の展示を美術館に持ち込んだ。「ケアの学校」は、愛犬を亡くして「当たり前の存在が失われる」という経験をした長島が、自分が「ただそこにいる」というパフォーマンスをするもの。本展では誰もが知る芸術家であるピカソによる犬や猫のエッチング作品を「ただそこにいる」だけの存在として扱うことを試みた。
飯山は左右の壁面で作品を展開。左の壁面では《この島の歴史と物語と私・私たち自身一松方幸次郎コレクション》と題した、国立西洋美術館の所蔵作品や松方コレクションの複製を用いたインスタレーションを、右の壁面では《わたしのこころもからだも、だれもなにも支配することはできない》という観客参加型の展示を実施した。松方コレクションが目を向けていた「国民」とは何だったのかを、見る者に問いかける。
第4章と第5章のあいだには「反幕間劇」として「上野公園、この矛盾に充ちた場所:上野から山谷へ/山谷から上野へ」と題した展示が、弓指寛治による膨大な絵画により構築された。
国立西洋美術館は上野公園にありながら、その土地の持つ物語やそこに生きる人々にあまりにも無関心だったという反省から始まった。昨今の整備によって路上生活者たちが覆い隠されたかのような上野公園だが、弓指は路上生活者の多い近隣の山谷地区に通い、膨大な量の絵画を描き展示。それぞれの絵画には、弓指が実際に会って話した人々から得た学びや、そのときの感情が織り込まれている。絵を描くという行為によってその土地の持っている物語を解きほぐし、形にしていく弓指の行為は、同館に所蔵された「絵画」とは異なる可能性にあふれている。
第5章「ここは作品たちが生きる場か?」では、美術館が作品を保存することの永続性の理念と実際を竹村京とエレナ・トゥタッチコワが問う。
ルーヴル美術館で大きく欠損した状態で見つかった旧松方コレクションのクロード・モネ《睡蓮、柳の反映》は、現在そのままの状態で西洋美術館に収蔵されている。竹村は刺繍によってこの作品の補完を試み、会場では《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》というレイヤー状の作品で展示された。
トゥタッチコワは糸を持ちながら美術館を迷い歩いた映像作品とともに、その結果生まれた構造物を展示。本来、美術館ではなるべく排除されるべき「迷う」という行為をあえて前景化させることで、館のアーカイヴの可能性を問いかける。
第6章「あなたたちはなぜ、過去の記憶を生き直そうとするのか?」では、遠藤麻衣、パープルーム、ユアサエボシが、芸術作品を時間のなかで読み替え、変容させる行為について考える。
遠藤はフェミニズムの視点から、ムンクの版画と日本のストリップ劇場の歴史も絡ませたパフォーマンスの映像作品を発表。発情期になると見かけの性別に関わらず妊娠出産できる身体に変化するという被支配者階層「オメガ」と、支配層「アルファ」が交錯する《オメガとアルファのリチュアル》。上映する室内には回転ベッドとともにドローイングが展示されており、見世物小屋のような怪しげな雰囲気が観客を包む。
パープルームを主宰する梅津庸一は、自身の身体像をラファエル・コランの《フロレアル(花月)》のなかに投入した自画像を描いた。東京藝術大学の礎となる東京美術学校の教師として日本の美術の動向を決定づけたと言える黒田清輝がコランに師事したことはよく知られており、本作には梅津なりの東京藝術大学という美術教育制度への批判が含まれていると言える。本作は、梅津が主宰するアーティスト・コレクティヴのパープルーム各メンバー、安藤裕美、わきもとさき、星川あさこの作品とともに、一体化するようなかたちで展示されており、その活動を閉じ込めたような部屋をつくりあげている。このなかで安藤はナビ派のピエール・ボナールと自身の作品をともに展示することで、自身が身体化した「名画」との差異化がいかにして行われたのかを可視化。各メンバーのプレゼンテーションも行われているといえる。
大正生まれの三流画家という偽史を絵画制作を通してつくり続けるユアサエボシは、このユアサエボシがサム・フランシスの活動を快く思っていなかったという新たな設定にもとづき、フランシスへの批判的な姿勢を押し出した作品を制作した。
第7章「未知なる布置をもとめて」は、現代の画家たちが同館収蔵作品にどれだけ匹敵しうるのかを検証するため、杉戸洋、梅津庸一、坂本夏子、そして2014年に世を去った辰野登恵子の作品を、モネ、ポール・シニャック、ジャクソン・ポロックらの絵画と並べる。
ここではオーソドックスな展覧会形式がとられ、各作家の作品が美術館にあるべき姿として展示される。旧来からの美術館という制度のなかでいかに「現代」の絵画を差異化できるのか、あるいは名画との影響関係に絡め取られてしまうのか。緊張感を持って絵画と対峙する部屋が生まれている。
強固な「西洋美術」の文脈のなかで生きてきた国立西洋美術館。現代美術を持ち込んだ本展によってこの「西洋美術」の持つ権威的な性格の問題点や課題が露わになることを期待するということは、それが叶わなければ逆に「西洋美術」の優位をこれまで以上に強調し、権威を強化する可能性を孕んでいる。来場者は、ぜひひとりの観客として、本展の作家に挑戦的な眼差しを向けてほしい。現代の作家は本当に「西洋美術」を相対化するほどの強度を持ち得ているのか。旧来の「西洋美術」に飲み込まれ、その価値を裏張りしているだけではないだろうか。来場者の問いによって完成する、稀有な展覧会と言えるだろう。