内藤礼インタビュー:「生きておいで」に込めた意味

東京国立博物館で開催中の「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」。東博の建築や同館所蔵の考古資料と対話するように展覧会をつくりあげた内藤礼が、本展に込めた意味を語る。

聞き手・文=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

内藤礼 死者のための枕 2023 シルクオーガンジー、糸 撮影=畠山直哉

「死者のまなざし」

──内藤さんは「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」をテーマに作品をつくられていますが、今回の会場である東京国立博物館(以下、東博)は死者(すでにこの世に存在しない人々)による文化財が集まっている場所です。内藤さんと東博という組み合わせがまずとても意外でした。

  私もこのような展覧会は思ってもみませんでした。でもね、私はたしかに生きているけれども、「死者のまなざし」が重なりあうように生きているのです。

──「死者のまなざし」ですか?

 そう。それを強く感じたのは、豊島美術館の作品(《母型》)ができたときです。あそこは空間が広いから、遠くで人が座っていたり、歩いていたり、たたずんでいる姿が見えるでしょう? その姿がとても愛おしく思えたのです。それはまさに「地上の生の光景」だと。誰かもわからないけれども、生きている人の姿が美しく感じられ、そのとき、まるで自分が「死者のまなざし」を通して見ているように思えたのです。

 じつはそういう感覚は随分前からあって、神奈川県立近代美術館 鎌倉(「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」、2009)で展示をしたときもそう。あれは、会場にいる私たちが死者で、展示ケースの中が生でした。 今回の展覧会はそれと逆で、平成館企画展示室のケースの中が「生の外」で、外が「生の内」。生とは、「そうではないところ」からやってきて「そうではないところ」へ行くその途上です。そういう意味で、今回の東博との出会いはとても自然だったと思います。

「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」第1会場
撮影=畠山直哉

──「生」とは通過点であると。

 そうです。私が半分冗談に半分真剣に言うのが、 自分は「生きている係」だということ。自分はいま生きている係だから、係としてやるべきことをやるのです。私は「いま、たまたま生きている」という意識がとても強い。生きていること自体、相当大変なことですよね。でも亡くなった人たちは、それをすべて体験して生を終えているのだから、すごいと思うのです。亡くなった人はみな、 そのときまで懸命に生きたのです。その人の生を生き抜くということ自体が、とても尊いことなのだと思うのです。

編集部

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