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美術館のコレクションを“未来永劫”守れるのか? シュリンクする社会のなかで

今年はミュージアムとお金の問題がフィーチャーされる年となったと言える。年初には東京国立博物館館長が光熱費の増大を受けて、週刊誌に緊急寄稿を公開。夏には大阪府所蔵の美術作品105点が地下駐車場に6年間放置されていたことが明るみになり、その売却にも話が及んだ。また国立科学博物館は資金的な危機を訴えクラウドファンディングを実施し、9億円という膨大な支援を得た。こうした状況をもとに、国立美術館理事の経験を持つ文化政策の専門家、同志社大学・太下義之教授とともにミュージアムのコレクションの未来を探る。

聞き手・文=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

Photo by Joe Green (C)Unsplash

登録博物館の拡大と収蔵庫の限界

──今年、美術館界ではお金にまつわる様々トピックが目立ったように思います。いっぽう、日本という国そのものを見ると、2023年1~9月の出生数が56万9656人(厚生労働省発表)で少子化に歯止めがかからず、人口は減少の一途です。それは税収減にもつながるわけですが、そうしたなかで公的な美術館という巨大な組織と、それが有する膨大なコレクションをいかに未来に引き継げるのだろうか、という大きなトピックについてお話を伺えればと思います。

 今年施行された博物館法の部分改正で登録博物館の対象を拡大し、民間博物館も登録できるようになりましたね(編集部注:旧博物館法では博物館には登録博物館、博物館相当施設、博物館類似施設に区分されていた。2018年時点では登録博物館(914)、博物館相当施設(372)、博物館類似施設(4452)となっていた)。

 じつはこれには弊害もあります。民間企業が登録申請し、基準をクリアしたとしましょう。そして10〜20年間そのミュージアムを経営します。箔が付き、コレクションの価値も上がるでしょう。しかしながら運営する本体の経営が傾き、資金繰りのために作品を売ることになったとしたら──どうですか?

──博物館法が作品の価値付け(あるいは資産価値の向上)のために使われかねない、ということですね。

 そうです。たとえ経営が傾かなくとも作品は売却できます。これは「公共のコレクション」の在り方を揺るがすものでもあるのです。つまり、民間であろうと所蔵作品はパブリックなもの=公的な性格を帯びたものという認識があるから、「登録博物館」に認定するわけですね。そのコレクションには誰もがアクセスできるし、鑑賞することも研究することもできる。この公共性はとても大事なものであり、法人形態は民間であろうと公立であろうと関係ないはずなのです。民間企業立で登録博物館になった場合、そのコレクションの売却についても国立や公立と同様になんらかの規制がかかってもおかしくはありません。

──しかし日本の博物館法では、「売却」を禁止する項目はありません。

 売却というのはひとつの現象で、それ以外にもコレクションの継承を脅かす要因は数多くあるでしょう。議論すべきは、我々がパブリックと考える共通資産をいかに次世代に継承するのか、できるのかという話だと思います。コレクションが散逸したり、紛失したり、損傷したりしてはいけないから、ミュージアムが管理し、 なおかつそれを研究して、その成果を社会に還元していくという仕組みがあるわけですよね。

──すべての収蔵品を次世代に引き継ぐというのも現実的に難しいのでは.....と思ってしまいますが。

 例えば収蔵庫がいっぱいになり、もうこれ以上収蔵品を増やせないから民間企業のように「選択と集中」をするという発想はありうると思います。ただそうすると、収集の判断基準を変えることになるわけですね。さらに、ある時点で「これは要らない」と判断したとして、その責任はどこにあるのか。 よく言われる例ですが、ゴッホは同時代には評価されずに後世で評価が定まった作家です。つまり、そのときの判断で売却していたらコレクションとして後世に残らない懸念もあるわけです。

──コレクションがきちんと評価されるには、やはりある程度長い時間が必要になってきます。

 その評価にも多少揺らぎがあって、いまはまだ評価が定まっていないものも収蔵しておかないといけない。いっぽうで、そうすると原理的に収蔵庫は無限に広がっていかなくてはならないということになります。

──収蔵庫はそのようにはできていませんね。太下先生は「トリアージ(峻別)されゆくミュージアム」で収蔵庫の限界もすでに指摘されています。

 見せる収蔵庫──つまり利用者からは作品が鑑賞できるし、ミュージアムとしては収蔵庫として使える──という形態でないと、もはや収蔵する予算はつかないのではないかという提案です。さらに加えると、ミュージアムの内部を見せていくことによってその価値を社会に認識してもらい、存続させる必要があります。この「見せる」というのは、物理的に見せるという意味だけではなく、その他の活動もきちんと見せ、社会とつながっていることを示すということです。これがないと、ミュージアムは支え続けられないだろうなという気がします。

 国立美術館もそうですが、膨大な収蔵品がありながらも1年間で展示できるのはそのうち1%くらいです。しかし残り99%も見せていかないといけません。先ほど申し上げた「支え続けられない」というのは、「理解が得られない」という意味でもあります。まだ収蔵している状態であればいいですが、それもできないのであれば売却してしまえ、という話になりかねません。

見せる収蔵庫として開館した、デポ・ボイマンス・ファン・ベーニンゲン(オランダ)の内部 Photo by Ossip van Duivenbode

求められるコレクションの「救済」システム

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