2017.7.9

【ギャラリストに聞く】
gallery Q 上田雄三

1983年、銀座に開廊したギャラリーQは、日本の若手作家が世界で活動するきっかけをつくると同時に、韓国や中国、東アジアの作家たちを積極的に紹介してきた。画廊の枠組みを超え、展覧会の企画やプロデュースなども行う代表の上田雄三に、これまでの活動や使命について話を聞いた。

文=野路千晶

gallery Q 代表・上田雄三 Photo by Chika Takami
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「小さな箱であると同時に、 世界に通じるトンネルでもある」

美術を学ぶ場としてのギャラリー

 大型百貨店や老舗画廊などが立ち並び、近年ますます賑わいを見せる東京、銀座エリアの一角に「ギャラリーQ」はある。代表の上田雄三がギャラリーを設立したのは1983年。日本の若手作家や、当時の日本でほとんど紹介される機会のなかった、韓国や中国を拠点とする気鋭のアーティストをいち早く紹介してきた。

 静岡に生まれた上田の周囲には、幼い頃から美術があった。静岡で結成された戦後の美術家集団「グループ『幻触』」のメンバーの杉山邦彦は兄の同級生。上田は石膏像や絵画のある杉山の自宅を訪れていた。また中学校では、同グループの中心人物である鈴木慶則が美術の教鞭を執っていた。そうした環境で自然と美術を志した上田は高校で美術を学び、美術大学のグラフィックデザイン学科へと進学。しかし学生運動の余波が色濃く残る当時、大学では休講が続くことも多かったという。そんなとき上田が訪れていた先が、銀座の画廊だった。

 「学校よりも画廊にいる時間のほうが多かったです。銀座では、多摩美の恩師でもある李禹煥(リ・ウーファン)さんや上智大学教授のジョセフ・ラブさんとの交流もあった。 画廊で“もの派”など現代美術に直接触れることで、美術への関心がより高められた気がします」。

gallery Q 外観 Photo by Chika Takami

日中韓、東アジアの美術のつながり

 大学卒業後は周囲の作家らの後押しなどもあり、デザイン事務所勤務などを経てギャラリーを設立。交流のあった作家のなかで、上田がもっとも影響を受けた人物として郭仁植(カク・インシク)を挙げる。1919年韓国生まれの郭は37年に来日し、「具体」やアンフォルメルに影響を受けた作品を制作。上田は学生時代より郭のアシスタントを14年ほど務めていた。そして、郭との出会いをきっかけに、上田の韓国、中国などへの関心とネットワークが広がっていく。「日本の美術教育は西洋美術一辺倒の傾向があり、自分もそうした影響下にある。けれど郭さんとの出会いをきっかけに韓国・中国、東アジアの美術に触れ、日本で美術を語る上でそれらを無視することはできないことを知った。そして、芸術文化を通して互いに理解し合うことができるのではないかと思いました。現在、郭さんの生誕100周年記念展を韓国で計画しているところです」。

1970〜80年代、郭仁植と奥多摩の川で集めた石と陶の作品。「作為を極力加えない」という意図の上、作品として成立する Photo by Chika Takami

 94年に北京にて「中国国際交感芸術祭─中国・韓国・日本」、95年には日本で同様の企画を行うなど、上田はいち早くアジアの美術に着目した展覧会を開催した。 「当時中国では、アーティスト=危険思想の持ち主とされ、当局にマークされていた。シンポジウムはわずか30分で中止になり、作家や評論家と接触にも様々な工夫が必要でした。けれどそうした状況下でも、芸術に対する気持ちは国境を超えて共通。王魯炎(ワン・ルーウェン)らと徹夜で筆談したこともありました」。

 日中韓、そして東アジアの美術の歴史を掘り下げることは、ギャラリーQが掲げる使命のひとつだ。

作家の死後も作品は生き続ける

 ギャラリーQは独自企画に加え、1年の半分ほどを貸し画廊として解放、これまで様々なアーティストが展示のためギャラリーの門を叩いてきた。現代社会や都市で暮らす労働者、自画像を思わせる人物像を風刺的に物悲しく描く画風で知られ、2005年に31歳の若さで逝去した石田徹也もそのうちの一人だった。

 「ある日ポートフォリオを持って石田さんがギャラリーを訪ねてきた。作品を一目見て面白いと思い、ギャラリーで企画展を開きました。その後石田さんが亡くなり、故郷でもある静岡県立美術館にて協賛をつけて追悼展を企画したんです」。上田は同時にテレビ局へもアプローチ、展覧会はテレビ番組に取り上げられ、当時無名作家であった石田の企画は1万3千人近くの集客を生んだ。そしてその後も国内外で紹介され、2015年「第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」でも展示の機会を得ることになり、上田がコーディネーションを務めた。

 「作品というのは作家が亡くなったあとも生き続ける歴史。その歴史が埋もれないように評価し、つなげていく。それがギャラリストの仕事だと思います」。

取材時に開催していたのは、タシロサトミの個展。作家愛用の革製品や日用品を手がかりに描いた抽象画が並ぶ Photo by Chika Takami

ギャラリーが担う役割

 ギャラリーQのオーナーである一方で自らを「エキシビション・プログラマー」だと名乗る上田はこれまでに約100件におよぶ展覧会を企画、プロデュース、コーディネーションしてきた。そして、それらのなかには会場のセレクション、作品に関する文章の執筆、ポスターデザイン、資金集めなど、展覧会づくりの一切を引き受けた展示も多数ある。こうした多岐にわたる活動はギャラリー運営の延長線上に位置するもので、上田はギャラリーを「作品を社会化させるための場所」だと言い表す。

 「作品は展示することで初めて作品になり、社会化する。ギャラリーは“もの”から“作品”へと価値を変換する場所であり、その価値をさらに広げていくのが国際展や美術館での展覧会です。ギャラリストはいわば、そのパイプ役。ギャラリーは小さな箱であると同時に、世界に通じるトンネルでもあるんです」。

ギャラリーいち押しの作家

高嶋英男

 陶器で人の形を制作し、表面に絵付けをして焼成、その後「金継ぎ」などの技術を使いて一部に箔を施した立体作品を制作しています。伝統と現代、ユーモアのバランスが魅力的。近年は鰹節を素材とした彫刻作品なども手がけているようです。

高嶋英男 左──空壺の鳥 2017、右──空壺の人 2017

『美術手帖』2017年7月号「ART NAVI」より)