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INSIGHT - 2017.11.9

パン人間はなぜ「処刑」されたのか? 折元立身が見せた「思いやりと暴力」を紐解く

顔一面にフランスパンをくくり付けた「パン人間」や、アルツハイマー症の母の介護を作品とした「アート・ママ」シリーズなどで知られる折元立身が10月22日、川崎市岡本太郎美術館で「26人のパン人間の処刑 川崎市岡本太郎美術館 2017」を行った。

「26人のパン人間の処刑」パフォーマンスの様子。右が折元立身 撮影=大坂崇 ©アートママファンデーション

 世界中のどこにでもあり、誰にとっても身近な「パン」。これを顔面にくくりつけたパフォーマンス「パン人間」で昨今、大きな話題を集めている折元立身が10月22日、地元である川崎の岡本太郎美術館で「26人のパン人間の処刑 川崎市岡本太郎美術館 2017」と題したパフォーマンスを行った。

 これまで、川崎市市民ミュージアムをはじめ、世界各国で行われてきた「26人のパン人間の処刑」(以下「処刑」)。これは、豊臣秀吉の命令によって、長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者「日本二十六聖人」から着想されたもの。目隠しをされた26人の「パンの売り子」が柱に縛り付けられ、すべてのパンが床に落ちるまで、みずからの体を激しく動かし、絶叫し続けるというパフォーマンスだ。

「26人のパン人間の処刑」開始前の様子 撮影=大坂崇 ©アートママファンデーション

 今年に入ってから「パン人間」のパフォーマンスをリニューアル開館した富山県美術館や、アートイベント「海と山のアート回廊」(尾道)などで行い、SNSでも大きな注目を集めている折元。なぜいま、岡本太郎美術館でこのパフォーマンスが行われたのだろうか。

 同館学芸員・片岡香はこう話す。「近年の折元さんの活動では、顔にパンを括りつけて練り歩く『パン人間』や、介護をテーマにした『アート・ママ』など、人とのコミュニケーションによってつくられるパフォーマンスが知られています。しかし今回、折元さんは国内の美術館では開催が難しい憎悪や暴力をテーマとする『処刑』のパフォーマンスに挑むこととし、それにふさわしい場として、社会に鋭いメッセージを突きつけた岡本太郎の名を冠する当館での開催を希望されました」。

 折元自身、今回のパフォーマンスについては「私は人との間に思いやりだけでなく、憎悪や暴力が、一方反面にあるので、思いやりがいっそう強くなるのだと思う。それで、パン人間のパフォーマンスにも、やっていけない処刑の方法を考え、思いやり⇔暴力を考えてみたいと思った」とその意図を語っている。

「26人のパン人間の処刑」の様子 撮影=大坂崇 ©アートママファンデーション

 2016年に川崎市市民ミュージアムで行われた大規模個展「生きるアート 折元立身」(2016年4月〜7月)を企画した元同館学芸員・深川雅文はこのパフォーマンスについて、こう語る。

 「『パン人間』『アート・ママ』『おばあさんたちとのランチ』などは、コミュニケーションを通して、最後には人々との『親和』の場を生み出す。対する『処刑』では、パフォーマーは処刑台に拘束され目隠しされ、他者とのコミュニケーションは遮断され、箱に盛られた『命』の象徴としてのパンを空にするまで(死ぬまで)激しくもがき、動き、そこにうめきや悲鳴も混ざり、処刑後、パンが一面に散乱するという惨状が生み出される。つまり、極めて「暴力的」である点で、前者の作品とは鋭い対立をなしています。折元のパフォーマンスの中で、もっとも暴力性が際立った作品であると言えます」。

「26人のパン人間の処刑」パフォーマンスの様子。左から2番目が折元立身 撮影=大坂崇 ©アートママファンデーション

 「処刑」は2004年に川崎市市民ミュージアムで行われたものが初演。当時、担当していた深川は今回との違いについてこう続ける。

 「2004年の『処刑』には、当時の社会状況も絡んでいました。2001年に9.11の同時多発テロが起こり、その後もイスラム過激派によるテロなどが続いた。同年4月には、現地にいた日本人が誘拐され、殺害の危機が迫る事件があった。新世紀に入ったものの、明るい未来より暗雲が垂れ込める状況が時代を支配していた。時代と、そこに生きる自分自身に対しての、作家の怒りと憤りのようなものが感じられました。初演では、作家も参加者も、そして観覧者にもそのような時代の雰囲気の共感があったはずです。そうした時代状況から遠く離れた、岡本太郎美術館での実施は、処刑をテーマにしたゴヤの《1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での虐殺》(1814)が、事件から遠く離れた今日でも観るものの心を揺さぶるのと同様に、作品として「生きている」ことを強く感じさせました」。

「26人のパン人間の処刑」の様子 撮影=大坂崇 ©アートママファンデーション

 「岡本太郎美術館のものは、初演より、時間も内容も凝縮したものでした。初演では、26人の処刑が終了した後、死んだパン人間たちの「再生」のパートがあった。来場者によってパンが再び箱に戻され、パン人間たちは復活する。そしてさらに最後に、26人全員による処刑の実施が命じられ、最初の処刑にも増して暴力的なエネルギーが会場を支配し、阿鼻叫喚の混乱した状況が生まれました。他方、岡本太郎美術館のパフォーマンスの最後では、折元は口を開き『We are still alive』と述べて、処刑されたパン人間たちは復活し、救済されたのです」。

「26人のパン人間の処刑」が終了したときの様子 撮影=大坂崇 ©アートママファンデーション

 パフォーマンス後、折元の口からは海外での活動に重心を移す発言も飛び出した。母・男代を亡くし、その悲しみを覆い隠すように精力的な活動を見せている折元。「We are still alive(私たちはまだ生きている)」というポジティブな言葉は、折元が示したひとつの「区切り」のようにも聞こえないだろうか。

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