レファレンスとしてのダン・フレイヴィン
——「ダン・フレイヴィン」というと名前はよく知られていますが、日本でこれだけの数の作品が見られる機会はとても貴重です。真鍋さんとフレイヴィンは一見、あまり関わりがなさそうですが、じつは図録も持っているそうですね。率直に、今回の展示をどうご覧になりましたか?
真鍋 プリミティブな光の表現をしているということで言うと、まったく関係がないわけではないと思うんです。ただ、直接的に比較できるようなことはあまりないかもしれない。以前、AntiVJのジョアニー・ルメシエやパブロ・ヴァルブエナみたいに、プロジェクション映像でミニマルな作品をつくっているアーティストにインタビューしたことがあって、「どういうものに影響を受けたのか?」と聞くと、ジェームズ・タレルやロバート・アーウィン、そして今回のダン・フレイヴィンという答えが返ってくる。あの時代のミニマルな作品に影響を受けている人は、けっこう多いんです。
——間接的な影響関係があると。これまで実作を見たことは?
真鍋 ないですね。本やインターネットでだけ。今回の展示、Instagramによくあがってきていたので早く実物を観に行きたいなと思ってたんですよ。光の作品だと環境、というか周囲も含めて、“引き”で全体を見ないと面白さがわからないところも多いので、生で見られてよかったです。
——厳かな雰囲気もある作品ですよね。
真鍋 これを見にくる人はどういう感じで見ているのか、気になりますね。キャッキャッ言って写真を撮りながら見ているのかなと(笑)。
——「環境」というお話がありましたが、実際、フレイヴィンが登場した60年代には「彫刻作品と環境」の関係が大きな注目を浴びていた。それがのちに、いまで言う「インスタレーション」へとつながるわけですが、フレイヴィンはその可能性を開いた代表的な作家の一人ですね。
阿部 ミニマリズムで光を使う作家としては最初の存在ですね。コンピューターベースのメディア・アートにとってみると、最初の参照軸であり、また乗り越えないといけない対象でもある。ミニマリズムは、シンプルなだけに、プレゼンテーションの強度が非常に高いわけですよね。どんどん要素を削ぎ落として、強度を高めていく。フレイヴィンの場合、ホワイトキューブの床も壁も、反射も計算した上で、ミニマルな要素だけで世界を構成して、勝負できてしまう。メディア・アートはそれとは正反対に、映像であったりインタラクションなどによって光を動かすことが多い。そのとき、ミニマリズムの原型的な、切り詰められた強度にどう勝負するかにみんな引っかかると思うんです。参照軸としては、ミニマリズムにすごい影響を受けるんですけど、それをどう表現で乗り越えるかは至難の技なのかと思いますね。
じつは光というのは、哲学的、概念的には、人間にとって非常に根源的なものであるにもかかわらず、アートの表現としては思ったほど多様性がないということがある。太陽光が基本にあり、それに対抗して、燃やして起こる光と、あとは人工的な発光媒体として、フィラメント電球、いくつかの電磁系(蛍光菅、ネオン、レーザー、プラズマなど)と半導体系のLEDしかない。炭素電球やアーク灯などの電球の起源自体は非常に古いものです。それ以上のもっと多彩な発光、反射光、フィジカルなシステムとかデバイスがあって、表現が広がればいいのですが、それほど手段は多くない。それに対して彼は「蛍光管といえばダン・フレイヴィン」というかたちをつくり出してしまったすごさはありますよね。
でも、フレイヴィンも晩年になると、どんどんスペクタクルになって、非常にアーキテクチュアルになっていく。原型的な要素だけで構成したものから、いい意味では豊かに、見方によっては原点的なところから遠くへ行ってしまう作品も、自らつくり出している。自分の中にもそういう葛藤はあったのでは、と思います。真鍋さんも新しいメディアを使って、光を表現するのは大変ですよね?
真鍋 大変ですね。もうやりつくされているし、光を用いたミニマルな表現となれば、UVA、カールステン・ニコライや池田亮司さんもいる。僕らの世代はフレイヴィンそのものよりも、カールステンや池田さんの時代をどう乗り越えるかということを議論することが多かったように思いますが、自分たちの世代はソフトウェアのエンジニアリングを駆使した感じでしょうか。
フレイヴィンが持つ批評性をいかに超えるか
——メディア・アートは一般的にはインタラクティブなものとイメージされますが、真鍋さんは過去に、「インタラクティブな作品というのは、意外と思考停止しているんじゃないか」「何かに触れて動くのを見て喜ぶのは、新しいことのように見えてじつは思考停止しているんじゃないか」とおっしゃっていましたね。
真鍋 そんなこと言ってましたっけ?(笑)
阿部 たしかにカールステン・ニコライや池田亮司はインタラクティブなことをやっていないんですよ。動く要素は、作家が厳密に制御したかたちしか見せない。やはりミニマリズムですよね。池田さんなんかはみずからウルトラミニマリズムと呼んでいますし。
——フレイヴィンの作品も、観客の身体を巻き込んでいく要素はありますが、関わらせ方は非常に抽象的だと思います。そのあたりが真鍋さんの作品のつくり方ともどこかつながるように思えますが、いかがですか?
真鍋 一時は人とメディアのインタラクションやインターフェイスの問題に、興味の中心がありました。でも、ダンサーや振付家と一緒に仕事をするようになって、より緻密なインタラクションを考えられるようになり、インタラクションは当たり前で、その上で空間の中にどうやって光を構築するかという作業にシフトして行きました。ドローンやAR、VRなんかはそういった流れで使うようになった感じですね。観客の動きをそのままダイレクトにインタラクションに使う作品はほとんど無くなりました。
阿部 今年、Gallery AaMoとバルセロナのSonárでやった『phosphere』(フォスフィア)もインスタレーションとして構成されていて、レーザープロジェクションの光で線的な三次元の空間構成による光の効果を出していましたよね。最初は光と線と、ダンサーと光とのコラボーレーションなんですが、最後にダンサーがいなくなると、光だけで三次元の立体映像的な人物の像が踊っている。あれはおそらく世界初の試みでしたよね?
真鍋 そうですね。Sónar Festivalでは海外のメディアがすごく反応してくれました。
——阿部さんが今回の展示を見て、フレイヴィンと真鍋さんの作品に感じる共通性や差異はどのあたりでしょうか?
阿部 いま話に出たように、インタラクティブなものというのは、多様なようでじつは安易に陥りやすい難しい部分もある。表現として動きそのものに注目させる、物理現象をアーティスティックにビジュアライズさせるというのは楽なものではありません。動きという要素を入れることが多様性にもつながりますが、首を絞めかねないものでもある。だから、動きが加わった時点でその次元について哲学的にも徹底的に追求しないことには、インタラクティブというのはアートになり得ないと思うんです。それをあまり考えずに使っている例は、世の中にすごく多い。そのなかで真鍋さんは、例えば「フレイヴィンのこういう作品が本当に動き出したらどうなるのか」ということをシリアスに考えた上で取り組まないといけないわけですよね。
フレイヴィンそのものについて言うと、結局これは工業製品であり、消耗品であって、時間的な寿命があるスタティックな事物であるということを事前に織り込んだうえで使っていて、それが非常に強い批評性を持っている。そういう批評性に対して、真鍋さんは動きというものを表現として切り詰めていかないといけないという、大変さがあると感じます。最初に言ったように、フレイヴィンに対抗できるような強度として、どんな表現が「インタラクティブ」において可能なのかというのは、相当考えなければいけない。
——要するに、フレイヴィンの表現のようなものに、動きが実際に付け加えられるようになってきたとき、それを安易にやってしまうと、じつは切り詰めた構成は簡単に崩れていってしまうのではないかと。
阿部 そうですね。根本から光と表現の関係を否定しかねないことになる。その意味では、フレイヴィンが60年代に表現方法を発見し、公表した段階で、かなりの世界観を規定している。その意味では、本当にスターですよね。
宗教と科学、フレイヴィンの二つの視点
——一方でフレイヴィンは、ウラジーミル・タトリンのような過去の作家や宗教画への参照もあり、伝統的な絵画や彫刻というジャンルに対しての意識を持ちながら制作をした作家という面もあります。いまで言うメディア・アートのような意識というよりは、従来の絵画や彫刻といったジャンル意識からスタートした作家だと思うのですが、そのなかで工業製品である蛍光灯を使い出すというのは、相当にイレギュラーなことでもありますよね。
阿部 そうですね。ただ彼は、軍隊にいたときに気象観測技術者だったんです。だから、非常に科学的、物理的なリサーチや視点を徹底的に持っている人であった。その現象や予測に対しての冷めたモノの見方が、単純にエモーショナルなものを表現するのとは違う、科学的で客観的な視点を同時に持ち込んだのだと思います。それが、こうした芸術的発見と成果をもたらしたという気もしますけどね。タトリンに対しても、芸術的イメージの普遍性、永劫性へのオマージュもあれば、消耗消失的現象として批判性も大きく込めており、両義的視点ですよね。
真鍋 (展覧会の)解説を読むと、「テクノロジー」という言葉が出てきます。それは蛍光灯を使うことに対してだと思うんですが、それがどれくらい意識的で、当時インパクトがあったのか。実際、どうだったんですかね?
阿部 蛍光灯そのものは古い発明品であり、それが戦後の大量生産時期に工業製品で大衆化されていて、ありきたりなものだったのでしょうけれども、それを一本で、あるいは直線として、どう作品として成立させるかを考えたのは面白いですよね。フレイヴィンはミニマリズムを標榜するので、一種の光の宗教性やモチーフを否定したうえで、構成要素として幾何学が持っているものの存在だけで切り詰めていくというのが、表向きの説明なんですけど、じつは彼の親はカトリックの宗教家なんですよね。
——興味深いのは、最初に光を使ったのが「Icons」というシリーズで、そこから蛍光灯を使った作品に移っていくこと。本人は否定していますが、宗教的な背景は強く意識させる部分ではありますね。実際にあそこの空間に立つと、多くの人がそれを感じると思います。
阿部 ありますよね。それで、フレイヴィンには双子の兄弟がいたのですが、彼が62年に死んでいる。彼の死後に蛍光灯を扱い出すんですよね。だから宗教的、スピリチュアルな要素というのは裏の否定的な隠匿されるモチーフとしては強くあったのではないか。その二律背反的な、それを完全に否定するミニマリズムという操作と、そうではない非常に個人的で精神的なモチーフという葛藤の中から生まれてきた感じはありますよね。永劫的なイコンと、有限な存在である工業消耗製品という二律背反性もありますし。
——ミニマリズムは、「物体そのものの現前性を提示した」と紹介されることが多いですよね。しかし、ドナルド・ジャッドなどミニマリストと称された作家のほとんどは、自分がそう呼ばれることに否定的な見解を述べている。彼らは「A=A」などと同語反復的なことを表現していたわけではなく、アメリカにある新しいリアリティを探求するなかで、こうした表現に行き着いたのではないかなと。ちょうど当時は、ヨーロッパからアメリカに美術の本場が移った時代でもありました。
阿部 工業製品を積極的に使うという意味では、アメリカならではだし、そこはメディア・アートにつながる部分もありますよね。メディア・アートも民生化された製品(ハードもソフトも含めて)をどうアレンジしていくかなので、その根本はあまり変わっていない。ビデオ・アートの開拓者として知られるナム・ジュン・パイクもですが、作品の寿命という意味で、新しいメディア——ビデオ、ブラウン管TV、LED、プロジェクションにしても——は絶対に消費期限がきてしまいます。ずっと作品を保存できるかについてはネガティブにならざるを得ない。そういう意味でもフレイヴィンはメディア・アート的な発端を意識的に持ち合わせている。
真鍋 僕の場合は「もの」よりも「こと」の方が多いので、そもそも保存については考えていないんです。パフォーマンスも保存できないですし。ただ、フレイヴィンがこれだけ同じスタイルのものを、徹底的につくるというのはすごいと思います。
阿部 真鍋さんとしては、自分とは少し違うスタイルの作家という感じなのでしょうか? 蛍光管一つで何十年も、といった方法より、真鍋さんはむしろ自分の中につねに10個くらいの極があって、それらを行き来している印象を受けますけど。
真鍋 デバイスの選択で自分の活動を制約するみたいなことはあまりしませんね。「型」みたいなものはない方がいいとは思っています。
阿部 トレードマークをつけないということですね。
真鍋 そうですね。だから、フレイヴィンは正反対で面白い。
制約があるから面白い
——さきほどカールステン・ニコライや池田亮司、そしてその先にフレイヴィンが見えてくるという話がありましたが、真鍋さんのミニマルな志向性とは、どの辺りから出てきたものなんですか?
真鍋 たとえば「phosphere」は、32本の光軸を使って立体像を結像可能として、その中でどういった身体表現が出来るかということにチャレンジしたパフォーマンス作品なのですが、ほとんどが幾何学的な問題であまり色を使う必然性が出てこないので白しか使ってないんです。もちろん光量を稼ぐという意味合いもあるのですが。あと、複雑な形状を出そうとするとシステムの面白さがわかりにくくなるので、必然的にアウトプットを削ぎ落とすことになるんです。バウハウスのオスカー・シュレンマーが空間と身体を幾何学的に扱った際に色を使っていないのと同じ理由だと思うのですが、必然的にミニマルな表現になっていく感じですね。
でも、今回展示されている作品だと、色を使っている作品は型から外れていて面白いな思ったんですよね。色をつけたのはなぜだったんですかね?
阿部 最初は単色で提示していたわけですが、その後の多様な展開を考えるなかでカラフルな組み合わせが出てきたのだと思いますね。
真鍋 ちょっと邪念が入っているのかもしれない(笑)。
阿部 邪念というか、多様性の展開というか(笑)。結局、ミニマリズムは展開をしないと、自分の首を締める、つまり創造行為が限界を迎えてしまうわけですよね。それをどう打ち破るかを自己問答のなかで考えないといけなくて、そうすると三次元空間での組み方であったり、モジュールの組み方を変えていくという、アーキテクチュアルな、空間的な展開になったり、多様なものを見せるというところに行かざるを得ないと思うんですよね。
真鍋 制約があるから、展開が見やすくて面白い。
——フレイヴィンの親友だったジャッドも、建築へのアプローチをどんどん強めていきます。ミニマリズムの作家の作品は、空間や観客との関係のなかで意味をつくっていくものが多かった。そこに現れた特性や問題を自覚して追求するなかで、だんだん多様な展開になっていったという気もします。
阿部 好意的に見るとそうですよね(笑)。
真鍋 光を使った作品をつくるということは、ほとんどが空間をつくる作業なので、それが建築的になっていくというのは、ある意味で当たり前なのかなとも思います。
——それで言うと、あまり使われないホワイトキューブのコーナーを使った作品も、フレイヴィンの作品のひとつの特徴です。角をあえて意識させるという。
阿部 そうですね。光を「デバイス」として見たとき、平面性だけでなく、多次元面の接合であるコーナーの空間性も考慮するとそこに行き着くだろうなと。パブロ・ヴァルブエナなんかは、まさにそうしたものに影響を受けたんだと思いますね。
真鍋 パブロの作品「オーギュメント・スカルプチュア」は、光で空間やオブジェクトをどう拡張するかというものでした。コンセプトは「オーギュメンテッド・リアリティ」以降に考えられたものという印象を受けますが、光をデバイスとして扱うことの難しさにぶち当たって悩んだ結果、出てきたアイディアという感じもします。
阿部 ライゾマティクスもYCAMでやったインスタレーション《particles》で、LEDの球を使って3Dのドットが三次元で動く、というのをやったけど、結局モノクロでやっていましたよね。
真鍋 そうですね。色が出るのは非常停止のときに赤く光るだけですね(笑)。それ以外ずっと白。色を使ったバージョンもありますが、コンセプトがブレると考えて展示では使っていません。なのでフレイヴィンの作品に色が出てきたことは(特にここの展示室のように並んでいると)、かなり飛躍したように見えました。すごくいろいろな葛藤があっただろうし、何か言われるだろうということも予想できたはずだけど。
阿部 集合無意識的な日常の知覚基盤として、カラーテレビの普及もあったんじゃないですかね。モノクロからカラーテレビというのは、知覚の受け皿のメディウムの大きな転換であって。無関係ではないかもしれない。
真鍋 人類にとってはすごく大きな事件だと思いますね。それ以前は夢もモノクロだったのに、カラーテレビが出たことで夢がカラーになった、というくらい。当時、物を見る上では、テレビはすごく影響が強かったんだろうなと思う。いまもVRやARみたいなものが2000年代初頭から出てきて、その上でどういう表現をしていくかということが問われている。僕らはなんでもできるので選択していくのが難しいんですよね。みんなが使えるツールを使って作品をつくると、いつの間にかコンテンツの戦いになってしまうので、誰でも買える工業製品を持ってきてポンと置くという勇気があれば本来いいんですよね。
——真鍋さんは「ハイテクであることのプライオリティは低い。大事なのはコンセプトがあるかどうかだ」と、たびたび言っていますよね。フレイヴィンの蛍光灯も、技術としてはハイテクでもなんでもなく、むしろありふれたもの。でもそれを何十年も使い続けられたのは、先端性よりむしろ根源的な問いが裏にあったからではないでしょうか。
真鍋 何十年も使い続けるって、あらためてすごい。ある意味狂ってますよね。
阿部 でも、蛍光灯の「フラットな線を光らせて見せられる」というのはすごい発明ですよね。それまでは点光源だったわけで、ドットになってしまう。こういう線そのものが発光体になるという、それはすごいことですよね。それで、いまだに使われているわけですから。
真鍋 たくさんの色をつけた作品も、発展させようと思えばいくらでもできるじゃないですか。そのなかでなぜ、あの配色にしたのか。幾何学的な問題からカラーの問題を取り込んだのはすごく飛躍を感じます。あと、野外でやっているものもありますよね。野外の作品は、ホワイトキューブで光を反射させて見せるのと、かなり違う環境ですよね。
誰でも使えるものからの“ジャンプ”
——今日、ご自身にも連なる作家の活動を見て、あらためて自分の活動について考えたことなどがあれば、教えてください。
真鍋 こうして通して見ると、視覚的なトンマナはあまり変わってないのにヴァリエーションがたくさんうまく生まれているところとか、すごい発明だなと思います。ただ、ミニマルな光の表現ということだと、やっぱりタレルの作品について考えさせられることが多かったですね。ホワイトキューブで光の展示をした人はみんなそうだと思いますが。
——真面目に作品をつくろうと思ったら必ずぶちあたると。
真鍋 そうですね。ぶち当たって、なんとかして差異をつくらないといけないと苦戦するのではないでしょうか。プロジェクターを使って美術館で作品を展示しているような人は、どうやってもこのあたりのミニマルな光と空間の作家の影響は受けるし、それを乗り越えられない辛さとずっと向き合ってやっている気がしますけどね。
——真鍋さんのなかで、タレルとフレイヴィンの感じ方にはどのような違いはありますか?
真鍋 光と空間の扱いから、ヴァリエーションのつくり方、他のメディアの使い方とか、ぜんぜん違うと思いますが当時も比較されていますよね。
——タレルの方が1世代ほど年少、かつ、フレイヴィンは東海岸で活動したのに対してタレルは西海岸で活動した。なので、直接の関わりがあったかはわかりませんが、後進のタレルがフレイヴィンを意識していたことは十分考えられますよね。
阿部 フレイヴィンの世代はどうしても、あの時代に「アメリカならではの何か」を発信しなくてはならず、そこからミニマリズムみたいなことを提唱せざるをえなかった。東海岸のストイックな姿勢もあったかもしれない。一方、タレルは西海岸のカウンターカルチャーから出ているんですよね。ロサンジェルスでロバート・アーウィンと「ライト&スペース」というムーヴメントも60年代に提唱していますし。社会活動やライフスタイルに非常にオープンで解放的です。アリゾナの火山の噴火口を利用した「ローデン・クレーター・プロジェクト」のような、超常体験的な作品体験を完全に肯定的に考えて、超歴史的な視野で知覚もとらえていく。カウンターカルチャーなので、より多様な原理で攻めていくことができたのではないかと。だから聴覚もあり、視覚もありということに展開していく。
真鍋 そうですね。時間軸がすごくある。その辺は自分に多少は近いな、と思います。
阿部 光を使った作品だと、ネオンアートみたいなものもありましたが、近年のオラファー・エリアソンくらいになると「科学の楽しさ」というか、多様性がどんどん肯定的に持ち込まれるわけです。謹厳的なミニマリズムから後の、ある意味で断絶があるそういう世代が出てきた、そのこと自体が非常に重要なのかと思いますね。
真鍋 先行世代とは、どうやってもつながっているものです。たとえばプログラミングを用いた表現ということだと、ジョン前田、マイロン・クルーガー、という感じでもう少し遡る期間が短くていいわけですが、光と空間ということになると、さらに遡れますよね。
阿部 メディア・アートから振り返ると、クリエーション的な要素だけでなく、インターフェイス・デザイン的なものも大きいですね。
真鍋 デザイン的な要素は強いと思います。そうなると20世紀初頭まで遡ってバウハウスの話になってしまうのですね。それをつねに意識しているわけじゃないんですけど、あらためてこういうところに原点があるんだな、ということを感じられました。
——一見、奇抜なことをやり始めたようにも見えるフレイヴィンにも、過去の参照という面が強かったわけですが、「最先端」と謳われがちな真鍋さんも、過去のリサーチとそれへの参照で作品をつくられているわけですよね。
阿部 真鍋さんほどメディア・アート、あるいはメディアと人類の歴史をリサーチしている人はいないですよ。
真鍋 その部分をキャッチコピーにしてほしいくらいです(笑)。「最先端」ってキャッチコピーがすぐに付いてしまうのですが、本質をとらえていないと思います。
——「最先端」じゃなくてなんと呼ばれたいですか?
真鍋 「枯れた技術の水平思考」の方が近いかな(笑)。技術の新旧ではなく使い方や組み合わせなどのアイディアかなと思うのですが。
——フレイヴィンの蛍光灯も当時からぜんぜん珍しい技術ではなかったわけですからね。
阿部 でもそれがホワイトキューブに置いてあるとマスターピースになる。今回の東京での展示では、その本質的な意味や美しさを見ることができますね。
——その飛躍に感動があるんでしょうね。日常に埋没しているものから、崇高なものへのジャンプというか。
真鍋 思いついたら誰でも簡単に出来るけど、なかなか思い浮かばないことを見つけるのが一番難しい。フレイヴィンの「誰でも使えるもの」から「作品」への飛躍に感動してほしいですね。