南極についての批評誌『P2P』をつくっている。もっとも欲しいものなのに、どれだけ探してもどこにも見つからなかったので、自分で用意することにした。準備号の第◯号を昨年に刊行し、現在、第一号の制作を進めている。きっかけは「コロナ禍」で目にしたあるニュースだ。COVID-19の感染者が、とある南極観測基地で確認されたことを受け、その報道は、「これで世界7大陸のすべてで感染者が出たことになる(*1)」と伝えていた。プレーンな事実報告であるはずの文言に、なぜだか唐突さを覚えた。
南極で起こる出来事に、なぜ「世界」の命運を見た気がしてしまうのか。近所の書店には小松左京『復活の日』が平積みされ、映画館では庵野秀明監督の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が公開されていた。再読され、あるいは再制作され話題を集めたSF作品はどちらも、南極大陸を人類の終末—再生の地として理想化している。その短絡を短絡だと思ったことがなかった。しかしなぜ? 南極大陸はいつから、どのようにして、いかなる「セカイ」の表象となったのか──。
その問いがどのような興味にたどり着き、どんな場所やものや人物を訪ねることになったのかは、ぜひ『P2P』本誌で確かめて欲しい。本稿では、筆者が次号の『P2P』制作に向けたリサーチのなかで訪れた、3つの展示を紹介しよう。
特別展「南極観測隊と南極観測船」(南極観測船ふじ)
特別展「南極観測隊と南極観測船」は、南極観測船ふじと、名古屋港ポートビル、名古屋港水族館の3つの施設におかれた各会場をとおして行われた、合同的な展覧会だ。本展では、その名のとおり南極大陸で観測をおこなう隊、彼ら彼女らを現地に送り、迎えにゆく観測船についての資料とともに、観測事業の内実を紹介するものだ。
まず足を踏み入れたのは、南極観測船ふじだ。昭和40年(1965)から18年間、実際に砕氷船として運用されていたこの船は、なんと昭和60年(1985)からガーデンふ頭に係留(!)されている。訪れるまで知らなかったが、船内の設備をほぼそのままに、この船自体が「南極の博物館」としてふだんから開場しているらしい。10月4日に同じくガーデンふ頭に停泊し、特別に船内を公開していた砕氷艦「しらせ」とあわせて鑑賞した。船内には、航行の様子を再現するように、居室から医務室、「理髪店」として利用されていた各船室にポーズをとったマネキンが設置されている。
食堂にも同様に、調理場や受け渡し口のカウンターにマネキンが置かれていた。自然と、沖田修一監督の映画「南極料理人」を思い出す。『P2P』第0号では、第38次、第45次越冬隊での調理担当者であった北田克治氏による「南極レシピ」を掲載している。その文章によれば、北田氏は観測基地での食事に、はじめておせち料理を実現した人物であるらしい。調理と食事は、生きるためのルーティンワークでありながら、それ自体が文化的な営為だ。現地での狩猟採集が許されておらず、白夜や極夜といった条件により時間感覚すら失調しうる環境のなかで、食事はテリトリーの意識を維持する方法として切実なものだろう。その準備はすでに、この道中に始まっているのかもしれない。


特別展「南極観測隊と南極観測船」(名古屋港ポートビル[展望室、1階ロビー] 、名古屋海洋博物館)
続いて訪れたのは、6本の柱を角の丸い直方体2本で挟んだような、異様な形状で存在感をアピールする名古屋港ポートビルだ。この形状は、白い帆船をイメージしているとのこと。たしかに、土台となる楕円形の低階層と組み合わせて見れば、このビル全体が船の形をしていることがわかる。展望台から、ビルの白璧とともに「ふじ」と「しらせ」を見下ろしたときには、自分が位置する場所が、遠未来の砕氷船のようにも、砕氷船を迎える氷山のようにも思えた。


印象に残ったのは、3階の名古屋海洋博物館だ。館内の展示は、名古屋港におけるコンテナ輸送の洗練されたオペレーションや、コンテナそのものの機能的な利便性を伝えるものが多く見受けられた。企画展ゾーンでは、南極大陸への上陸をかなえる航路と、その歴史的変遷を見せる資料がおかれ、さながら操舵室で広げた海図を覗くかのような体験だった。
マルク・レビンソンの『コンテナ物語』が詳述しているように、コンテナという「箱」は世界中の物流のあり方を一変させた。荷物のかたちを一挙に規格化したこの箱は、港の荷受け作業をも規格化し、そして自動化し、高速かつノンストップのオペレーションを可能にした。南極観測隊の物資を包む「箱」であるのはもちろんのこと、「持続可能な住宅システム」として開発されている「南極移動基地ユニット」(*2)もまた、コンテナ型だ。ロジスティクスとは、「兵站」を意味する軍事用語であった。観測船が負っているのは、1年間の越冬に耐えうる隊員と物資を効率的に備給し続ける、兵站のミッションだ。
特別展「南極観測隊と南極観測船」(名古屋港水族館)
最後に訪れたのは、名古屋港水族館だ。これまで見た「水族館」の記憶がすべてかすんでしまうような、ひときわ印象的な施設だった。この施設は、魚類・無脊椎動物を主とした南館と、海棲哺乳類を主とした北館の2館で構成されている。南館は3フロアにわたり、展示テーマを「南極への旅」とし、日本から南極に至る海の道のりに沿って5つの水域(「日本の海」「深海ギャラリー」「赤道の海」「オーストラリアの水辺」「南極の海」)の生態系を再現している。ほとんど南館しか見ることができなかったが、巨大水槽や定時にスコールを再現する特別仕様の動体展示、ひいては初期型の潜水服(ギョッとする風貌のあの2体の大ファンです)の展示など、この水族館が何よりもまず、海洋生物(史)に対しての学究心に対してまっすぐに開かれていることがわかった。

企画展のコーナーは、南館の展示内容を一部拡張したものであり、もとより充実している上記の内容の導入部として見るべきだろう。なかでも興味をもったのは、世界唯一にして初の常設展示となったナンキョクオキアミ(南極の海の基盤となるオキアミ)、エンペラーペンギン・アデリーペンギン・ジェンツーペンギン・ヒゲペンギンの4種を一堂に飼育する巨大なペンギン水槽だ。両者が並んだ施設は、南極へと至る「生態系」そのものの展示を志した本館ぐらいなのではないか。周回しているうちに、筆者には本館が「南極観測船ふじ」や帆船を模した「名古屋港ポートビル」と並ぶ第3の船、海洋の生態系を覗く潜水艦のように感じられた。

筆者が訪れた10月4日には、国立極地研究所・南極観測センター長の伊村智氏、砕氷艦しらせ艦長の岩瀬剛氏、名古屋大学名誉教授・南極OB会会長の岩坂泰信氏の三者を招いた記念講演が、施設内のシネマ館にておこなわれた。ここでは細かく紹介はしないが、講演の内容は筆者にとって、南極への関心を深く捉え直すものとなった。
南極大陸はいかなる「セカイ」表象であるか。この問いは、SF作品を経由して考えるか、それとも白瀬矗のような冒険者や、南極観測隊についてのルポやフィクションを経由して考えるかで、まったく異なる向きをもつ。前者は、地球や人類といった、無国籍的かつ無時間的な始原的な大地としてこの地をまなざす。しかし後者の視座は、あくまでもそれぞれの国家事業が束ねられた(インター)ナショナルな地として、この「セカイ」を捉えている。観測船が運ぶのは、観測隊員と彼ら彼女らが持ち込む物資だけではないのだ。
南極大陸の氷が溶ける。心配ごとはさまざまだ。
これを物理的な「海面上昇」の兆候とすれば、地球温暖化を阻止すべく環境保護活動のステートメントを導くことができる。または比喩的な「アイスブレイク」の危機とすれば、軍事的な緊張を解くべく平和維持のアクションが導かれる。あるいは夢想的な「太古の封印」の解放とすれば、神話的な厄災を防ぐべくSFめいたフィクションが導かれる。 (中略) つまり、南極が有するもっとも巨大な資源とは「イメージ」である。(南極誌『P2P』)
言い換えれば、あの凍てついた氷床は、自然環境の「保護」、世界平和の「維持」、神話的厄災の「封印」のイメージを一手に引き受ける大地(ground—根拠)だ。南極条約におけるキーワード「凍結(freeze)」は、それをもっとも象徴する語だろう。南極大陸のパブリックイメージ——人間誕生以前の環境を保存した、どの国のものでもない最古の無主地——を形作ったこの条約は、しかし各国の領有権の主張を「禁止」せず、「凍結」しているのみだ。判断主体が曖昧なまま、実質的に「留保」を強いているこのガイドラインは、氷床のイメージを利用した比喩によって「無主地の統治」というパラドクスを隠蔽している。もっとも開かれたナショナリティと、もっとも閉じられたインターナショナリティは、どのように凍り、あるいは溶けるのか。
*1──「南極でも新型コロナ感染者 チリ軍基地でクラスター」、日本経済新聞、2020年12月23日配信(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN230Z90T21C20A2000000/ )最終閲覧:2025年12月24日
*2──「南極移動基地ユニット、連結完了と実証実験開始について」、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構・宇宙探査イノベーションハブ、公開日:2020年5月22日(https://www.ihub-tansa.jaxa.jp/topics/amsu.html)最終閲覧:2025年12月24日



























