石膏像はどこから来たのか、どこへ行くのか
時にデッサン道を追究する若き画学生の腕の見せ所として、時に硬直した予備校教育を象徴するトラウマ的対象として、愛憎入り混じりに描かれ扱われてきた石膏像。日本の美術教育史を語るうえで外せない存在ながら、研究対象として真っ向から取り上げられることはこれまでほとんどなかった。しかし、石膏デッサンが日本の美術教育に導入されたのは100年も前のこと。石膏デッサンの1世紀に及ぶ歴史をたどれば、日本近代における西洋文化の受容の一側面や、近代から現代にかけての日本の美術教育の変遷がおのずと見えてくる。本書は上記のような観点に立ち、日本の近現代美術の礎を成してきた美術教育=制度の「暗部」をえぐる、野心的な制度史である。
ただし、その受容の歴史には指導者、画学生、美術家たちの多様な価値観が錯綜しており、一筋縄では語れないところがある。もとをたどれば古代彫刻の複製である石膏像は古代ギリシャ・ローマを美の規範とする西洋的価値観の象徴なのだが、日本においては受容の初期段階から、そうした起源からの逸脱があったようなのだ。石膏デッサンがアカデミズム/モダニズム、西洋/東洋など、様々な文化要素を取り込んで異種混淆的になっていくという著者の指摘は興味深く、東京美術学校の黒田清輝や美術雑誌上の言説において石膏デッサン観が次々と刷新されていくさまは歴史のダイナミズムを感じさせる。
石膏デッサンをめぐる言説ががぜん面白くなるのは、肯定と反発の声がいよいよ入り乱れてくる戦後の話だろう。1960年代には当時の流行だった海外の美術思潮と石膏デッサンに基づく美術教育の乖離が疑問視されていたようだし、石膏デッサンを通じてアカデミズムへの回帰を図ろうとした小磯良平、入試制度の改革を試みた野見山暁治ら東京藝術大学の教官による奮闘もあった。近年になると、美大・芸大は美術予備校と連動して美術産業を築き上げていく。日本の美術教育の悪しき体質を見る思いがするいっぽうで、芸大と予備校の腹の探り合いがごとき入試戦争に見過ごすことのできない熱量を感じてしまうのも確かだ。
石膏像が日本の美術教育の異種混淆性を表しているのだとしたら、今度はその異種混淆性をどう評価、批判するのかが問われることになるだろう。石膏デッサンにかぎらず、広く「受験絵画」全般を考察する機会も本書をきっかけに盛んになってほしい。議論の足掛かりになるという意味でも、多くの美術関係者が参照すべき研究書である。
(『美術手帖』2018年4・5月号「BOOK」より)