絵画は写真を模倣/予見する
その幅広いスタイルと半世紀以上にわたるキャリアから、なかなか全貌をつかみきれない現代美術の巨匠――ゲルハルト・リヒター。本書は、ドレスデン美術館内にある「ゲルハルト・リヒター・アーカイヴ」のディレクターが綴った、リヒター公認の評伝である。
原著タイトル『Gerhard Richter, Maler』が明示するように、リヒターは本質的に「画家」である。1932年ドレスデン生まれの彼は、戦後間もない東ドイツで芸術教育を受けた。そこで推奨された社会主義リアリズムが彼に不快感しか与えなかったいっぽうで、ソ連由来の伝統的な理論と実践を重視する基礎教育は、画家に「芸術に対するある種の根源的な信頼」をもたらしたという。
20世紀後半は、ポップ・アート、ミニマル・アート、コンセプチュアル・アートといった新たな動向が次々に現れ、絵画が死を宣告されるようになった時代だった。しかし、リヒターは絶対的な画力と発想の転換によって、その目まぐるしく変わる現代美術界を生き抜いてきた。その発想とは、「写真を模倣する」絵画という一種アナクロニスティックなものである。彼は、写真(とくにファウンド・フォト)に「純粋なイメージ」を見出し、その客観性と真正性を絵画に持ち込むことで、旧来の絵画にまとわりついてきた要素――私的な記憶や感情、モチーフの意味、コンポジションなど――を引きはがすことに成功した。
そうしてリヒターが暴露するのは、イメージと世界との不確かな関係である。「フォト・ペインティング」から「スタンディング・グラス」まで一貫して、彼はその関係が固定されたものではなく、複数形で存在することを提示してきた。近作《豊島のための14枚のガラス、無益に捧げる》(2012-15)の作品名は、「束の間のイメージの群を受け取る人々を襲う『徒労感』を示唆している」と本書は語る。
とすれば、リヒターの絵画は最初から写真の21世紀的状況を予見していたとも言える。デジタル・イメージが視覚文化の覇権を握った今日、もはや写真は支持体を選ばない――キャンバスやモニターや金属に印刷ないし投影されれば、写真は「絵画」にも「映像」にも「彫刻」にもなりうる。写真が世界の表面を覆い尽くせば尽くすほど、リヒターの作品は異彩を放ち、現代の視覚文化に対する批評となるだろう。
なお、清水穣による巻末の訳注も、リヒターが歩んできた20世紀のアートワールドを把握するのに有益な情報源である。
(『美術手帖』2018年3月号「BOOK」より)