現在からの逆照射による「リアリズム」のすがた
明治期に西洋画法を学んで写実の世界を追求した高橋由一から、真実とフェイク、リアルとヴァーチャルの境界を揺らがせるインターネット社会まで。日本近代美術の制度史的研究の第一人者である著者が、近代から現代という幅広い射程のもと、近年ますますとらえ難くなっている「リアリズム」概念の再検証に挑む。高橋由一はこれまでも著者が繰り返し論じてきた対象だが、本書は人工知能やビッグデータ、VRといったテクノロジーが主権を握る今日の情報環境を思想史的、状況論的に記述するところから出発する。歴史はつねに、現在の立ち位置からの反省と再考を要請する。だからこそ、現在から過去を逆照射して歴史を編み直し、「インターネット以後の由一」なるものを構想する眼差しが求められる。倒錯した時間感覚を呼び覚ます本書の構成は、おそらくはこのような歴史意識のもとに組み立てられているのだろう。
実在論の原義にまで遡る「リアリズム」概念の検証作業は、その拠りどころとなる「主体」の問い直しにまで及ぶ。その際に重要な鍵となるのが、絵画という媒体を統制し、リアリティを形成してきた透視図法というひとつのシステムだ。明治初期に美術教育に導入された透視図法は、世界に向き合う「私」という主体形成を促し、観賞体験の秩序化、規範化によって制度や政治と結びついた。本書では、透視図法を足掛かりとしたリアリズムのとらえ直しが、マルクス・ガブリエル、カンタン・メイヤスーらの実在論を経て、断層を孕みながら「まんが・アニメ的リアリズム」にまで接続する。このような現代思想への目配りを利かせた観点も刺激的だが、やはり傑出しているのは、ネット社会の見取り図を踏まえたうえで十全に展開される中盤から終盤にかけての由一論だろう。そこでは油絵の再現性に着目して展覧の場まで設えた由一の活動が「拡張型のリアリズム」であると解釈され、博物図への並々ならぬ関心が唯名論と概念化の裂け目においてとらえられ、有名な《豆腐》の油絵が江戸から明治への移行期ならではの新しい視覚の成果として読み解かれるのである。
歴史を編み上げるミクロとマクロの事象を自在に行き来する運動のなかで、リアリズムの様相がダイナミックに切り取られている。仄暗く認識しがたい歴史の無意識へ。長大な旅を思わせる研究は、間違いなく著者の仕事の集大成のひとつと呼べるものである。
(『美術手帖』2019年12月号「BOOK」より)