ピクセルの庭を歩いてみれば
本書はその書名の通り、近年グローバルな盛り上がりを見せるピクセルアート=ドット絵を制作する代表的なクリエイターの仕事を収録した作品集だ。しかし、その企図はたんに現状をカタログ化することではない。私たちがスマートフォンなどのモニターを介して目にするイメージのほとんどがピクセルで構 成されている現代において、ピクセルアートを言説化するためには美学的な観点への言及が不可避である。ゆえにデジタル画像のエステティクスを専門とするgnckのエッセイが第1章に配置されているのは、こうした文脈に説得力を持たせる意図が反映されたものだろう。
彼はscrama_saxのTwitterでの発言を引用しながら、ドット絵の特徴である「任意の1ピクセルをいじったらその画像が表す情報が変化する」というメディウムの不透明性にふれながら、自身の分析を展開する。こうした定義を受けて紹介される描き手たちの造形的な多様性は、収録作家を通覧すれば明らかであり、ピクセルアートがたんなるノスタルジーではなく、ある種の絵画性を追求するためのツールとして重用されていることが理解されるだろう。
そのいっぽうで、愛好家やクリエイターをつなぐギャラリーやコミュニティスペースといった文化的な広がりも紹介しながら、クライアントワークに取り組む描き手たちも本書は取り上げている。ドット絵が産声をあげたメディアであるゲーム業界の動向も押さえつつ、キャラクター性を打ち出した表現や、映像やファッション、アートへと越境する様態がそこには見てとれるだろう。70〜90年代のヴィデオゲームという本来の文脈から切り離されたそれらは、ドットの美学を踏まえながらも、ピクセルアートの世界を拡張している。
アプリなどによる画像編集の一般化は、その視覚体験の背後で作動する機械的演算の存在を身体的に理解させた。ピクセルアートは、こうした操作の痕跡を隠すことのない表象だ。ゆえに本書に収録された作品群は、技術的にはプリミティブでありながらも、現代の私たちの世界認識をかなり直截に表現したものなのかもしれない。
(『美術手帖』2019年10月号「BOOK」より)