2019.7.14

【シリーズ:BOOK】ロザリンド・E・クラウスの著書、待望の日本語全訳。『視覚的無意識』

『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本から注目の図録やエッセイ、写真集など、様々な書籍を紹介。2019年8月号の「BOOK」1冊目は「レディメイド」「肉体的なもの」「不定形」といったキーワードを、フロイト、ラカン、バタイユらの理論を用いながら開示する、ロザリンド・E・クラウスの著書『視覚的無意識』を取り上げる。

評=沢山遼(美術批評家)

『視覚的無意識』の表紙

モダニズムの視覚と欲望とは

 ロザリンド・E・クラウスの主著がついに邦訳された。本書の要諦は、モダニズムが重視してきた、視覚性、かたちへの昇華、形式や視覚の純粋性、脱身体化の志向等々を、マルセル・デュシャンやマックス・エルンストら「視覚的無意識」の芸術家たちの作品に見られる、低級さ、不定形、脈動、水平性、肉体性などの概念によって脱構築することにある。しかし注意しておくべきは、クラウスが不定形や水平性といった概念を、モダニズムの視覚の外部にある対立項とは見なしていないということだ。


 クラウスは、四角形のダイアグラムを用いてモダニズムの構造化を図る。そこには図、地、非図、非地の四項が配置される。視覚性とは形態、形式が可視化される(=図として知覚される)ことであり、経験的な視知覚においては、地なくして、図は成立しえない。だが、クラウスは、図と地という、知覚的に顕在するものの二項対立を避け、そこに、潜在的な非図、非地を加えた四項を重視する。経験的な知覚は非顕在的な、潜在的なものによってその身分を保証されている。この図表を出発点としてクラウスが分析するのは、見えること=図がいかに、不可視の下部構造=地によって条件づけられているか、という事態だ。

 モダニズムの視覚はこうした下部構造を排除、抑圧し、文字通り視野の外に追いやることによって成立してきた。だが、見えることの背後には、それを可能にする母型(マトリクス)が存在する。この母型に、水平性、低級さ、脈動は潜在する。それらは、モダニズムの視覚をその内側から浸食し、腐らせ、変容させる。それは、フロイトやラカンの精神分析にとって、無意識が意識と対立するものではなく、むしろ意識を可能にするインフラ(支持体)であったことに対応している。その意味においてこそ、本書の「無意識」という語の選択は効果的に響く。


 ゆえに本書は、反視覚の書ではない。それはあくまで、モダニズムの視覚の下部組織、見えない地を明らかにしようとする、支持体の理論なのである。クラウスが近年の批評で頻用する「技術的支持体」のアイデアは、本書によって先駆的に示されていたとすら言えよう。

『美術手帖』2019年8月号「BOOK」より)