スペシフィックな生
アメリカの美術家・批評家であるドナルド・ジャッドは「ミニマリズム」の作家として、また1960年代に「絵画でも彫刻でもない」様相を示す「スペシフィック・オブジェクツ」の作品概念を提唱したことで知られている。本書は、ジャッドをはじめ、ミニマリズムの方法を独自に展開させたアーティストたちの実践を考察する試みである。著者は、作品の理論的解釈よりもむしろ、その物理的・数的構造や、現実の土地や風景との関係といった実態を重視する。なかでもニュージャージーという「郊外」の工業的な人工風景は、ジャッドやトニー・スミス、ロバート・スミッソン、ダン・グレアムといった、本書に登場するアーティストにとって特別だった。
たとえば郊外開発の象徴的なインフラとも言える、高速道路を走行中の体験を語ったスミスの言葉は、人工風景に対する感覚的な応答を証言するものだ。暗闇のなかの煙突、塔、煙、色のついた光といった諸要素は、視点の移動に相関してリズミカルに風景を「分割」する。車の座席に座っている身体の静止性と、走行によって移動する視点の運動性。両者の相関を通じて、主体と対象物と空間が共鳴し、主体に先立って「あらかじめ」存在していた諸要素の素朴な現前には回収されない、新しい経験が創出される。著者の言葉を借りるなら、「静的変容」の過程である。これは、所与の対象をあるがままに再現描写する「リテラル」な――この形容には「文字通りの」「それ以上でも以下でもない」といったニュアンスが含まれる――直写主義とは明らかに異なる、生のありようではないだろうか。この観点からすれば、「分割」という操作もまた、所与のものを組み替え再編成するための方法論となる。そして、静的変容が示す運動と静止の調停は、形とそれを取り囲む空間、人間とオブジェクトといった対立項を等価にとらえるジャッド的思考と通じている。本書で著者は、静かに推移する変容を、一般的ではなくスペシフィック(個別具体的)な身体経験として探求する、ジャッドの姿を浮かび上がらせている。本書の執筆もまた、著者のある特異で個人的な体験に動機づけられたのだという回想とともに、読んでほしい1冊だ。
(『美術手帖』2019年12月号「BOOK」より)