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「信頼できない語り手」によるモノローグ。池上裕子評「キュレトリアル・スタディズ16 荒木悠 Reorienting ─100年前に海を渡った作家たちと─」【3/3ページ】

「見ることはすでに支配だった」

 《南蛮諜影録》の後半に登場する南蛮屏風もまた興味深い。南蛮屏風は16世紀にポルトガルやスペインから来航した人々との邂逅を描いたもので、狩野内膳の落款を持つ本作と同様の構図を持つ屏風は、現時点で5点確認されている。なかでも本作は三田藩主の九鬼家に伝来し、戦後に海を渡ってリスボンの国立古美術館に入ったものだが、九鬼家はもともと熊野灘を制圧していた海賊だというのだ(*8)。ポルトガルがスペインと競りながら海上帝国としての覇権を確立すべく極東にまで進出していた時期、信長に仕えて出世した九鬼氏の当主嘉孝もまた海軍艦隊を率いて活躍し、秀吉が明の征服を狙って仕掛けた朝鮮出兵の際には水軍の総大将として参加していたのである。本作は、基準作とされる神戸市立博物館本とは異なる部分があり、内膳以外の絵師によるものだとも言われているが(*9)、この屏風が幾度か持ち主を変えた後、最終的にポルトガルの所蔵になったことには数奇な縁を感じざるを得ない。

「荒木悠 Reorienting」展会場風景。右が、荒木悠《南蛮諜影録》(2025) 撮影=守屋友樹

 こうした背景を知ってか知らずか、《南蛮諜影録》の語り手は、折りたためる形式の屏風を「“見る”ための装置」であり「金箔で飾られた諜報報告書だった」とアクロバティックに解釈し、「見ることはすでに支配だった」と結論づける。そして、それまでは一切姿を見せなかった「私/俺」は、映像の最後にそこに描かれた「南蛮人」として姿を現すのだ。「I am watching you」と言いながら。穏やかな微笑を浮かべるこの人物にはスパイらしからぬ愛嬌があるが、この笑顔こそが本作の主題である「二面性」を体現しているのかもしれない。語り手が言うように、「人には二つの顔が」、すなわち「表の顔と、隠すための顔」があるのだから。

 限られた時間と予算、そして空間で、ここまで濃密な思索と創造を見せてくれる展示には滅多に出会えない。本展は、ミッドキャリアに差し掛かったキュレーターとアーティストが正面から組み合い、お互いのアイデアと可能性を広げ合った展示として、長く記憶されることになるだろう。

 ところで、スパイに関心がある作家といえば、「007」シリーズの大ファンであることを公言していたジャスパー・ジョーンズもその一人だ。彼は1964年に来日し、東京で制作した《Watchman》(1964)において、諜報員と監視員をモチーフとして「見ること」について思索をめぐらせた(*10)。

The spy designs himself to be overlooked, the watchman “serves” as a warning. Will the spy and the watchman ever meet? In a painting named Spy, will he be present? The spy stations himself to observe the watchman. … Somewhere here, there is the question of seeing clearly. Seeing what? According to what? (*11)
スパイは自分を見えないものとしてデザインし、監視員は警告の役割を「演じる」。果たしてスパイと監視員は出会うのだろうか?《スパイ》という絵に、彼は登場するだろうか?スパイは監視員を監視するために配置につく……ここのどこかに、はっきりと見る、ということに関する問題がある。何を見るのか? 何によって見るのか?

ジョーンズがスケッチブックに書き記したこれらの断片的な文章は、荒木の「信頼できない語り手」によるモノローグとも、時を超えて共鳴してはいないだろうか。

*1──京都国立近代美術館HPより。25.https://www.momak.go.jp/Japanese/collectionGalleryArchive/2008/curatorialStudies01.html
*2──渡辺亜由美「荒木悠と、海を渡った作家たちと」『キュレトリアル・スタディズ16:荒木悠 Reorienting──100年前に海を渡った作家たちと──』(京都国立近代美術館、2025年)、p. 25.
*3──この方位磁針は西に8度傾いているが、それは船や飛行機が航行する際に使われる「磁北(じほく)」を採用しているからだ。本展では展示されたフェンスや展示台、ラジオなども、すべて西側に8度の角度をつけて斜めに置かれている。北極点の方向である「真北(しんぽく)」と方位磁石が示す「磁北」に「偏角」と呼ばれるズレが生じるのは、地球の磁場が常に変動しており、その磁極が北極点と完全に一致しないことが理由だ。このズレは北に行くほど大きくなるため、京都では約8度だが、那覇では約5度、札幌では約9度と、地域によってばらつきがある。
*4──本展とは関係ないが、日系三世のアーティスト、ロジャー・シモムラもまた、アジア系アメリカ人に関するステレオタイプを表したキッチュな品々を、荒木と同じようにネットオークションを通して蒐集していた。彼は約2000点に上るそのコレクションを、2008年にシアトルのウィング・レイク博物館に寄贈している。
*5──荒木によれば、「国歌」の直訳は「カントリー・ソング」だから、ということだ(2025年11月8日にインスタライブで配信されたギャラリー・トークより)。だが荒木が育ったナッシュビルがカントリー音楽の盛んな土地であることも関係があるのだろう。彼が編曲を依頼したのもナッシュビル在住の音楽家である。
*6──野田もWPAには関わっていたが、アメリカ国籍保持者であるため解雇はされなかった。だが彼はこの問題が発生した1937年に日本に渡り、1939年に30歳で死去している。
*7──1991年にニューヨーク近代美術館がピカソの《アヴィニョンの娘たち》(1907)の油彩習作を購入するために国吉の《逆さのテーブルとマスク》(1940、現在は福武コレクション)を売却したのは有名な話だ。
*8──成澤勝嗣「16リスボン国立古美術館 B」坂本満編『南蛮屏風集成』(中央公論美術出版、2008年)、p. 339. 南蛮屏風に関しては神戸市立博物館の中山創太氏にご教示いただいた。記して感謝します。
*9──Ibid., p. 340. リスボン古美術館は、狩野道味の作とされるもう一双の南蛮屏風も所蔵している。こちらは「堺の旧家に伝来したもので、昭和初期に池永孟の所蔵となり、昭和27年ポルトガル大使館が購入した」。『西洋との出会い:キリシタン絵画と南蛮屏風』(国立国際美術館、1986年)、p. 122.
*10──ジョーンズ作品における「見ること」という主題については、以下の拙論を参照されたい。Hiroko Ikegami, “Looking Deeper: Jasper Johns in an International Context of the 1960s,” in Jasper Johns: Something Resembling Truth, ed. Roberta Bernstein and Edith Devaney (Royal Academy of Arts, 2017), pp. 46–57.
*11──Jasper Johns, Jasper Johns: Writings, Sketchbook Notes, Interviews, ed. Kirk Varnedoe (The Museum of Modern Art, 1996), p. 37.

編集部