「平山匠 ここがいい」(東葛西1-11-6 A倉庫)

2つ目に紹介したいのは、粘土彫刻を中心に制作し、東京・品川でスペース「アトリエ・サロン-コウシンキョク(交新局)」(以下、コウシンキョク)を運営しているアーティスト・平山匠による個展「ここがいい」(東葛西1-11-6 A倉庫、2025年5月23日~6月11日)である。
展示の冒頭で出迎えるのは、ウルトラマンに登場する怪獣・ジャミラをモデルにした巨大な粘土彫刻《ハニラ》(2024)だ。鉄のフレームに粘土を塗り固めてつくられたこの作品は、乾燥によるひび割れでいまにも崩れそうだ。その巨体に反して、かえって頼りなく、儚さを帯びている。かたわらにはタンク式の散水機が置かれており、平山は定期的に水を撒くことで《ハニラ》の乾燥を防いでいるという。この、作品を生かし続けるという行為がすでに「ケア」と呼ぶにふさわしい。

展示の奥では、もうひとつの大型作品《エリマキトカゲは地面を見れない》(2025)が待っている。タイトルのとおり、エリマキトカゲの“襟”は異様なまでに大きく、下から見上げてもその顔は見えない。つまり私たち鑑賞者には、なんの彫刻かすぐにはわからず、タイトルでそれがエリマキトカゲだとわかる。よく見ると、地面ではこのエリマキトカゲの尻尾を小人のような存在が抱えている。エリマキトカゲは、自分の足が地に着いていると思っているかもしれないが、実際には、この小さな存在がその全体を支えているのだ。


平山の作品に通底しているテーマは「ケア」である。ケアとはたんに優しさや配慮を意味するのではなく、見えにくく数多に存在するシャドウ・ワーク──つまり不可視な労働の積み重ねとして提示される。《ハニラ》においては、散水機がその象徴だ。平山が水を撒く様子を偶然目にすることはできても、その維持に要する具体的な労力までは見えない。《エリマキトカゲは地面を見れない》では、よほど注意を向けなければ気づかないような小さな存在が、堂々とした主役を支えている。しかしその小さな存在は、支える側からは見えない。平山はこのようにして、「ケアする人」の不可視性を、彫刻というメディウムを通して可視化しようとする。
展覧会タイトル「ここがいい」は、「見慣れたものを少し違う角度から見てみると、誰かに支えられていること、また自分も誰かを支えていることに気づくこと」、そしてその気づきの「積み重ねが、『今の自分の居場所』に対する肯定につながるのではないか」(*6)という、平山自身の実感に基づいている。

このような姿勢からも、平山が「土」というメディウムにこだわり続けている理由が読み取れる。私たちが立つ「地面」──すなわち自分を支える場所──を構成する「土」を扱い続けること自体が、場所=土地=「ここ」への肯定の実践なのである。
平山が運営するアートスペース「コウシンキョク」は、「自分以外の誰かの生き方を知る」ことを目標に掲げている。平山は、まさにその思想を実践するように、土とともに「他者の生」を見つめ続け、「ここがいい」と言える場を耕し続けているのだ。
*1──「Y」についての小説は「Yの一生 The Life of Y」(『文學界』2025年5月号、文藝春秋)で読むことができる。
*2──風船爆弾については以下の資料を参考にした。明治大学「明治大学平和教育登戸研究所資料館 第5回企画展『紙と戦争-登戸研究所と風船爆弾・偽札-』」(明治大学ウェブサイト、https://www.meiji.ac.jp/noborito/info/2014/6t5h7p00000i01ky.html、2025年6月22日最終アクセス)
*3──「 」内はすべて小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』(文藝春秋、2024年)19頁からの引用。
*4──小林エリカ「Yの一生 The Life of Y」(『文學界』2025年5月号、文藝春秋)116–124頁。
*5──同上、122頁。
*6──「 」内はすべて「ここがいい」展の展覧会ステートメントより引用。
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