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2018.11.28

画家が対面した、ある画家のテーブルの記憶。桑久保徹評「ピエール・ボナール展」

19世紀末のフランスで、ナビ派の画家として活躍したピエール・ボナールの大規模な回顧展が国立新美術館(東京・六本木)で開催されている。日常の光と色彩を巧みにとらえ、形象を描くことにこだわりを持ち続けたボナールの絵画は、現代でも世界中の作家から愛されている。アーティストの桑久保徹は、ピカソやフェルメールなど尊敬する画家の生涯をひとつの画面のなかに表現する「カレンダーシリーズ」を今年1月に発表し話題となった。その次回作としてボナールの絵にも取り掛かっている桑久保が、ボナールの表現の本質に迫る。

文=桑久保徹

会場風景より
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時の停止

 手記に残された有名な格言、「時の停止」。その真意とニュアンスを知ることはできないだろうか。ボナールについての絵を描くために、彼について調べていた。1867年に生まれ、第一次世界大戦と第二次世界大戦を経験するフランスで、穏やかな日常を、色彩豊かに描いた人。時代から切り離されたような、それでいて、画家の神秘を感じさせるような人。

 画集には、彼が描いた色鮮やかな作品群と、それに付随したスケッチや写真や手帖のメモなど。残された文献には「若かりし頃には前衛的な好奇心と野心」とがあるが、40歳前後からは、自らに課した信条を全うするために生きているような様子がそれとなくわかる。プチブル出のインテリだが、ひけらかすようなタイプではないこと。そして、少し特殊な女の趣味や、性格や思考の癖もなんとなくわかる。

 私にはあまり似ていないな。描かないと強迫観念に襲われてしまうのは、少し意外だったかな。用意した数冊の画集には、様々な美術専門家の言葉が寄せられている。なかでも、『新潮美術文庫』に寄せられた、峯村俊明氏の明晰な文章に驚く。私の知りたかった事柄はほぼほぼ、この文章でまかなわれてしまう。

 遅れのある印象主義。印象の蘇生の願望、時の喪失感――。

 それによると、ボナールは、彼が現実に見た風景の等価物を画布上に創り出そうとしているとのこと。その際に、ボナールはわざと魅惑を感じたそれを忘れ、手間取り、遅れることで、近づこうとしているということなどが、プルーストの『失われた時を求めて』と比較されて記されている。魅惑を感じた瞬間をメモ程度にスケッチして、あとはアトリエに籠り、最初の印象的な記憶だけを頼りに、壁に打ち付けたキャンバスにゆっくりゆっくり描きながら、画布にその魅惑が呼び起こされるのをただひたすらに待ち続けている。

 一度現実を忘れることで、再現に拘束されない、新しい絵画表現を生み出し得るといった彼の信条に、想いを馳せる。いま私のアトリエには、小山登美夫さんから借り受けた本物のドローイングが掛けられているが、実際、この段階ではまだボナール的なものではないことが、その解釈を裏付けている。

 1930年、彼が63歳の時の作品。鉛筆の線によって、明確に、船が2艘、波打ち際に佇んでいる様子が描かれている。彼は実際にこの景色を見て、なんらかを感じ、これを描き留め、忘れた。

会場風景より。手前は《猫と女性 あるいは 餌をねだる猫》(1912頃、オルセー美術館蔵)

 9月25日。ボナール展を見に行く。集められた作品は130点余り。ボナールだけの大規模な展覧会を見られる機会はそう多くはないので、楽しみである。新たな情報を得られることを期待して、六本木、国立新美術館へ。とくに、後半の足跡について、何か追加される情報はないだろうか。張り出された赤いポスターがかわいい。

 初めはジャポニズムの時代と、ナビ派の時代。ボナールの初期。名品が来ている。くっきりとしたフォルムと、配慮された色面。若き画家の瑞々しい感性が感じられる。続いてアンティミストの時代。小さく、落ち着いた室内風景。モデルたちと画家の親密な様子が示される。静かだが、新たな画質への挑戦がある。同志のヴュイヤールとの友情も感じられる。装飾への欲望も。

 奥側に初期の大画面。牧歌的、挿話的な風景画。別荘地、ヴェルノンでの作品か。色彩も主題も変化する。作風の変遷に戸惑いつつも、ここまでは時系列的に理解できている。ジャポニズムがあり、ナビがあり、アンティミストがある。

黄昏(クロッケーの試合) 1892 キャンバスに油彩 130.5×162.2cm オルセー美術館蔵
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

 リトグラフ、挿絵、写真が並ぶ一角に出る。とくに、写真に興味を惹かれる。ドガは写真を絵画制作に積極的に取り入れたが、ボナールもまたそれに習い、20代の頃から写真を多く撮っていたようだ。レンズの前の被写体はどれも自然体に見え、モデルたちのふとした瞬間を好んだ様子がよくわかる。

 彼が当時、何をどのように見ていたのかがわかり、嬉しい。家族のスナップや、友人の写真が並ぶ。有名な、入浴シーンを写したものもある。同じ構図であることから、そのまま採用されたことがわかる。

ル・グラン=ランスの庭で煙草を吸うピエール・ボナール 1906頃 モダン・プリント 6.5×9cm
オルセー美術館蔵 © RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

 モノクロ写真の視線の端に色。隣室の、浴室のシリーズを目の端にとらえる。ここからだ。ここから先、彼の人生をうまくイメージできなくなる。色が華やかになり、ボナール独自の表現になってくる頃からだ。どれがいつの作品だかよくわからなくなるし、彼の生活をイメージすることが難しくなる。45歳のときに妻マルトの療養のためにヴェルノンに移り住み、59歳には、終の住処になる南仏のル・カネへ。

 浴室シリーズの部屋へ入ると、逆光の色。明らかにこれまでの作風とは違い、独創的な様相を呈する。モデルのダッチワイフのような形状にフェティッシュを感じる。近づいて、よく見てみるが、様々な色の斑点が、大きさも質もランダムに打たれていて、視覚が追いつかない。しかしながら、目は見ることをやめようとしない。フォルムを表すための筆致の情報量が多過ぎて、判別できない。方法論が見出せない。ただただ、異常なまでに美しい。

 初期の入浴にはたらいで、後期にはわざわざ購入したとされる高価なバスタブが時代的には重要なはずなのだが、私の視神経にはまったく関係がない。

化粧室 あるいは バラ色の化粧室 1914-21 キャンバスに油彩 119.5×79cm オルセー美術館蔵
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

 混乱したままで、次の部屋へ。静物画や、室内画を見る。またしても、初め遠くから、独特で不思議に均衡を保った装飾的な色彩が押し寄せる。

 近づいてみると、混乱。赤い色が、そこだけで見ると、思ったような赤で塗られてはいない。美しいグレーだと思われた部分は、どのような手順で描いたのか、まったくわからない。よくよく見れば、画面のど真ん中に籠。ただ、色と構図の効果のせいか、調和が保たれていて、ど真ん中にあるはずが誰も気にしていない。棚が途中で消えている。椅子がおかしなことになっている。白い猫が消えていなくなる。眼は、相変わらず私の意思とは無関係に、画面のあちこちを彷徨っている。《テーブルの片隅》に、もうどれくらいいるのだろうか。色も形も空間も、間違いなく狂っている。そして、著しく客観性を欠いている。

 ボナールの絵を見て、ほかのこの時代の画家よりもいまっぽいという感触があるのはこのためだったか、と思う。良し悪しのジャッジメントが主観的で、立ち入ることができない。現実の模倣をやめた作品が数多くある現在においては、彼の作品はそのハシリと見ることもできる。

 ホワイトキューブにボナールの作品が1点飾ってあったら、いまの作家の作品と見間違うかもしれないな、と思う。今後は、描く主体をいかにして消し去るかが焦点となる時が来るかもしれないと不意に思う。

テーブルの片隅 1935 キャンバスに油彩 67×63.5cm
オルセー美術館蔵(ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託)
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / image RMN-GP / distributed by AMF

 最後の部屋。美しい風景画が並ぶ。老練で熟達した表現力。それまでに得られた経験的な技術と知恵に支えられて、様々に風景を描いている。四角い矩形の中で、筆は流れ、波打ち、再び流れ、止まる。色彩は物から自由になり、形状はあるべき形に変更されて、あるものは木に、あるものは山になって、空間を形成している。空間や物体の非整合性は、画家の断固とした主観的な描写と色彩によって、見る者に違和感を覚えることすら忘れさせてしまう。

 大画面の奥に、スーラの影が見える。時の停止を求めた2人。ボナールは彼の仕事を認めている。

ボート遊び 1907 キャンバスに油彩 278×301cm オルセー美術館
© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

 見終わると、そのぼやけた輪郭線が影響するのか、どれかひとつの作品を取り出して、鮮明に思い出すことができない。いま見たばかりなのだから、当然モチーフやフォルムや色の雰囲気は思い出せるのだが、ディテールがどうやっても思い出せない。なんということでしょう。いま見たばかりなのに。なんなら、作品サイズも良く思い出せない。いま見たばかりだのに。

 彼は、記憶の印象に忠実であろうとしたんだな、と思う。本当に、記憶に、良く似ている。彼の絵画は全体として、あるパターンや秩序を形成していると感じる。時間をかけた画家のブランディングの成果として、いくつかの強いヴィジョンが残されたと言うより、ボナールの一生を形成するゲシュタルトとして、浮かび上がってくる気がしている。

大きな庭 1895 キャンバスに油彩 168×221cm オルセー美術館蔵 
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

 実際、この展示自体が、時系列的な展示ではなく、モチーフごとに区切られている傾向があるために、機械的な時間軸で順を追って見ることができない。見る前と同様に、見終わっても、どれがいつの作品であったのかが曖昧で、良く見たはずなのに、個々の作品が溶け合ってしまう。絵画の総和としての、マンダラのような、色彩の洪水。各絵画一つひとつの図像ではなく、総体として、彼の絵はあるのか、と思い至る。個々の絵画に前後関係や時間性はなく、同時にすべてが拡がっている。

 私が見ようとして現実に見ることができないボナールの絵画は、いまも私の脳内にある。私が思い出したボナールの絵は、この世に存在しない。そのピンク色をした室内の絵は、彼の仕事の総和がもたらした幻影として、私の脳内で勝手につくり上げられてしまったものだ。もしかすると、この様な記憶の捏造絵画を脳内に持つ人が、私のほかにもいるかも知れない。

花咲くアーモンドの木 1946-47 キャンバスに油彩 55×37.5cm 
オルセー美術館蔵(ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託) 
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / image RMN-GP / distributed by AMF

 出口近くの絵。絶筆とされる79歳の《花咲くアーモンドの木》を眺める。果てしない可能性のうちの、最良の選択の連続。アトリエの壁にピン打ちされた画布に、ゆっくりと筆を入れる様子を思い起こす。モンテカルロ木探索(*1)だと思う。

 キュレーターで前国立新美術館アソシエイトフェローの横山由季子さんを紹介してもらい、話を聞く。フランスで、新たな研究が進んだことを教えてくれる。また、ボナールのル・カネの家へ行ったときの話。想像より、室内は狭くて、庭も思ったほど広くはなかった、と教えてくれた。

ル・カネの食堂 1932 キャンバスに油彩 96×100.7cm
オルセー美術館蔵(ル・カネ、ボナール美術館寄託)
© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

 アトリエには、下書きを施された150号のキャンバスがある。終の住処となるル・ボスケから見た風景。地中海から2キロほど内陸に位置するこの高台の場所からは、右手にはカンヌが、左手にはマティスのいるニースが見える。6月、庭の木々は植物園のように咲き誇っている。社会と隔絶された楽園のような場所で、マルトは1日に何度も入浴し、画家はそれらの様子を眺めている。

 閉じられ、繰り返される時間のなかの2人は、それだけで充足している。

 

*1――コンピュータ囲碁などにおいて用いられる、探索アルゴリズム。もっとも良い手を選択するために使われ、ランダムに試されたサンプル結果に基づいて探索木を拡張する。