「変身広場」で出会う実在の前衛画家と「ユアサヱボシ」
第1章と第2章をつなぐ部となるセクション「変身広場」も用意されている。ここでは、ユアサの作品と、国公立館が所蔵する戦後アヴァンギャルドの作品を併置し、「子ども」「ばけもの」「仮面」の3つのキーワードでまとめることで、架空の「ユアサ」がどのような時代背景のなかで生まれたことを前提としているのかを想像させる。


「子ども」ではユアサの草むらのなかにある奇妙な赤い卵を描いた《奇形卵》(2024)と、岡本太郎《遊ぶ子》(1954)や高山良策《さかだちぼうや》(1955)などを展示。そして「ばけもの」では、魚のような頭部をもつ軍服を着た人物を描いた《交渉》(2025)と、山下菊二や池田龍雄、吉沢石美の描いた異形の生き物たちを併置。さらに「仮面」では巨大な赤い面が和装と洋装の人形を見つめる《逢瀬》(2026)と、高山良策の面や中村宏の1つ目のセーラー服の少女たちを描いた《円環列車A(望遠鏡列車)》(1968)などを一緒に展示している。


「戦後アヴァンギャルド」で見る高山良策、池田龍雄、中村宏
第2章「戦後アヴァンギャルド」では、練馬区立美術館の所蔵作品を中心に高山良策、池田龍雄、中村宏の3作家を紹介している。3作家ともに1932年生まれの「ユアサ」と同時期に生誕した画家であり、前章でユアサが提示した「ユアサ」の生きた時代の美術とはどのようなものなのかを感じることができる。
池田龍雄は1928年佐賀県生まれ。特攻隊員として訓練中に17歳で終戦を迎えた。戦後は教職が禁じられたため画家を志し、多摩造形芸術専門学校(後の多摩美術大学)に入学。岡本太郎や安部公房らと交流し、52年にはルポルタージュをもとに直線を緻密に集積させたペン画を発表して戦後社会の緊張感を描いた。

その後は現実の事件現場から離れ、「化物の系譜」や人間・動物・機械を融合させた「禽獣記」シリーズを展開。社会の不可解さや人間の精神の内奥を化け物めいた有機的形態に置き換えて表現した。60年代以降は宇宙や生命の思索を深め、代表作「BRAHMAN」シリーズなどを手がけた。
高山良策は1917年山梨県生まれ。独学で絵を学び、召集や東宝航空教育資料製作所勤務を経て28歳で終戦を迎えた。戦後は山下菊二らと前衛美術会を結成し、絵画を発表。50年代末からは金属部品や工具を絵画に取り入れた。

51年の独立後は特撮怪獣や舞台装置の制作を請け負うようになり、65年以降は『ウルトラQ』『ウルトラマン』で成田亨のデザインにもとづく怪獣の着ぐるみ制作を担当。60年代末からは絵画制作にも再び注力し、押しつぶされスクラップと化した風景や、無防備な女性・子ども、死者や敗者らが生き続ける場所を繰り返し描き出した。
中村宏は1932年静岡県生まれ。空襲で脅かされる浜松市で育ち、上京後は日本大学芸術学部へ進学。米軍基地拡張反対運動の現場スケッチをもとに描いた《砂川五番》(1955)で高く評価され、「ルポルタージュ絵画」の画家として名を馳せた。 50年代末からはモンタージュ理論を応用し、セーラー服の女学生や蒸気機関車など、少年期の記憶に結びつくモチーフを用いた前衛的表現を展開。

60年代以降は絵画を「精神的労働の場」と位置づけ、「タブロオ機械」をはじめとする独自の方法論で一貫して具象絵画の可能性を追求した。近年は自身の戦争体験を描く「戦争記憶絵図」に取り組むなど晩年まで精力的に活動を続けた。
こうして3作家の来歴を見ると、池田と高山は第二次世界大戦に従軍、中村も10代前半で空襲の恐怖にさらされるなど、戦争と深い結びつきがあることがわかる。また、戦争という歴史的な事件を経験したからこそ、ジャーナリスティックな視点をもって、戦後社会を見つめ、作品に落とし込んでいたことも示されている。戦後の前衛美術の成立には、戦争の経験と記憶が極めて大きな意味を持っていたことがよくわかる展示となっている。「ユアサ」という偽史を経たからこそ、3作家の前衛を支えていた実史が物語として立ち上がってくるといえる。
本展は「ユアサ」の作品を通して、日本の戦後前衛の作家たちが何をモチーフにし、何を表現しようとしていたのか、そして背景にはどのような時代があったのかを考える展覧会だ。架空の画家が実在の美術史と邂逅するとき、美術の歴史への興味が一挙に広がっていく、そんな体験ができる展覧会だ。
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