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「高知の前衛 高﨑元尚と浜口富治」(高知県立美術館)レポート。地方の前衛の貴重な記録と、現代に持ち帰るべきもの【3/3ページ】

第6章「前衛の終焉」

 第6章「前衛の終焉」では67年に高知の前衛が実質的に終焉した経緯を紹介する。1966年に岡山の作家をたちの呼びかけにより「汎瀬戸内現代美術展」が開催され、浜口と高﨑も参加した。これに触発された前衛土佐派は、翌年、高知と大阪以西の作家による「南日本現代芸術展」を構想。中心と周縁という構図を打ち崩そうとする意気込みが感じられる本展は、しかし運営方法や経理、賞の選考などを巡り、前衛土佐派のなかでトラブルが頻発。最後は暴力沙汰まで起きたという。これを最後に、前衛土佐派の活動は終わりを迎えることとなった。

「南日本現代芸術展」(1967)の資料

第7章「前衛の先で:洋画と現代美術」

 最後の第7章「前衛の先で:洋画と現代美術」では、その後の浜口と高﨑の活動を紹介。1970年、浜口は実質的に県展の洋画部門の作家を集めた洋画展「現代美術 手とエスプリ展」を企画し、以降は絵画へと回帰していく。県展で要職を務め、指導的立場を担いながら、江戸時代末期から明治にかけて多くの芝居絵屏風を描いた地元の画家・絵金(弘瀬洞意)への興味を作品で表現するようになっていった。

 いっぽうの高﨑は、浜口とは異なる道を歩むことになる。土佐中学・高等学校の美術教師を務めながらも、「現代美術の実験」と題したシリーズを展開し、あくまで前衛性を追い求めるかたちでの作品発表を続ける。1972年の《プレゼント》に端を発する「破壊」シリーズは、黒塗りの段ボール箱を積み上げて構造体をつくり、それを会期終了後にバットや手で叩き壊すことで完成するもので、その破壊行為は高﨑の教え子たちが担った。その後、10年にわたり高﨑は破壊をテーマにした作品を発表し続けていく。

浜口富治の洋画展「現代美術 手とエスプリ展」(1972)の展示案内資料
左壁の写真が高﨑元尚の《プレゼント》(1972)の黒い構造物の写真、右の映像は構造物を楽しそうに壊す高校生たちの様子を記録したスライド

 以上のように、高知の前衛は県展を主軸にしながら、前衛の通例にならうように最終的に挫折をむかえ、各々の活動へと回帰していくことになる。担当の塚本はこの高知の前衛の特徴について次のように指摘する。「本展をひと通り見れば、女性作家がほとんど表に出てこないことに気がつくでしょう。すべての前衛土佐派展に出品した入交京子は、その数少ない例です。また、男性作家たちの裏方にいた家族を中心とした女性たちにも注目してほしい。本展の図録はそんな思いを込めて制作しました」。本展の図録には、高﨑の妻・佳恵と浜口の長女・知暁へのインタビューが掲載されているが、ふたりの談話からは高﨑と浜口の「前衛」が、家族を巻き込んだものであり、妻や娘の献身によって成り立っていたことがよくわかる。このような背景を持つ男性作家を中心とした前衛運動が、やがて暴力沙汰のなかで解散していった過程は、現代のアート・コレクティブが抱えることの多い課題とつながっているように思えてならない。

入交京子《作品》(1966)。第20回高知県美術展覧会に出展された作品

 本展は、県展という団体の内部で「前衛」を志向した高知の前衛の歴史を、豊富な資料や作品で紹介する貴重な展覧会だ。同時に、美術の情報と人材が集まる大都市と地方との距離が作家にもたらすプレッシャー、団体が内包する権力の勾配、そしてジェンダーの不均衡などの問題提起が、要所で浮かび上がっている。地方の戦後美術の動向を丹念に紹介し、その渦中にいた作家を再評価するだけにとどまらず、そこから現代にも通じる問題意識を導き出す展覧会にもなっていることにアクチュアリティを見た。

編集部

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