
第1章では、鹿子木の画業の原点となる初期の歩みが紹介される。会場には、14歳の頃に描かれた《野菜図》(1888)をはじめ、不同舎時代の鉛筆素描が並び、若年期から基礎技術の習得に真摯に向き合っていた姿勢がうかがえる。対象を誇張することなく、丁寧に観察し描き出すその態度は、後年に至るまで一貫して鹿子木の制作を支える軸となっていく。

第2章では、1900年に出発した最初の欧米留学に焦点が当てられる。鹿子木は渡米後、水彩・素描展を開催し、その売却益をもとにヨーロッパへ渡り、パリのアカデミー・ジュリアンでジャン=ポール・ローランスの教室に入学。西洋絵画の根幹である人体デッサンや油彩による裸体写生を徹底的に学ぶなかで、歴史画における群像表現に強い感銘を受け、全身像の習得に力を注ぐようになった。

会場に展示される《男裸体習作(背面)》や《男性裸体スケッチ(椅子)》(1902)からは、アカデミーでの厳格な訓練の成果が伝わってくる。帰国後、鹿子木は京都に「鹿子木室町画塾」を開設し、後進の育成に力を注ぐいっぽう、自身の作品も積極的に発表した。《自画像》(1903頃)には、画家としての自信と確立されつつあった地位が率直に表れている。






















