第2章「アール・デコ博覧会とモード、芸術家との協働」
1925年のアール・デコ博覧会は正式名称に含まれる通り、装飾芸術(arts décoratifs)であるとともに産業(industriels)の活性化を計る目的があった。パリでは新しいモードがクチュリエによって次々と生み出され、オートクチュール全盛期を迎える。産業デザインの分野でドイツやオーストリアに後れを取っていると自認していたフランスは、自国の優位性をもたらす産業として、モードを装飾芸術のひとつととらえ、大々的に押し出した。
全体で5グループに分けられた展示のひとつが「服飾」にあてられ、グラン・パレやエレガンス館、ブティック通りに、パリ屈指のクチュリエ、宝飾、香水メーカーによる最新の衣装と宝飾品、香水、帽子、靴などが並んだという。なかでもポール・ポワレによる川船3隻を使用した展示は、デザインに合わせた装飾空間でのモード、家具や調度品、壁布からカーペットまで統一感のある居住空間、高級レストランによる味と香りの提供まで、生活と芸術を融合させる彼の理念を体現し、各国のメディアの話題をさらった。

芸術家たちもさまざまに関わっていく。メゾンのデザイン画や、広告イメージの制作のほか、クチュリエたちは、時代の芸術表現を模索、追求する新進気鋭の画家や工芸家たちのデザインを積極的に採用して、斬新なモードを生み出した。ラウル・デュフィのように多くのクチュリエにテキスタイル・デザインを提供したり、絵画の新しい色彩概念を室内装飾や服飾に応用して自らデザインしたソニア・ドローネーなども現れる。


会場ではアール・デコ博覧会による服飾産業の隆盛と芸術家たちとの協働の精華を堪能することができる。とくにヒールのデザインがズラリと並ぶ展示は壮観だ。自分の靴に合わせて好みのヒールを多彩なサンプルから選べる趣向は、現代にも復活させてほしいと感じるほどに美しく、楽しい。






















