江口湖夏は古いタンスの6面に木版を掘り、家具をぶつけ続けるパフォーマンスを実施。大きな音が鳴り、黒いペンキが飛び散って壁や床に後をつけ、そのあいだを江口の身体が行き来する。このパフォーマンスには、祖母の介護をしてきた叔父、そしてインドネシアで出会ったというノイズや版画文化の影響が混ぜ合わせられているという。

島田清夏は花火師としての活動を経て、火薬の構造や身体性を問う作品を制作している。本展で島田は中島の壁紙が貼られた囲いに作品を展開。八十を過ぎてから島田の教科書で文字を独学で学んでいたという祖母が書いた「花」の字に、火薬と蓄光塗料を仕込んで火をつけた。その様子をとらえた映像作品とともに、空中には使用された「花」の文字が浮かび、壁面にはその影が落ちる。

朝田明沙の《白くなって浮いた》は、爬虫類の脱皮の過程から着想した作品だ。古い皮が白く濁って浮き上がる脱皮の変化を、自らのパフォーマンスで表現。会場にはその様子をとらえた映像作品とともに、自身の抜け殻であるかのような残骸が置かれている。自己にまとわりつく皮膚との関係、そのなかにある自己とは何かを問う作品だ。

村上翔哉は吃音という個人的な現象を、詩を詠む/詠う行為によって開いていく作品《ことばを話す、読む、そして歌う》を制作。2台のヘッドホンが用意され、そこからは日常会話における「どもり」の音声が流れる。いっぽうでプロジェクターで投影される画面には、ヘッドホンから聞こえた言葉が描き出されていく。文字や言葉の意味を引き剥がしたときに生まれるリズムが、意味を超えた共感を導こうとする。

限られた空間をどのように使って、アーティストたちは自らの表現を探求するのか。各作家の創意工夫ともに、新しい表現を体感できる展覧会だ。
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