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いま改めて問う、美術は戦争をどう描いてきたか──「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館)
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絵画のスペクタクル化能力を生かした「作戦記録画」

 8章立てとなる本展は、「1章 絵画は何を伝えたか」で始まる。ここで作品を通して考察されるのは、満州事変・日中戦争・太平洋戦争と相次いだ1930~40年代の日本において、絵画が果たした社会的役割だ。

 社会が戦争一色へ染まっていくこの時期は、新聞や雑誌、ラジオに映画などのメディアが急伸し、社会へ浸透していくときでもあった。ラジオ放送やニュース映画が戦況をスピーディに生々しく伝えるなか、絵画は旧式の「遅いメディア」となってしまう。

 しかし絵画は持ち堪えた。「想像力」を自在に駆使して絵づくりできるところや「色彩」の豊かさといった他にない利点を生かし、存在感を維持した。陸海軍が委嘱する「作戦記録画」という新ジャンルも誕生する。大画面で戦果を伝える絵画が展覧会で発表され、銃後における啓発宣伝に寄与したり、ビジュアルによる正史を後世に伝える役割が期待された。

 一例として出品されているのが、宮本三郎《本間、ウエンライト会見図》(1944)だ。フィリピン・コレヒドール島での戦果を示すため、1942年5月の日米軍の会見を描いたもの。会見図というより、後方で撮影する報道班員を中心に据えており、戦争を伝達するメディアの舞台裏がクローズアップされている。

展示風景より、宮本三郎《本間、ウエンライト会見図》(1944)
撮影=木奥惠三

 また1章では、一見すると戦争とは無縁な作品にも、時代の色がしっかり滲んでいる点に着目する。

 北川民次《ランチェロの唄》(1938)は、音楽に合わせ忘我の境地で踊るメキシコ農民の姿が描かれている。「愛国行進曲」など軍国主義を醸成する流行歌が大ヒットしていた当時の世相を風刺しているのだという。

北川民次 ランチェロの唄 1938 東京国立近代美術館

 松本竣介《並木道》(1943)も、どこか寂しげな街路の光景だが、戦争に直接結びつかないものを描いている時点ですでに、時局への抵抗を示しているとみなせる。松本竣介は、作戦記録画作成にあたった中堅画家より下の世代にあたることもあり、戦争翼賛から距離を取る自主的な制作態度を貫いたのだった。

松本竣介 並木道 1943 東京国立近代美術館

 靉光《自画像》(1944)も同様、内省的な表情と遠くを見やる視線からは、時代に流されない自己主張と諦念が同居しているのを読み取れる。画家自身は絵を描いた同年に召集され戦地へ赴き、そのまま日本へ帰ることはなかった。戦後、松本竣介や靉光が「抵抗の画家」として位置づけられたことにも言及されている。

靉光 自画像 1944 東京国立近代美術館

編集部