広がり、継がれた武家茶道の精神
将軍家と大名の支持を得た石州流は、江戸城はもとより、各藩でも茶道職を担い、幕末に至るまで全国に広まっていく。そこには、一子相伝の家元制度ではなく、免許皆伝の形で継承されたことが大きく寄与している。
各藩に大切に伝えられた石州流の茶書に、石州作または旧蔵の道具を譲り受けた主要な大名茶人や茶匠が紹介される。幕末の大老・井伊直弼が桜田門外で暗殺される3年ほど前の安政4年(1857)の茶会記録に残る、石州旧蔵で井伊家伝来の青磁花入や、相撲の番付表になぞらえた茶人番付の摺物に書かれた茶人の名からは、いかに石州流が武家社会に広く、長く、深く浸透していたのかを感じられるだろう。





あまり知らない茶人をたどる展覧会、ちょっと地味......と感じるかもしれないが、侘びと豪華を併せ持ち、200年以上、江戸の文化人を惹きつけた、その魅力を追ってみたい。そこには現代でも新鮮な大胆さと繊細さも見いだせるのだから。
渋い好みを味わった後には展示室5で《百椿図》を。江戸の椿ブームに乗って、当時の知識人たちが表した歌と咲き誇る多様な椿の長巻絵巻は、初公開の板谷波山のかわいらしい椿の香炉とともに鮮やかな色彩で楽しませてくれる。

