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「特別展 武家の正統 片桐石州の茶」(根津美術館)レポート。江戸の武家茶道を牽引した知られざる茶人に迫る【2/3ページ】

石州の茶の湯の「好み」

 大名として、江戸、国元、京都の3か所を往来した石州は各地で茶会を開いている。そこには、幕府の重鎮・保科正之、大老・酒井忠清ら時の幕閣から、旗本、僧侶、町人まで幅広く招かれていたことが、残された茶記からわかっている。遠州亡き後、彼らの後援を得て、寛文5年(1665)には、四代将軍・家綱への献茶が実現、茶匠としての地位を確固たるものとし、63歳の死まで茶の湯に精進した。

 およそ200回にわたる茶会の記録から、彼が客組を変えながら何度も使用したお気に入りの3つの茶入とその付属品や、自筆の書と自作の茶道具、そして将軍への献茶の際に使用された道具などに、“石州好み”や武家茶道の豪華さを感じる。

「三、石州の茶の湯」展示風景より

 お気に入りの茶入は、釉薬が独特の味を出していてそれぞれの個性が楽しい。付属品の仕覆(茶入を包む裂の袋)や牙蓋(げぶた:象牙の蓋)には、各茶人の好みが書かれており、それぞれの微妙な感性の違いを比較できる。これだけ付属品が揃って公開されるのも貴重な機会だ。

「三、石州の茶の湯」展示風景より、もっとも愛用した茶入 《尻膨茶入 銘 夜舟》(桃山~江戸時代・16~17世紀、根津美術館)と付属品の揃い
「三、石州の茶の湯」展示風景より、「夜舟」の付属品の仕覆と木型。それぞれに「遠州好」「石州好」が記されている。木型は仕覆の裂を傷めてしまうため、現在は使用されていないそうだ
「三、石州の茶の湯」展示風景より、もうひとつの愛蔵の茶入 《肩衝茶入 銘 奈良》(江戸時代・17世紀、個人)と付属品の揃い
「三、石州の茶の湯」展示風景より、3つめの愛蔵の茶入《肩衝茶入 銘 八重垣》(江戸時代・17世紀、愛知県立美術館[木村定三コレクション])と付属品の揃い。豪華な仕覆のほか、牙蓋にもそれぞれの好みで微妙な違いがあるのを確認しよう

 石州自身は自作のものを自らの茶席にはあまり使用しなかったようだが、しばしば周囲の人からの求めに応じて制作したという。書には、武人のきりっとした筋とともに、どこか流麗さが感じられるだろう。茶杓は、竹の立ち落としをそのままにした柄の大胆さが、絶妙な匙のカーブと相まって、すっきりとした美しさに注目だ。他の道具のデザインも、現代の作とも思えるモダンで、創意に富んだものが多い。

「三、石州の茶の湯」展示風景より、石州の墨蹟はきりっとしながらもどこか流麗さを感じさせる
「三、石州の茶の湯」展示風景より、石州は依頼に応じて茶杓を多く制作している。本展では7点が揃う
「三、石州の茶の湯」展示風景より、西村弥三右衛門作《松笠釜》(江戸時代・17世紀、個人)石州がつくらせ、24会の茶会のうち22会に登場したと記録される釜は、茶記には「ちちり」(松笠のこと)と記されているそうだ。小ぶりながら大胆で珍しい茶釜
「三、石州の茶の湯」展示風景より、片桐石州作 《瓢炭斗》(江戸時代・17世紀、岐阜プラスチック工業株式会社)。瓢箪の器は、虫喰いを避けるため漆を塗ることが多いが、伝来者のひとり松平周防守が添えた付属品の蓋裏に、そのままに手入れして使うようにと書付がある。伝来ともに貴重な一品

 将軍・家綱への献茶の際には、道具を将軍家の名物茶道具「柳営御物(りゅうえいぎょぶつ)」から選ぶことを許され、床の間には無準師範(ぶじゅんしばん)の墨蹟を、茶入は唐物から選んだそうだ。

「三、石州の茶の湯」展示風景より、四代将軍徳川家綱への献茶に使用された道具たち
「三、石州の茶の湯」展示風景より、《唐物肩衝茶入 銘 師匠坊》(南宋時代・12~13世紀、出光美術館)点茶ののち、将軍と老中が盆にのせて鑑賞した茶入

編集部

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