阪神・淡路大震災30年 企画展「1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」(兵庫県立美術館)開幕レポート。あの日、何を失ったか、これから何を残せるのか【3/5ページ】

 ロンドンを拠点に、固有の場所や人の歴史、記憶のリサーチをベースにした手法で写真作品を制作してきた米田知子。米田は本展でふたつの展示室に作品を展開した。

 ひとつめの展示室では、米田が95年の震災直後に現地で撮影した作品と、10年を経た2005年に神戸各所で撮影した作品を展示している。95年の作品は瓦礫や路上に散らばった生活用品、折れ曲がった写真などが、05年の作品は被災者の遺体がかつて安置されていた学校の教室や、瓦礫が撤去されたあとに造成された新たな住宅などが被写体となる。

展示風景より、右が《震源地、淡路島》(1995)

 米田の作品にはほとんど人が映ることはなく、見るものに「不在」を感じさせる。しかし、この不在がむしろ、かつてそこにあったものをより印象づけ、そして当事者ではない人々がそこにあった記憶を追認できる可能性を留保する。

展示風景より、左が《教室Ⅰ—遺体安置所をへて、震災資料室として使われていた》(2004)

 もうひとつ、米田の作品が展示されているのは、展覧会の最後となる展示室だ。ここでは、1995年の震災の日に生まれ、30年近くの日々を生きてきた人々のポートレートを中心に紹介している。そこには不在ではなく、いまを生きる人々の生がはっきりと映し出されており、未来へと記憶と希望をつなぐ可能性が随所に感じられる。

 社会や内面世界を象徴的に描いた、アニメーションや映像インスタレーションで知られる束芋。神戸出身で震災当時も神戸の実家にいたという束芋は、本展のために《神戸の学校》と《神戸の家》の2作品を制作した。

展示風景より、束芋《神戸の学校》(2024)

 震災時、神戸で被災したものの、思い返してもその実感があまりなかったという束芋。それゆえに、震災を正面から作品に取り入れるということはこれまでできていなかったという。

編集部

Exhibition Ranking